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「現代版かぐや姫」



ムーンライトステーション

コンセプトはこのnoteのタイトルにもあるように「現代版かぐや姫」
真夏の月夜に突如現れた、「かぐや姫」
主人公とかぐや姫の二人の日々を描いたストーリー。

ここまで聞いた時、???と思われる方もいるかもしれないですね。
現実とは乖離したおとぎ話をモチーフに、
リアルの世界とリンクさせて物語を作り上げる
SEKAI NO OWARIの独特の世界観に圧倒されてしまうでしょう。
ここからは歌詞の中で気になるポイントを中心にお話ししようと思います。

この四人の写真大好きなんですけど共感してくださる方いますかね?

【君は真夏の月夜にTokyoの街に降りてきた】
真夏の月夜にというところで少し伏線が張られているのかもしれませんね。
ここでは東京がTokyoと記されています。
これに関してはのちに少しお話ししようかな、と。
降りてきたということはその姿を主人公は見ていたのか。
少し気になりますね。

【YOKOHAMAの花火大会】
なぜここでは「横浜」ではなく「YOKOHAMA」なのでしょう。
作詞を担当したボーカルのFukase本人は「頭に思い浮かんだ言葉をそのまま書き留めていった」と述べていますが、炎と森のカーニバルには「YOKOHAMAにある遊園地のコスモパニックの非常口」という歌詞が存在しますし、YOKOHAMA bluesという曲もあります。
Fukaseにとっての横浜は、彼の世界の中の「YOKOHAMA」なのでしょう。

【”私には帰る場所がないの”と泣いてたんだ】
サビ前のセリフですね。
原作というより、モチーフといえるであろう
「竹取物語」『かぐや姫』にはない、
SEKAI NO OWARI独自の視点です。
「竹取物語」では竹の中から生まれた少女が美しい女性に成長し、
多くの人々からの求婚を受け、ついには帝からも求婚が来ます。
しかし、かぐや姫は求婚を拒否します。そしてある日、
月からの使者により、かぐや姫は月の都に帰っていく。
ざっくりと話すとこのようなストーリーですが、
「竹取物語」とムーンライトステーションの違いは
ヒロインの登場の仕方です。
ムーンライトステーションでは「かぐや姫」が「降りてきた」
という表現が使われています。
ということは、違う場所から”Tokyo”に降りてきている筈なのに、
「帰る場所がない」と「かぐや姫」は言っている。
ここは少し謎ですね。

ここで一つ、私がもう本当に惚れたワンフレーズを。
【「月」が君を迎えに来たんだ この銀河列車が発車する前に】
このフレーズは曲中に三度使われていますが、
その度に少し捉え方が変わるかな、というフレーズです。
原作とは異なり、「誰」が迎えに来たのかを明記せず、
「銀河列車」が迎えに来るという表現。
世界観を作り出すうえで「月の使者」という言葉をあえて使わず、
「銀河列車」を使うことによって、「昔話感」を出さずに
”ファンタジーの世界”を作り上げています。

Twilight cityでのムーンライトステーション


銀河鉄道と言えば、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を思い浮かべる方が
多いと思います。これもまたファンタジーの世界。
名作と音楽を合わせ、世界観を作り上げるうえでのFukaseの言葉選びに
私はもう惚れてしまいました。

そして、歌詞ではないのですが、もう一つ。
この楽曲において用いられている楽器です。
”三味線”・”琴”
かぐや姫』つまり、和の世界。
その世界観に合うような楽器。
会場全体に響き渡る乾いた三味線の音。
ピアノとは異なり、単音でメロディーを奏でる琴。
更にSEKAI NO OWARIの代名詞である独特のトラック。
この三つが重なり合った音楽は
今まで見たことも聞いたこともないような
不思議なそして幻想的な世界観を作り出します。

さて、本題に戻りましょう。
【あれから二度目の夏が来て、色んなところに出掛けたね】
【今年の夏は電車で海でも行こうかなんて話して】
この歌詞は二通りの考えが出来るかな、と思っています。
気になるのは、このフレーズが歌われているのは、
「かぐや姫」と出会ってから何年目なのか、ということです。

あれから:初めて出会った真夏の月夜
     YOKOHAMAの花火大会に行った年の夏
二度目の夏:初めて会ってから二年目?
      出掛けたと言っているから過去のこと?
今年の夏:三年目の夏?

原作の竹取物語ではかぐや姫と翁が出会ってからわずか数か月の出来事を
描いていますが、この楽曲ではかぐや姫と主人公が出会ってからおよそ
二年の月日を描いています。
ここが原作との大きな違いですね。
しかし、二年目の思い出はこのフレーズ以外に書かれていません。
であるので、二度目の夏に主人公とかぐや姫が
「どこで」「なにをしたのか」は謎のままです。

【UENOのガード下の屋台で焼き鳥とビールを飲んだ君は】
【だいぶ酔っぱらってまた泣きながら”帰りたくないよ”と】
ここでまた地名を英語表記で記していますね。
これはSEKAI NO OWARIの、いや、
Fukaseの歌詞の特徴と言ってよいでしょう。
今回は沢山不思議なところがあります!
まずは、「なぜ”上野”の”ガード下の屋台”なの!?」
私はあまり存じ上げなかったのですが、
上野のガード下にはいわゆる狭い場所に沢山の飲み屋さんがあるらしく、
写真を見てみると、「うわっ雰囲気いいなあ。」と思いました。
(私はまだ20歳になってないのでお酒は飲めないんですけれど。)
沢山の店がひしめき合う中の一つに入り、
焼き鳥を食べ、ビールを飲む。
つまりかぐや姫は20歳を超えている、、、?
いやいや、そんなリアルな設定は恐らく存在しないでしょう。
だってあくまでも空想上の人物(?)なのですから。
じゃあ、主人公は?
それも同様だと思います。笑
また泣きながら
というのも、一番の歌詞に、YOKOHAMAの花火大会に行ったシーンで
”私には帰る場所がないの”と泣いてたんだ。とあります。
つまり二年前、帰る場所がないと泣いていたかぐや姫のことを
主人公は覚えていたのです。
そこでは”帰る場所がないの”と泣いていたのに、
今は”帰りたくないよ”と泣いている。
この矛盾を主人公はどう捉えたのか、
とても興味があります。

