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盆燈籠 〜最近編〜

 盆燈籠というのは広島、その地域にある文化の名残りらしい。思った以上に範囲は少なく、隣の県や離れている西地に行くと?みたいな顔をされた。

 もちろん現在も時期になれば普通にコンビニやスーパーマーケットでも販売されているのだが、広島の市内の様子は時代と共に変わって行くのである。
詳しくは以下の記事が参考に。


 私の実家の墓は西区にある。盆灯籠の習慣はあるものの、この5年位で変わって来た。

まず、ほぼほぼ住職の問題である。
盆灯籠は買うなり設置する事で、片付けは寺側(住職)がお盆が終われば全部回収する。田舎に至っては、本家の血筋や墓に近い親族が回収すると聞いた。
 そういえば子供の頃は少なくとも4,5本は立っていた。今思えば細い道がさらに細く、歩くのも大変だったのに刺しまくっていたなぁと思う。

 仲良い院主さんの話を聴くと、それでもお盆に家族が戻ってくる事でお墓さんもにぎやかになるなので回収も苦では無かったと。
それこそ家族ぐるめで引っこ抜いたらしい。また、当時はその竹を回収業者もいたし、単純に寺内で焚き木の様に燃やしていた時もあったらしい。(今ではそんな事はできない)

竹炭は囲炉裏のある家では良く使われた。

 何より住職も高齢化と。あとお参りに来る人も高齢化したのが原因だという。お寺の子供達も他の住職になって戻る事も少なく(忙しい時期だけに)なんともこの時代にあう理由である。もちろんコロナの影響もある。
どうするのか決めるのも壇家の集まりで相談したり、どちらかと言うと墓じまいのが心配という悲しい現実である。


 現在は私の所では?1本は指しても大丈夫。で紙を盆灯籠の変わりに起き、盆が終われば個々回収し誰が参ってくれたかが解かる仕組みになっている。

 父は地元で慕われていたので、寺近い人、昔の同級生などもたくさんお参りしてくれていた。

原爆の影響もあり、墓地は多くの死者が運ばれ行く当てのないケガをした被爆者が集まっていたという。
その光景はまさに悲惨で、震源地に近い寺町などはすごい匂いで埋め尽くされていた。
それでも復興し、墓を立て戦後を乗り越えた人達にとっても盆灯籠のきらびやかさは成仏を祈る家族の思いと、幸せにやっていますと言うご先祖様への思いがある。

寂しくはあるが、昭和の様なきらびやかな墓地は少しずつ普通のお盆へと変わって行く。

・・・しかし田舎はすごい。
 初盆で見に行った時白盆灯籠が30本以上あった。金の房かざりが風に揺られ気持ち良さそうに。親戚の爺ちゃんも嬉しそうに見てるだろうか。


経験はチカラです。 若い頃行っとけば良かったな〜と思う事も多かった。 世界は広いです♪ ٩(ˊᗜˋ*)و