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果無集落

「果無(はてなし)」とは、まことロマン溢れる、そして寂寥感漂わせる地名だと思うのです。

ワタクシの「果無」への憧憬は、宇江敏勝氏の著書によって増幅されたと思うのです。

宇江敏勝氏の本。評論するのもなんですが、文章(表現力)が優れてうまく、誰にも書けない体験に基づく内容は新鮮で、説得力あるものです。また読み返そかな。

宇江敏勝氏のプロフィール
「1937年、三重県尾鷲市に生まれる。和歌山県立熊野高校を卒業後、紀伊半島の山中で林業に従事するかたわら、文学を学ぶ。現在、エッセイスト・林業」(宇江敏勝著「山びとの動物誌 紀州・果無山脈の春秋」新宿書房 奥付より)

同人誌に参加されていて、そこに近しみを感じたこともあり、かつて、氏の著書を耽読しました。氏の著書の主な舞台である紀伊半島の山々、とりわけ果無山脈に深く分け入ってみたいと、ワタクシが妄想するようになるのは自然なことでした。

そんなわけで、十年前に一度、果無山脈を望む「果無集落」を訪れたことがあるのですが、今回、再びこの地を訪ねましたので、ご紹介します。

果無集落は、「世界遺産 熊野参詣道 小辺路」が通る、尾根道沿いの小さな集落です。

奈良県十津川村桑畑。(昔、桑畑があったんかな?)

集略の地形は、細長くて傾斜ありますが、だいたい標高は400mぐらいです。天空の郷、と呼ばれる由縁です。

ちなみに集落から南に見渡す果無山脈の最高峰は1,262m(冷水山)です。

写真は北を望む。正面の山は果無山脈ではありません。(果無山脈は、反対方向)
この写真(正面の連山)が果無山脈です(たぶん)。

山の集落は、少しでも広い平坦地を得るために石垣を積みます。集落の石垣は、何代にもわたる人間の歴史です。

この日、人影はありませんでした。

水は遠くの山から引かれていると推測します。そして、池には鯉が。

かつては雑飯を余すところなく鯉の餌とし、窮乏の非常事態には人を助けたのではないかと想像しますが、今は、どうなんでしょう?

天空の地に、今も水田があります。驚きです。
草一本ありませんから、今年も田植えをなさるのでしょう。

緑のネットは鹿対策だと思います。
農業に水は必須。遠くの山(果無山地?)から沢水をパイプで引いてきていると推測します。
振り返ると果無の山々が連なっていました。


   雲切れて果無集落黄水仙

(お粗末)

[付録]

十年前に果無集落に初めて訪れた時の写真を見つけましたので、掲げておきます。2014年12月30日です。

変るものと、変らぬもの…
比較も面白うございます。

この時は野菜が植えられている。今は畑利用されていないかもしれない。
この時の農機具は現役でしょう。
十年後の鯉の、十年前?
稲を刈り取った株があります。この時は、確実に水田耕作されている。
干し芋。 うまいやろなあ😋


十年前の写真を見て、今はすこし寂しい感じがいたしました。人口減?


おしまい

2024.3.21
(2024.4.5投稿)