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メタバースとスピリチュアルペイン

信仰は人それぞれであるが、日本人の葬儀の多くは未だ仏教である。
終末期に限らず、解決できない個別の人生に関わる苦悩として”スピリチュアルペイン”が存在するが、宗教はこのスピリチュアルペインに対して一定の救いを与えてきた。しかし宗教の本来の目的である、宗派の教えや経典を理解している者はかなり限定的となるのが現状だろう。

当然ながらそこには多くの要因が影響しているが、日本の民俗学者である五来重は『仏教と民俗 仏教民俗学入門 (角川ソフィア文庫)』の中でこう述べている。

「現代の仏教は「知恵の宗教」で、呪術や苦行を排し、高い知性をほこっている。仏は覚者であって、諸法皆空とか諸法実相とか、あるいは中道などの真理を覚る般若(知恵)と禅定(瞑想)を理想とする。このような仏教は衣食のわずらいなく優雅に思弁し、瞑想することのできるエリートの宗教で、日々の生活にあくせくする庶民のものではない。古代から仏教の基層をささえてきた庶民は、現代の「知恵の宗教」から完全に拒絶されたのである。」

宗教は常に時代に寄り添いながら救いを与えてきたが、現代社会においては日本の仏教は既に多くの人にとって形骸化しつつあるとも言える。
宗教によって救済されなければならないのは、教団やインテリではなくて、知識も財もない一般庶民であるべきである。

一方で、人々はつながりを求めようとする根源的な欲求をもっている。
Web2.0が可能にしたSNSの世界で、私達は「いいね」やリツイートやシェアの数をチェックすることで、自分が投稿したコンテンツへの他人の反応が肯定的か否定的かを監視できる。様々なアイデンティティーを試しては他人の反応をうかがい、自己呈示を更新して帰属意識を味わうという人間的な営みが、ソーシャルメディアによってはるかに簡単にできるようになった。
孤独、不安、絶望といったある種のスピリチュアルペインとしての”叫び”はソーシャルメディアの中に響き渡り、その叫びは宗教に向かうのではなく、SNSの世界で自己呈示に反応を示す仲間との帰属意識の中に救いを感じている人々も多い。
Facebook、Youtube、Instagram、TiktokといったSNSの歴史を見ても、人は”自分が体験している世界をなるべくそのまま表現できるデジタルモデルを求めるものだ”ということを考えると、メタバースの世界の進化は必然的に人を惹きつけていくのだろう。
そうすると、メタバースの世界に救いを求める人々が出てくるのは自明の理であり、スピリチュアルペインの緩和の場となる可能性を十分秘めていると考えられる。そして仮想空間としてのメタバースには不老不死の世界が広がっており、バーチャルの世界に来世を見出す人間がいても不思議ではない。

既に下記のような取り組みも増えつつある。

メタバースの教会に行って感じたこと 仮想空間で与えられた思わぬ証しの機会 : 国際 : クリスチャントゥデイ (christiantoday.co.jp)

pubmedやgoogle scholarで"metaverse", "spiritual pain", "End of life"といったワード全てにヒットする文献は見当たらなかったが、中国などを中心に類似の取り組みに関する論文がいくつか出ていた。これから更なるテクノロジーの進化と研究が進めば、入院患者にメタバースを治療として提供する未来があるのかもしれない。

人類は自己の能力を強化することよりも身体機能の外部化を図りながら飛躍的な進化を遂げてきた。情報の共有による知能の外部化もまたその過程とも捉える事が出来るのかもしれない。

能力の外部化とは異なるが、以前読んだ『時間資本主義の時代 あなたの時間価値はどこまで高められるか? (日本経済新聞出版)』(松岡真宏著)の中で下記のように述べられていた。

「休みのたびに出かける近所の公園は、もはや周りの人と共有している庭だとも考えられる。ここ数年、東京・代々木公園をはじめとする都心の大きな公園では毎週末、何かしらのイベントが開催されている。代々木公園に限らず、都心の公園が週末かなりの人で賑わっているのは、庭の「外部化」が進んでいるからではないだろうか。まさに「借景」の拡張版とも言える。  こうしたパブリックな公園で他の人とつながることも可能だし、情報通信端末を携帯して公園にいない人とつながることも自由自在である。後者のつながりは、まさに拡張現実としての仮想庭であり、パーソナル空間のパブリック空間への浸み出しと見ることも可能だろう。  昔の感覚では、ちょっとした書斎を持つことがひとかどの男として重要だった。しかし、書斎を持つためにオフィスから離れた所に居住し、長い通勤時間を甘受することは、時間資本主義の時代に果たして合理的な考えかどうかは疑問が残る。むしろ、家に書斎がなく、ファミリーレストランやコーヒーショップを書斎化するほうが現代的だと言える」

実際の感覚としても納得できる内容であり、社会を見渡してもそういった方向に向かっているのを実感する。家の外部化とも言えるのだろうか。もし外部に向かおうとする力が本能であるとするのであれば、個と社会の境界線は今後どのようになっていくのであろうか。

その中で医療はどうあるべきなのか、社会から何が求められているのかを柔軟に考えながら人々のための医療を探していきたい。



<参考文献>
仏教と民俗 仏教民俗学入門  著者:五来重 出版:角川ソフィア文庫
ザ・メタバース 世界を創り変えしもの 著者: マシュー ボール 出版:飛鳥新社
TIME CAPITALISM 時間資本主義の時代―あなたの時間価値はどこまで高められるか?著者:松岡 真宏 日経BPM(日本経済新聞出版本部)

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