平成最後の日に

 陛下。

 そうお呼びするのも、なんとなく抵抗を覚えます。僕は自分をあなたの臣下だと思ったことはありませんから。

 僕は昭和三十四年生まれです。子供の頃は大人たちが天皇制の是非について語り合って……正確には唾を飛ばし合っているのを横目で見てきました。だから天皇とはその存在の是非について問われるものだと認識していました。そしてなんとなく……なんとなくですが、天皇は必要ないんじゃないかと思っていました。「いつかまた天皇が政治利用されて人々が戦争に導かれてしまうかもしれない」という言葉に現実味を感じていたからでもあります。実際あなたの父上、昭和天皇はそのようにして戦争の泥沼に日本国民を送り込んでしまったのですから。
 その昭和天皇が亡くなり、あなたが新しい天皇になりました。国中がざわめいている中、僕は冷めていました。二十一世紀も間近だというのに、いまだに旧態然とした制度が引き継がれていくことに軽い幻滅さえ抱いていました。だからその後のあなたの行動についても、最初は斜めの視線で眺めていました。

 その気持ちに変化が起きたのは、平成三年のことでした。雲仙普賢岳の噴火です。あなたは噴火がまだ収まらない状況の中、被災地を訪れました。正直、それってスタンドプレーなんじゃない、と最初は思いました。被害に遭って右往左往している現地のひとたちにとっては逆に迷惑なんじゃないかとも思いました。
 そんな僕は、しかしテレビに映った光景に、大げさでなく眼を疑いました。被災者が避難する体育館を訪れたあなたが、固い床に膝をついて、同じ視線の高さで被災者と直接話をされていたからです。天皇について敬意なんか抱いていないと思っていた僕でさえ、一瞬脳裏に「不敬」という言葉が浮かびました。いや、誰かが天皇の前に立ったのではない、天皇が誰かのところにまで降りてきたのだ。そのことを理解するのにいささかの時間がかかりました。と同時に「このひとは、違う」と思いました。僕が頭で理解していた天皇とは異なる考えの持ち主だと。

 思えばあなたは皇太子の時代から、そんなひとでした。皇族として初めて沖縄を訪れ、火炎瓶を投げつけられても、何度でも、何度でも戦争で亡くなった人々への慰霊を続けました。
 そして天皇となってからも、大きな災害が起きるたびに現地を訪れ、また海外の戦地だった場所や日本軍と戦った人々の前に姿を見せ、戦争の悲惨さと、もう二度と戦争を起こすべきではないという考えを述べられました。
 そんな姿を見ているうちに、僕は気づきました。このひとは自分自身がそこに赴くことで何かを成そうと思っているのだと。
 何か……曖昧な言い方です。僕自身、まだきちんと言葉にできません。あえて言うなら、鎮護……災いを鎮め、地を平和にすること、でしょうか。

 戦後、憲法によって天皇は「象徴」というものになりました。天皇は現人神から象徴という、もやっとした存在に変えさせられました。
 そしてあなたは、最初から象徴として天皇となりました。
 象徴。象徴。象徴。何でしょうね、象徴って。
 たぶんあなたもそのことについて悩まれたのではないかなと推測します。自分が何者か、どうあるべきかについて。
 そして考えた結果が、自らを「そこ」に赴かせることだった。

「心を寄せる」……よくあなたが使われている言葉です。
 どういう意味か、よくわかりませんでした。お為ごかしみたいで、好きではなかったです。
 でもあなたが被災地で、戦争の地で、言葉を発せられる度に、少しずつですがあなたの言葉を理解できるようになった気がします。
 あなたが心を寄せるとき、あなたを象徴とするこの国が、その人々に心を寄せている。放っては置かない、助けます、と。だから、この国の住民であるあなた方もまた、天皇と共に心を寄せ、見捨てることなく、助けましょう、と。
 国民に忘れさせないこと、関心を向けさせ続けること。たしかにそれは、天皇という立場の人間にしかできないことです。
 たったひとり、自分にしかできないことを、ただやりつづけている。
 そのことに気づいたとき、僕ははじめて、あなたに深い敬意を抱くようになりました。
 天皇だから、ではありません。あなたに尊敬の念を抱いたのです。

 今でも僕は天皇制については疑問を抱いています。
 もしもあなたの息子が何かしでかすようなら、やっぱり天皇制なんかぶっ潰してしまえと言い出すかもしれません。
 でもきっと大丈夫だと思います。僕のひとつ年下であるあなたの息子も、あなたの行動と言葉を身近で見てきて、象徴としての天皇が何をするべきかをしっかりと考えていると思いますから。

 今日で平成が終わります。
 あなたは天皇という地位を降ります。
 心から、心の底から、感謝の言葉を述べたい。
 ありがとうございました。


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