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音楽的ダークサイドで得たものは財産だった

成績トップクラスでヴァイオリンを弾くという
鳴り物入りで大学に進学したのですが
気持ちが音楽に行ってしまっていたので
周囲の期待を大きく裏切り
最初の2年は軽音部でバンドをやっていたのですが
このままだとオーディオメーカーに入する人生確定だ・・・
それでいいのか?という気持ちが大きくなりました。
当時の理系進学者はVicter、Kenwood、Pioneer、ONKYO
に就職するのが王道でした。同級生もみんなそういう道を歩みました。
今のオーディオ業界の衰退を考えると感慨深いですが・・・
音楽で生きていくことはできないのだろうか?
私は2年で大学を辞めてしまいます。
幸いバブル期だったので割りと飯の種は転がっていて
高校で成績トップだった彼女も
大学を辞めた私を見捨てること無くずっと支えてくれました。
しかし肝心の音楽で行きていく事はとても難しいものでした。

私に足りなかったものはたくさんありましたが
最初にぶち当たった壁はビジュアルでした
私は身長が160cmしかないので
オーディションに身長で落ちることがとても多かったのです
ビジュアルを作る事はとても大切なことでした。
身長は伸ばせないのでせめてそれ以外は!ということで
当時は体重管理を厳密にやっていました。47kgしかなかったですね。

音楽的な壁といえばクラシックの世界と大きく違ったことは
楽譜は読めなくてもいいから即興で弾けなければならない事
リズムパターンとベースラインだけ提示されて
そこからコード進行をつけてメロディーラインを弾く
この一連の作業を瞬時にできなくてはなりませんでした。
JAZZの理論書を買ってめちゃくちゃ勉強しました。
ヴァイオリン時代には大嫌いだった楽典を
この時期は真剣に学びました。

THE REAL JAZZ GUITAR

更に大切だったことは自己プロデュースと
なりふり構わぬプロモーションです
なにしろ自分の認知をあげないと何も始まらないのです。
当時はインターネットがなかったので
なりふり構わぬ突撃行動をたくさんしました
直接出向いて覚えてもらうしか無いですからね。

でも一番大切なものが欠けていました。マーケティングリサーチです。
そもそもヘビーメタルというジャンルに大きなマーケットはないのです。
市場が求める音楽を作らないと音楽で生きていけるはずがないのですが
当時はそれがどうしてもできなかったですね。
自分がやりたい音楽に固執してしまいました。
月2回ペースでライブ活動をしてそれなりの固定客も付き
ムーブメント的なものも出来かけましたが
非常に小さな世界でした。
好きな音楽でそこそこ評価してくれる人のいる世界に
貧しくてもいいと割り切ればずっと居ることもできたかもしれません。
でもここまで私を支えてくれた彼女の事を考えると
コレではダメだ
これからは私が恩を返さないと。
30歳になったときに音楽を辞める決心をしました。

20代にろくな経歴もない私が社会人の世界に
30歳から入っていけるのだろうか?
ところが私の20代の経験は実は宝の山で
大学卒業し就職した人達を一気にぶち抜くスキルを
与えてくれていたのです。
音楽的ダークサイドで得たものは財産でした。

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