アイスケーキ

小説『オスカルな女たち』26

第 7 章 『 冒 険 』・・・2


     《 ギフト 》


「あたし、しゃべったんです。奥の奥さんと…」
(奥の奥さん…?)
「唐突になにを…」
いつも以上に勢いよく回転椅子で振り返る。
「楓ちゃん…!」
「偶然ですよ、偶然。天気がいいですね…って話しかけられたもので…」
「まさか…?」
なぜ子どもができないのか…などと聞いたのではないかと勘ぐる真実(まこと)。
「まさか、あたしだってそのくらいの常識はありますよ~。でも…」
「でも…?」
「あの人、オスカルでしたよ?」
「オスカル…?」
「はい。真実先生と同じ学校の卒業生だったみたいです。3つ上みたいですけど…」
「3つならかぶってない」
「ですよねぇ…でも、真実先生のこと知ってる風でしたよ?『奇跡のオスカル』なんですって…? 素敵ですねぇ」
その頃の真実に恋焦がれるようにカルテを抱きしめる楓。
「そんな昔のこと…」
「はいはい詮索はしませんけど…でも、」
「でも、じゃないよ、楓ちゃん」
「はい。…でも、どんなオスカルだったか、知りたくないですか? 奥の奥さん」
「知らなくていい…」
(それどころじゃない…)
問題は山積みだった。このうえご近所の話まで気にしてはいられない。しばらく眠れなくなりそうだ…と、憂鬱な気分を隠せない真実だった。
「最近、溜め息多いですね…」
「え? そう?」
「無意識だなんて、相当ですよ」
「いや、そういうわけでも…」
「あの、特患のせいですよね」
「またその話? こないだからどうしたの…」
すっかり疑いの眼差しだ。
「今日はその特患さまの日ですから…!」
楓は憮然と冷たく言い放って診察室を出て行った。
「…はぁ~」
それだからこんなにも気分が重いのだ…と、なぜ気づいてはもらえないのか。
おそらく弥生子(やえこ)の「筋腫」は妊娠以前からあったのだろう。
気づかずに妊娠したのか、妊娠によって発覚したのか、いつからあったのか、弥生子の筋腫は葡萄状にいくつか連なる〈粘膜下筋腫〉というものだった。このままおとなしくしていてくれればいいが、胎児と共に成長しないとも限らない。子宮筋腫のある妊婦は、正常な妊婦に比べると子宮収縮が起きやすく、流産や早産の危険性も高くなるのだ。1日でも長くお腹の中で赤ちゃんを守り続けることが重要になってくる。
(なぜ如月に行かなかった…? 設備を考えたら、向こうの方が絶対にいいに決まってる)
なにかあるのか…引き受けてしまった以上今は、余計な詮索は邪魔なだけだ。「里子」の話も本気なのか、なにひとつ解決していない。