そしてこの曲で私が一番好きな箇所。
二番のサビ部分です。
【wow トーキョームーンライトステーション】
【君に言わなきゃいけなかったこと】
【僕はずっと忘れていたんだ】
【この銀河列車が発車する前に】

ここでこの楽曲についての私の考えを一つ。
一番のサビでは
【星空に列車がやって来る】
【月が君を迎えに来たんだ】

とあります。
つまり一番のサビ時点ではすでに銀河列車が
主人公とかぐや姫の前に現れているということになります。
ということは、この物語はすべて過去のもの、ということになります。
しかし、二番のサビ部分。
僕はずっと忘れていたんだ。ということはこの部分では現在に
戻っているということになります。つまり、
一番の初めから一番のサビ前、二番の初めから二番のサビ前にかけては
過去の回想部分、そしてイントロ、一番のサビ、二番のサビ、そして二番のサビ以降は現在目の前で起きている出来事ということになります。
現在、過去、現在、過去、現在、過去、現在と
時間軸が目まぐるしく変化しているのです。
普通に聴いていた時、こんなことは全く考えていませんでした。
しかし、何度も聞いているうちに少しずつ違和感が
生まれてきました。
この分析が合っているのか間違っているのかは分かりませんが。

話を戻します。
”君に言わなきゃいけなかったこと”
これはいったい何なのか。
”僕はずっと忘れていたんだ”
なぜ忘れていたのか。
当たり前の生活になっていたから?
と、疑問が尽きません。
過去抱くことがなかった気持ちが
彼女との別れを察して溢れ出してくる。
まさに主人公の”人間らしさ”が表れています。
しかし、この楽曲を通じて、かぐや姫は
”帰る場所がない”・”帰りたくない”の二言しか
発していません。
彼女の心情は読み取ることが非常に難しいのです。

この二番のサビが終わると間奏が入ります。
先ほどお話しした三味線と琴による
激しく、そして力強い”和”を象徴する間奏です。
NakajinとSaoriによる圧巻の演奏技術。
そしてライブでは特に、レーザーやライトによる
幻想的な雰囲気と合わさり、筆舌に尽くし難い
圧巻のパフォーマンスになります。

そして間奏終わり
ラスサビ前のフレーズ
【月の光が照らすその駅】
【僕が君に言えなかったこと】
【ありがとうを僕は忘れてた】
【君が月に帰ってしまう前に】
月の光が照らすその駅
本当はそんなことあり得ないのですが、
これこそまさにファンタジー。
そして二番のサビの部分の伏線が回収されます。
”ありがとう”この言葉こそ主人公がかぐや姫に伝えたかった言葉なのです。
この”ありがとう”にはどんな思いが込められているのか。
そもそも主人公は楽曲内ではあくまでも語り手に徹しているため、
彼の性格や見た目は一切分かりません。
ですから、「今まで一緒にいてくれてありがとう」なのか、
「自分の前に来てくれてありがとう」なのかも分からないのです。
何とも偶然から始まった二人の生活は恐らく突然、
終わりを告げられたのではないでしょうか。
だから主人公はかぐや姫に贈る言葉を探し、
必死に伝えようとする。
この後、ラスサビでは一番のサビと全く同じ
【wow トーキョームーンライトステーション】
【星空に列車がやって来る】
【月が君を迎えに来たんだ】
【この銀河列車が発車する前に】

というフレーズが歌われています。

Twilight cityでの銀河鉄道の演出


なので、主人公がかぐや姫に”ありがとう”を伝えることが出来たのか、
そして二人はどのような別れを遂げたのかは
歌詞からは読み取ることが出来ません。
しかし、私は個人的に最後に主人公がかぐや姫に”ありがとう”を伝えたことで、彼女を乗せた銀河列車が月に向かって走っていったのではないかと
考えています。
なぜか?
それはこの終わり方が私の考える一番ロマンチックな最後だからです。
分かれる寂しさはあるでしょう。
しかし、楽曲を通して一度も主人公が寂しい感情を言葉を現していないことからも最後は言いたかった”ありがとう”を伝えることが出来たのではないか
と思いました。

そしてアウトロ。
銀河列車が月に向かって走り去っているような、
だんだんと音が小さくなっていく演出。
SEKAI NO OWARIの楽曲は聴いただけで
情景を連想できることが特徴の一つです。

以上が私がムーンライトステーションを聴いた時に
感じたこと、です。
ものすごい量になってしまいましたね。
それだけ私のSEKAI NO OWARIに対する愛が強いのかもです。笑

長いのでゆっくり、読んでみてください。
そして、是非、ムーンライトステーションを聴いてください。
彼らの世界観に引き込まれます。END OF THE WORLDに。

fin.

追記
こんなに長いのに写真が一枚もないと読みにくいと思うので
少しだけ写真を追加しました。


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