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使うことば


私は仮初にもキルト講師の資格を持っているので、キルトに関する用語はまるで自分のモノのように扱う。

例えば、アーミッシュキルトというのはね、ドイツからアメリカのペンシルバニア州に移住した人々から生み出されたキルトデザインなんですよ、なんて、実はアンチョコを見ないとスラスラできない解説を、息を吸うように語るのを厭わない。

それは、ある期間ある程度の質と量のキルトに関する理論や制作を学び、それが一部の人たちに認められているのだという自負があるからだろうと思う。
会得しているかどうかは別として。

けれど、キルト作りやキルトの歴史など資格をとりに行かなくともいくらでも学べるし、用語を誰がどこで使おうがまったく問題ない。

それに、誰かが門前の小僧よろしく習わぬ経を唱えたとしても、私はそれに気づけないと思う。
大したことないのだ、資格なんて。
にも関わらず、こと自分のこととなると心の中でブレーキが掛かる。

介護サービス相談員として施設利用者の話を聞き、施設管理者に報告をする時もそうだ。

「この方は車椅子を自分で動かすことができますか?」
と問うのに対して、管理者が
「自走できます。」
と答えれは報告書に自走できるとのことと書く。

管理者が「自分で操作することができます」と答えれば
自分で操作することができるとのことと書く。
私の中で"自走"に変換しない。

私は介護従事者ではないから自走という用語を使い慣れていない。
一応ホームヘルパーの資格を持っているので専門用語を習ったが、日常使わないので大半忘れている。
車椅子を自走すると言うのなら、他の専門用語も難なく扱えなくては、なんだか借りてきた言葉のようで恥ずかしい。

いつまでも素人臭いせいか、訪問先の施設管理者に馬鹿にされたりする。
こちらは専門職をリスペクトしているつもりなのに残念この上ない。


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