【日記】パーティー追放ものに学ぶ日
最近、ネットを見てるとよく出てくる広告がある。
RPG的な世界で、主人公はパーティーの雑用を任されている。
リーダーはトロトロしている主人公に痺れを切らし、ついにはパーティーから追放してしまう。
ここで意外な展開。
実はこのパーティーが強かったのは主人公がみんなにバフをかけまくっていたからで、彼がいない今では序盤のステージで全滅しかねない有様に…
というようなストーリーだ。
こんな感じの話は「パーティー追放もの」とまとめられるらしい。
ちゃんと読んだことないのでよく分からないが。
僕はこの手の物語が苦手だ。
ストーリーが面白くないとかマンネリ化しているとかではない。そもそも読んでないし。
なにか、読者の心をくすぐろうとしているように思えてしまうのだ。
主人公に冴えない自分を重ねて、『自分がいなかったらお前らこんなに困るんだぞ!ウェヘヘ!!』みたいな妄想に耽らそう、みたいな。
誰かにとって必要な存在でありたい、認められたいという気持ちは大多数の人に共通するものだ。
僕なんか特にその願望強い方だと思う。
かといって、その発露が『自分の不在で困る他者を見たい』ってなるのは、言葉を選ばず言えばちょっと幼稚かなと。
いわゆる『ヒス構文』にも通じる。
「私なんていなくなっちゃえばいいんだ!?」
こういう言葉には、言外に『そうなると困るのはお前だが?どうだ私が必要だろう??』というニュアンスが含まれている。
このフォーマットをストーリーとして落とし込むとパーティー追放ものになるわけだ。
ここまで考えて、ふと立ち止まる。
『自分がいなくなることで他者が困ればいい』なんて考えは確かに幼稚だ。
しかし、幼稚がゆえに原初的でもある。
『僕がいなくなったら周りの人は困る(≒悲しむ)よね?』
そんな可愛い思い上がりさえも切り捨ててしまうから僕は自己肯定感が低いんだろうなと。
つまりは同族嫌悪なのだ。
こんな物語で素直に溜飲を下げてしまうような、幼稚な感性を持っている読者たちも、
心の底ではそんな物語を欲している自分も、
まとめて苦手なんだ。
…ネット広告から自己分析のきっかけを与えられた。
何からでも学ぶことはあるものだなぁ。
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