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ベイトソンとPythonとシュルレアリスム

一月の総括。読書とPythonの勉強に彩られた月だった。

まずは読書から。今月読んだ本は、バーチャル美少女ねむさんの『メタバース進化論』、ハンナ・アレントの『人間の条件』、モリス・バーマンの『デカルトからベイトソンへ』、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、そしてグレゴリー・ベイトソンの『精神の生態学へ』。

月初にドラッカースクールの山脇秀樹教授の本に導かれ、自分の今後のキャリアについて考えた。そこで出てきた方向性が、学生時代に研究してきたアントナン・アルトーの影響も織り交ぜながら、シュルレアリスム的な主体の溶解とその再構築、あるいは環境との新たなる関係性の構築、それをビジネスに地平において実装できないか、という問いの探究だった。

そんな記事をnoteに書いてみたところ、バーチャル美少女ねむさんから「スキ」をいただき、メタバースにも興味がわき、せっかくなのでご著書の『メタバース進化論』を拝読することにした。そこで新たなる公共空間としてのメタバースの可能性を感じ、公共空間といえばということで前々から読み終えようと思っていたアレントの『人間の条件』をなんとか最後まで読み進める。現代における公共空間の可能性、という問題はそれはそれで面白いので、しばらく温めておくことにしようと思う。

一方で、そもそもの関心は主体の再構築。あるいは、環境と主体の境界線の溶解。これはおそらくベイトソンだろう、ということで、ベイトソンに近接していく。そもそもベイトソンに注目したのは、毎週聞いている(通勤中に電車の中で聞いているので)Weekly Ochiaiの影響。まずは落合陽一が強い影響を受けたというモリス・バーマンの『デカルトからベイトソンへ』を試してみることにする。先月読んだ村上陽一郎先生の科学史とも共鳴する部分があり、また世界の再魔術化としてのシュルレアリスムについて言及しているところもあり、なかなかに面白かった。今年は、アンドレ・ブルトンがシュルレアリスム宣言を発表してからちょうど百年目。あらためて、シュルレアリスム2.0を宣言する時期が来たと感じる。

そのままベイトソンに移行しようと思ったのだが、文庫本を鞄に入れてくるのを忘れたためページをめくることができない。手持ち無沙汰のなか急遽キンドル版で読み始めた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。社会学の原点とでもいうべきこの本を、とりあえずは読み終えた。

ベイトソン。現在まだ進行中だが、ここに様々な可能性を感じる。Pythonとベイトソンが私の頭の中で共鳴しながら、新たな世界の記述方法を表出させようとしている、その萌芽を感じる日々。ベイトソンのダブルバインドや学習Ⅱは、Pythonにおける関数内関数によってこそ記述されるべき世界の切り取り方なのではないか、とか。Pythonにおいては関数すらもオブジェクトである、というこの世界観は、コンピューテーショナルな存在としての自己と環境とをホリスティックに把持するうえで決定的なファクターになりうるのではないか、とか。あるいは、大規模言語モデルをベースにしたシュルレアリスム的芸術様式の発現がこれからの新たな芸術の地平になるのではないか、など。

今後の方針として、まずはベイトソンを読み終える、そのうえでオブジェクト指向オントロジーとレインの『引き裂かれた自己』に向かう。同時に、Pythonを自由に使いこなせるレベルまでもっていく。Pythonは思想的なフェーズで使用すると同時に、こちらもそういえば今月コミットしていた資産運用、特にポートフォリオの調整インフラの武器としても活用していく予定。よく分からないが、GitHubもインストールはしてみた。いずれにしても、思索と試作の二月がこれからも続きます。

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