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稲田万里と、竹内まりやと。 #全恋

 稲田万里の処女作「全部を賭けない恋がはじまれば」が、2022年10月31日に、ひろのぶと株式会社から発売された。

 のっけから、「新年一発」「パイパン事件」という言葉が目に入る。
 処女作だけど、セックスと恋愛に関する短編小説という「清純派AV女優」みたいな「処女作だけど、処女じゃない」本である。

 「新年一発」は、松方弘樹の著書「きつい一発」のオマージュなのだろうか。多分、違うのだろうが、それに匹敵する位の、「人生、この野郎!」なインパクトを感じる本ではある。

 この本に関しては、既にたくさんの書評が寄せられているが、あらかわてんこさんという方が書いた「稲田万里と、あいみょんと。」のnoteを見た時にわたしは大変焦った。

 「まずい、モタモタしていると、先に「稲田万里と、さとうもかと。」を他の誰かに書かれてしまう!」と。
 そんなツイートをしていたくせに、この書評のアップは、11月14日になってしまった。遅すぎである。しかも「稲田万里と、竹内まりやと。」と、noteのタイトルを変えているし。

 そうなのだ。わたしはこのnoteのタイトルを当初「稲田万里と、さとうもかと。」にしようと思っていたのである。

 稲田万里さんのことをはじめて知ったのは、おそらくTwitterの田中泰延さんのリツイートがきっかけだったと思う。その当時は、コスモ・オナンと名乗られていた。当初は、カタカナ名前と占い・人生相談というプロフィールを見て「ジェーン・スーやトイアンナみたいなポジションの人なのかな?」と、勝手に同じ括りにしていた。

 その後、コスモ・オナンのアカウントをフォローしたら、エロいツイートと恋愛に狂ったツイートが、よくTLに流れてきた。そうしたツイートを読んでいて、脳裏をよぎったアーティストが、さとうもかである。

 さとうもかの一番の特徴は、癖の強い歌声である。「ゲスの極み乙女」の川谷絵音は「無邪気さと切なさが共存した稀有な声」と評した。甘えるようなかわいい声と、悲痛な思いを叫ぶような裏声が共存する、中毒性半端ない歌声である。語弊があるかもしれないが、恋に狂って、ちょっと情緒不安定な女性の心情の歌に、さとうもかの声はとてもよく合う。そして、この唯一無二の歌声に、女性の激しい感情を表現したかのような、「ギャン泣き」のエレキギターが加わり、狂気の度合いが更に増す。最高である。

 なんだか、さとうもかのことを語りすぎた。話を元に戻す。
 本を手に取ると、ピンク色にハートマークたくさんのブックカバーに目が行く。これもまた、さとうもかの世界観と重なる。そして、「プロローグ 新年一発」を読み進めていくと、9頁の一番最後で、この一文に出会う。

「全部を賭けない恋がはじまればいいな」


 ここでわたしは「あれ? 恋愛に人生全振りしないんだ!」と思ったのである。そういえば本のタイトルは「全部を賭けない恋がはじまれば」だったことに今更気づく。ていうか、早く気づけよ。

 こうなると「稲田万里と、さとうもかと。」ではなくなってくる。仕方がないので、この書評タイトルは、稲田万里が「恋に狂って、恋愛に人生全振りした女」を描いた次回作を出す時まで温存することにしたい。

 では、「全部を賭けない恋がはじまれば」は、「稲田万里と」誰になるのだろうか。わたしの脳内Spotify検索は、即座に検索結果をはじきだした。
 それは、竹内まりやであり、曲は「プラスティック・ラブ」である。  
 YouTubeを通じて世界中でバズり、いまや「ジャパニーズ・シティ・ポップ」の代名詞となった曲である。

 「全部を賭けない恋がはじまれば」と重なっていると分かる部分は、次の歌詞である。

私のことを決して 本気で愛さないで
恋なんてただのゲーム 楽しめばそれでいいの

「プラスティック・ラブ」

 ミュージックビデオを見ると、男女がタクシーに乗っている。東京タワーが映ったので、港区あたりだろうか。どこかのホテルに入るが、掃除のバイトイケメンとすれ違う。多分、バイトのイケメンともなにかあるのだろう。

 この後は、ミュージックビデオの限界なので、「プラスティック・ラブ」をBGMにかけながら、FANZAにログインし、エスワン制作「交わる体液、濃密セックス」シリーズを視聴する。これで大体合っていると思う。

 「全部を賭けない恋がはじまれば」も、この「プラスティック・ラブ」の恋愛観と同じ
である。
 しかし、舞台となる東京の街は違う。高円寺である。   
 「プラスティック・ラブ」の歌詞にある「流行りのディスコ」は、中央線ガード下の「ラーメン&カレー タブチ」に置き換えるのが適当だろう。

 引き続き、「全部を賭けない恋がはじまれば」を読み進めていく。第一章「性欲」は、タブチのカツカレー並のハイカロリーな、性欲強め女子の描写が続く。

 「下味」では、彼氏のために夕飯の唐揚げをつくる描写がある。彼女は、鶏肉と下味用のしょうゆ、にんにく、しょうがをポリ袋に入れて、揉み込んでいく。

これは確実にキンタマである。もみもみもみもみ。うん、これはキンタマである。

「全部を賭けない恋がはじまれば」p.38

 悔しい。この文才に嫉妬する。そしてわたしは、平野レミが、NHKの料理番組で「チン汁!チン汁!」と連呼していた時の衝撃を思い出した。
 なお「チン汁」とは、豚バラ肉にラップをかけて、電子レンジでチンしたら、溢れ出てきた肉汁のことである。

 

 平野レミ研究家としては、「チン汁」以外にも数多ある、平野レミの料理関連下ネタを紹介したいが、このnoteは「全部を賭けない恋がはじまれば」の書評だった。自重することにしたい。

 また話がそれてしまった。話を元に戻す。実はまだ、185頁あるうちの、38頁までしか読み進めていない。いい加減にしろ。書評は一旦書くのをやめて、読むことに専念したい。

 ということで、「稲田万里と、竹内まりやと。」と題した書評の結論は、
「全部を賭けない恋がはじまれば」=「プラスティック・ラブ in 高円寺」
である。

 もしかしたら、この後読み進めていく中で、私の脳内Spotify検索が、竹内まりや以外の別のアーティストをヒットするかもしれない。その時には改めて「稲田万里と、○○と。」を書き起こしたいと思う。

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