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肩の怪我にも関わらずピアノを弾く理由


私はピアノが好きです。

10年ほど前、娘を亡くすと言う
とてつもなく悲しい経験をしました

ピアノが全く弾けなくなりました。
触れることも見ることも
出来なくなりました。

鬱になり、外にも出られない日が
長く続きました。
その頃の我が家は保育園がすぐ近くにあり、
外に出たら娘と重ねてしまう子供たちが
沢山遊んでいました。
保育園が近いからか、妊婦さんも沢山いました。
外に出られませんでした。

娘のために頼んでいた『こどもチャレンジ』
娘が亡くなっても、届きます。
すごく辛い…
だったら止めたらいい。
でも止めたら亡くなったことを認めることになる。
だから止めることも出来ない。

歳を重ねるごとに、
同年代の子供たちを観ると
本当は可愛くて仕方ないのに
吐き気がしました。
子供は大好きなはずなのに
醜い感情が押し寄せました。

友達に子供が産まれても
会いに行けない自分が嫌いで
どこにも行けない自分が嫌いで、
自分をたくさん傷付けました。
旦那さんに隠れてたくさん傷付けました。
今でも左腕は傷跡だらけです。

本当に本当に辛い毎日でした。

主治医の先生にことあるごとに
言われてた言葉

『自分のためにピアノが弾けるようになったら
大きな一歩だね』


今でも主治医の先生に
言われ続けていることです。

『ピアノ弾けてるかい?』

いつも聞かれます。

そのとき、もうピアノ講師の仕事は
再開してたので、
生徒さんのためには
ピアノを弾いてました。

でもそうじゃなくて

『自分のために』

が大切でした。

なかなか弾けるようになりませんでしたが、
自身のピアノ教室のときの【発表会】での
講師演奏で
弾かなければならない。

これがきっかけだったのかな。
100パーセント『自分のため』では無かったけど、
『自分で選んだ曲を練習する』わけだから。

娘を亡くしてから、
【発表会】で弾く講師演奏のために
練習した曲は4、5曲。

少しずつ『生徒のため』から
『自分のため』に変化して行ったのかな。

『自分のために

ピアノを弾くこと』

が自分の

メンタルを測る基準。

今から3年くらい前に、
YouTubeに『ピアノ弾いてみた』動画を
投稿し始めてから、
本当の意味で
『自分のため』に弾けるようになったのかなと
思います。

実際、2年ほど前に
『ドケルバン病』という手首の腱鞘炎になって
ピアノ弾くことにドクターストップがかかり、
数ヶ月ピアノが弾けなかった時、
メンタルも落ち込み、
演奏を投稿していたアカウントを消しました。

少し炎症が収まって来た時、
浮かんだメロディーを弾き、投稿したのが
今の『音詩otouta』アカウント。
自分がイメージした曲
弾きたいメロディーを弾く
まさに
『自分のために弾く』

そこから少しずつ浮上してきて今があります。

そして今年2023年の春、

『左肩インピンジメント症候群』
になりました。

今抱えている怪我です。病気なのかな?
幸い、ピアノ弾くことにドクターストップは
かかっていません。
「無理をしないこと」
それだけです。

確かに30分、ピアノを練習するだけで、
夜間痛はするし、腕がダル痛くなる…
だから、10分練習して、休憩を上手く繰り返しながら
ピアノを弾いています。

ピアノが弾けるようになって
私の精神状態はかなり安定しました。

それでも
時々良くない『ゆらぎ』があります。
それでもその『ゆらぎ』を受け入れ、
ピアノを弾くことと自分のメンタルの状態、
上手く平衡を保って
これからもピアノ曲を作り、演奏していきたい
そう思っています。

今は、生きていたら
娘と同級生になってたであろう年頃の
生徒さんにピアノを教えています。
悲しみは癒えてはいませんが、
なんて言うのかな…沈殿していってる感じ。
心の奥底に大切に沈めている感じ。

やはり娘の命日(2/6)が近付くと
今でも心が乱れます。
その時は、
あぁ…沈澱していたものが少し浮かんで
来ているんだな
』って。
そう思うようにして、その時の自分を受け入れて
あげるようにしています。

肩の痛みが治まるまで、
ご心配をおかけしますが、
見守っていてください。

10/26 肩の手術しました。
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2023/6/3        音詩otouta

音詩otouta

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