ルソー『社会契約論』を読んでいる。
フランス革命に大きな影響を与えた本書。まずはキャッチーな書き出しからスタート。
ここから議論が展開していき、あの一般意志へと至るのだが、そこには後にルソー問題として語られる全体主義への思想への萌芽が散見される。
ルソーにとっては、自然状態こそが人間が本来あるべき姿だった。しかし、その自然状態がもはや保てなくなった時、一体人間と社会はどのようにして存在しうるのか、それが議論の出発点となる。
社会契約が結ばれた時、その構成員は自らの権利を共同体に譲り渡す。共同体のすべての構成員は自らの権利を共同体に委譲し、それにより共同体はすべての構成員の幸福を保証するのだから、それぞれの構成員は自分が失ったものと同じ、あるいはそれ以上の価値を手にすることになる。この共同体を導く意志が、一般意志と呼ばれる。
一般意志に導かれ、一つの生命体の如く振る舞う共同体。身体の各部位が勝手に振る舞うことがないように、共同体の構成員も、一般意志に反する行為を行うことは禁じられる。一般意志は、共同体の公益を目指す。それは、共同体の構成員それぞれの意志の集積、つまり全体意志では決してない。個々人の単なる集まりは、時として一部の人間の利益のみを目指すだろう。あるいは人間は、自分の幸福が何かを知らない場合さえある。一般意志とは共同体全体の価値を最大化する、決して間違うことのない、個々人の意志の上位に存在する、絶対的な存在である。
一般意志の行使を主権と呼ぶ。故に主権者とは集合的な存在として定義される。そして、構成員全体の意志である一般意志が表明されると、それは法になる。一般意志、あるいは主権の力は、ついに個人の生死にまで及ぶ。
ここに至ると、さすがに行き過ぎの感がある。一般意志を人工知能と結びつけた世界を描くと、アニメの「サイコパス」になる。
近未来の社会。シビュラシステムと呼ばれる人工知能によってすべての市民が監視され、その犯罪係数(犯罪を犯す可能性を数値化したもの)が可視化される時代、主人公の刑事たちは潜在的な犯罪者を追い続けていく。シビュラシステムは社会の安定のために公益を損なう可能性のある個人を消去していく。