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勉強会や抄読会の担当で損をしない

多くの施設では定期的に勉強会や抄読会の時間があると思います。時間が経ってくると結構だれてきたり、マンネリ化してきたりするものなので「まあ、これでいいか」となりがち。

SNSなどで情報が溢れかえる中、多くの最新論文や技術は素通りしていきます。SNSで「あ、これ面白そう」と思ったらその時点でアブストラクトを開くか記事に目を通して手を動かさない限り、「あー、そういえばあの時あの記事にいいねしたけどどこ行ったっけか…」となるだけというのは身に染みて実感するところです。

施設における勉強会や抄読会は優先事項次第なものの、とにかく継続することに意味があることと話題にキャッチアップし続けることが大事なので、「こういう論文が最新のNEJMで発表されていました」「最近このテーマが話題だったのでまとめました」など新しい事情についていけるので非常にありがたいなというのが個人的な感想です。


TXPでも僕が指導している大学院や研究室でも、定期的に勉強会は行われていて、自分が学んだことや自分の研究の進捗を発表してもらい、そこに対してコメントしています。僕は結構グダ絡みをするのが好きなので(おっさん)、こういう時間は割と好きです。教授がずっと研究の話とかで盛り上がっているかもしれませんが、日々の雑事を忘れて自分が楽しいと思える時間なので(多分)温かい目で見てください。

ちなみに初学者に講釈を垂れるのが好きな人は一定数いますが、それは危険だという自覚はあってもいいのかもしれない。

僕は明らかに手を抜いた抄読会や発表準備に対しては結構厳しく当たります。他人の面前で難点を指摘することはしたくありませんが、当人の能力を踏まえても明らかに手を抜いているのが分かる場合は指摘しています。

時間がないから取り敢えず記事を切り貼りして、DeepLで訳したものを貼り付け、意味が通るようにだけして、あとはなんとか乗り切るというような発表は見ればわかる。自分が通ってきた道なので。

ただ、単純に損なんですよね。

医学生でインターンに志望したり、大学院まできて勉強しようという心意気と能力のある人にとって、そのようなプレゼンをしてしまうのはその人が過小評価されるだけなので損でしかない。そして、忙しい中時間を割いて集まったみんなの時間も多分無駄にしています。

せいぜい数ヶ月に一回の自分が担当の勉強会を、取り敢えずでパスするのか、自分なりに面白いと思っていることを熱意をもって示すのか、指導者側がどう思うかは想像に難くありません。自分だって、発表の上手な人がいれば「あ、この仕事だったらあの人に任せみようかな」ってなりますし、指導者側は想像以上にそういうところを意識的にあるいは無意識的に見ています。


プレゼンテーションの大切さを福井大学の救急部にいた時に学ぶことができたのは大きかったと今でも思っています。大人気講師であった寺澤秀一先生や林寛之先生は常にプレゼンテーションにユーモアを入れ、適当なスライドで適当に発表するということはまずありませんでした。ユーモアを入れるにはセンスやら恥ずかしさやら個人の性格がかなり関与するので無理する必要はないですが、意識はした方が多分良いでしょう。寺澤先生はいつも島田紳助や綾小路きみまろを見て勉強したと言ってい他のは本当にすごい。

若手の時には気付きにくいのですが、自分の施設の指導者が他の施設からしたら「羨ましい」ということはよくあります。灯台もと暗し?というか身近にいすぎてその価値が分かりにくかったりするケース。

大学院の授業では、みんなが教えを乞いたいような優秀な先生方が時間を割いて学生の研究を指導しています。TXPの勉強会でも専門的知識を持ったメンバーが忙しい中で時間を合わせて集まってくれていて、正直これほどのメンバーとディスカッションできる環境はそうそうないと思っています(手前味噌で恐縮)。

進捗報告会なら短い方がいいですが、みんなが時間を取って集まった場所で、準備が不十分なために自分が学んだことや研究課題を発表できないというのは、コメントをする気が失せてしまうんですよね。

常に視聴者が誰か?メッセージは何か?はできるだけ意識してプレゼンテーションは行うようにという、当たり前のプレゼンテーションの指導を定期的に勉強会でも行うべきなのかもしれない。

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