私たちは乾いている

 私は生ぬるくなったペットボトルを飲み干した。舌先を延ばして、最後の一滴までからめ取る。
 暑い。これだけ水分を取っても、まだまだ身体は水分を欲している。
 サークルスペースから、人の流れを見つめる。みな、暑さに屈せず、きらきらとぎらぎらと戦利品を求めている。
 帰ってきたという気がした。年に一回、無事に当選できた夏コミのサークル参加。去年の冬コミは落選したので、本当に一年ぶりのコミケのサークル参加だ。
 私はもうこの某アニメジャンルで十五年間本を出している。時々、いわゆる流行ジャンルに浮気をすることもあるが、結局このアニメに戻る。リアルタイム時は、そこそこの規模を誇ったが、今ではすっかり落ち着き、サークル数もごく僅かだ。それでも私はこのアニメを愛し続け、二次創作や考察本の作成を続けている。まったく語りがいのあるジャンルに出会えて幸せそのものだ。
 今回の新刊はカップリング本だ。馴染みとなった方の他に、ネットの動画配信ではまったというご新規の方もちらほらといたのが意外だったが、それでも全盛期と比べればかなり落ち着いた雰囲気がジャンルスペースに漂っていた。
 だけれども、会場内の参加者の熱気がそのまま気温の上昇に繋がるのは避けられない。なにしろ日本最大級のイベントだ。己の求めるものを手に入れるべく何万人もの参加者が集まる。書き手も読み手も、ここで求め、手に入れようとする立場であるということにおいてはまったく対等な立場なのだ。
 萌え、燃え、言葉は様々だけれども、心の渇きを癒すものという意味では同じだ。
 私が住むリアルと呼ばれる世界は、私を潤してはくれなかった。もちろん、世界は私の思うがままであるべきだと傲慢な考えを持っているわけではない。ただ、そのリアルで必要されるのは、愛想が良くて機転が利いて、空気の読める技能を持った人間だった。私は、いつも物事を前にして躊躇し、結果として周りのリズムを崩す協調性に欠けた人間だと見なされていた。みなと合わせようともがくほどに、リアルとのズレは大きくなっていく。
 なんとかついて行っていこうとしたが、世界との違和感は大きくなる一方だった。
 そんな時に出会ったのが、このアニメだった。もともとアニメやマンガはそこそこに見ていたが、死と隣り合わせの絶望的な世界において、希望を失わずまっすぐに歩もうとする主人公の気高さに圧倒された。そして、彼の良き理解者でありつつも、己の信念のために袂を分かつことになる親友の存在に心惹かれた。
 この物語、この世界、この登場人物、すべてに魅了された。もっと深く知りたい。その欲求は深まるばかりだった。
 学校帰りの本屋で、このアニメが表紙を飾っている雑誌が棚に並んでいるのを見つけ、気づいたらレジに並んでいた。クラスメイトがその光景を目にしていて、それがきっかけで私に烙印が押された。
 そして、そのせいで私の人生は、さらに居心地が悪くなったのか、それともこのアニメの存在で救われたのか、今ではもう分からない。
 とにかく、とりつかれたように手当たり次第に雑誌や当時普及し始めたネットで情報を収集し出した。
 そこから、二次創作や同人誌という存在を知るのは時間の問題だった。
 いわゆる腐と呼ばれるファンたちの二次創作に初めて触れたのは、ネット小説だった。過激な性的描写も無いのに、主人公と親友が恋愛関係にあるという解釈だけで、とてつもない衝撃を受けた。それは刺激的だったが、魅惑的だった。
 私はずっと疑問だったのだ。この二人はどうしてこんな風に互いのことを思いやり、心の中で繋がっているのに戦わざるを得ないのか。
 一人のファンの手によって、私の問いに対する解答の一つが提示されていた。もちろん公式の見解でないのは承知の上だ。そのサイトからリンクを辿り、様々な解釈の二人に出会った。納得できるものもあればできないものもある。
 ならば、私もこの愛すべき世界に解答を求めよう。
 それが今の私の始まりだった。

 もう一本ペットボトルを手に取る。
 会場の天井付近がぼんやりと白く濁って見える。私たちの身体から流れ、蒸発した汗から生まれた水分が、冷房によって冷やされ、雲のようになる。いわゆるコミケ雲だ。
 ぽつん、と水滴が一滴、私の頬を濡らしたような気がした。
 それは私の喉を潤すことはなかったが、確かな存在感があった。ここに集った私たちが降らせた雨だ。ここに至るまでの物語はみな違う、けれども、同じものを求めている。
 雨を降らせるほどに体中の水分を搾り取られても、私たちはこの場を愛して離れられない。

 それほどまでに私たちは渇いているのです。
 身体ではなくて。
 どうしようもなく、渇いているのです。