なつめ

「ちゃんと、言われたとおりに来てるでしょ…?」
これまた得意気に満面の笑みで返す弥生子。
「当たり前のことだから…」
聴診器で胸の音を聞きながら弥生子を見据える。いちいち呆れてしまうのは、自分の気が短いせいなのか相手の性格の問題なのか、ただ「知り合い」という意味合いだけじゃなくとにかくやりにくい患者であることに変わりはなかった。
「お腹に張りは感じない?」
「よくわからないわ、初めてなんだもの」
(そりゃそうだ…)
「便秘とか、しびれとか、他に問題ある…?」
「とくには…」
「じゃ、ベッドにのって。お腹出して」
さっさと終わらせたい。
「はいはい…」
「はいは1回でいい」
(ん? どこかで聞いたような…?)
まあいいか…と自分をとりなす。
「それにしてもココ、いつ来ても静かだけど流行ってないの?」
言われるままにすぐ脇のベッドに横になる弥生子は、天然なのかキョロキョロしながらとんちんかんなことを言い出す。
(は…?)
超音波画像診断装置(エコー)のスイッチを入れながら、
「なに言ってんの? 時間外なの! あんたがそうしろって言ったんじゃん。時間外手当もらいたいくらいだよ」
「あ、あら、そう…。それは失礼…」
悪びれもなく小さく笑って見せる弥生子。
「だいたい、目立ちたくない人の恰好じゃないだろ…」
相変わらずの派手な様相に、トンボのサングラス、女優じゃなければ不審者だと視線で毒づく。
「私服よ、これ。衣装じゃないわ」
なにがおかしいの…と、意に介しない。
「そういうことを言ってんじゃないよ。…まったく」
(それにしたって派手だろ…? 私服? 原色しか持ってないのか…?)
あまり懐かしくもない過去の引き出しを脳裏の隅でひっくり返してみても、当然ながら周りはみんな制服姿だ。覚えているはずもない真実は、それ以上の詮索は無意味だと口をつぐんだ。
「言ってる意味が解らないわ…」
「そうだろうよ…。ほら、だいぶ手足がはっきりしてきたろ?」
プローブをお腹にあて、画面に映し出された子宮内の様子を告げる。
「へぇ…こんな風に見えるのね…」
それまでこわばっていた身体の力が抜け、弥生子は頬を紅潮させて嬉しそうに小さく微笑んだ。
「今日で17週…ちょうど。耳は聞こえてるよ」
「そうなの? じゃぁあまり乱暴な言葉使わないでね、真実さん」
(あたしかよ…?)
母性は芽生えているらしい。ならなぜに「里子」になど出そうと思うのか…。
「今のところ順調に育ってる。そしてこっちが筋腫…。大きくなってはいないが、まだまだ油断は禁物…これから胎児と一緒に育つだろうから、気をつけて」
言いながらエコー写真を撮影し、検査を終えた。
「それで? 仕事は片付いたの? つわりは? 極力じっとしててもらいたいんだけど」
「調整中よ」
(なんだよ、それ)
「その調整はいつ整うの…?」
どうにも弥生子のペースにイライラしてしまう自分がいる。
「…仕事は取ってないけど、挨拶回りをして身の回りの整理…。1か月はかかるかしら」
(おいおい…)
「ホントに大丈夫なのかよ…? その間の仕事はよ?」
カルテに向かいながら、さっさと済ませたい真実は早口だ。
「仕事? 解ってるだけだと…CM撮影と、雑誌のインタビューくらいかしら…。それと、しばらく休むから、会見ね」
(まじか…。ホントに芸能人なんだな…)
などと感心している場合じゃない。
「そのCM撮影とやらは、力仕事したり、極端に寒い思いしたりしないだろうね?」
「マウスウォッシュのCMだから、スタジオだと思うわ」
「へぇ~」
「興味あるの?」
「ない」
「そうよね…」
ベッドを降り、再びデスク前の椅子に向かい合わせに座る弥生子は、
「それより。…例の件だけど」
「だから、それは…」
毎回のこのやり取りが、いい加減苦痛になってきている真実だった。
「本当に、お願いね」
いつも以上に殊勝な姿。
「なんで里子に出したいの?」
「手元においては不都合だから…でしょう?」
(不都合…ねぇ…言い方だよな)
「他人事かよ。…里子ってことは、あとあと面倒見るつもり? それとも」
「一切かかわらないつもりよ」
(即答かよ)
「それって」
「えぇ。できれば顔も見たくないの。情が移るといけないから」
もうすでに、母性が芽生えている弥生子に、それと伝えることは酷なのだろうか。
「後悔しないのか…?」
「産めるだけで充分よ」
意外にも弥生子は、笑顔でそう答えた。
(子どもを授かったことは、嬉しい…のか?)

太陽

「こんにちは」
不意に声を掛けられ振り返る。
「あ…こん、にちは」
駐車場を囲うフェンスの向こうから声がする。
「院長自らお掃除なんて、素敵ね」
いつもならあり得ない展開にぎょっとしながらも、
「あ、いや。…今日は思いのほか暇で、」
体を起こし、文化チリトリを立ててそちらに体を向ける真実。
「そんな日もあるのね」
声の主の姿を捉えるも、落ち着きなくキョロキョロと辺りを窺ってしまう。
(…声、かけられちゃったよ。裏の住人に…)
そわそわと、院の窓辺に楓の姿を探してしまう真実。
「暇を不景気とは言い難い商売でし、て…」
商売と言ってしまって後悔する。なにをぺらぺらと口走っているのか、思いのほかうろたえている自分に慌てていた。
「ふふふ…確かに。不景気なんて言えないわね。でも少子化だし、それに対してなんて言ったらいいのかしらね」
こちらの気も知らず世間話を広げないでくれ…と心が後ろ向きになる。
「なんでしょう、かね…ははは…」
(ははは…。話が続かねぇ)
確かあなたもその「少子化」を地でいっているのでは…なんてことは間違っても言えない。すっかり楓の噂話に踊らされてしまっている自分を制する。
(仕方がない…)
「高校、一緒なんだって聞きました」
あぁ自分から話を振ってしまった…と、改めて楓が恨めしいと思う真実だったが、相手もなにがしの『オスカル』だと聞いてしまっては興味をそそられないわけではない。知りたいわけでもないが、気になるレベル。
「あぁ…。そう。『奇跡のオスカル』…!」
嬉しそうに真実に微笑む。
「いや、それは…」
逆指名。
(どうでもいいんですがね…)
そちらは?…とは、なかなか言い出せないものだ。
「わたしが卒業したあとだったけど、あなた、だいぶ有名だった」
優雅に、流れる風ように話す彼女は、線が細く抜けるような白い肌をしている。〈女性〉という言葉がぴったりハマる容姿。だが言葉尻から「どこか違和感を覚える」自分の周りにはいないタイプ。その違和感の正体が真実には解らない。
「そうですか?」
「外部生でスポーツ特待生なんて、そういない」
外部生とは高校からの受験で入学してくる生徒のことを指して言った。真実もそうだが、玲(あきら)、つかさ、織瀬(おりせ)も同じく外部生だ。逆に玲の取り巻きは皆、幼稚舎や小等部からの内部生…「お嬢様学校」なのだから当然といえば当然。
「そちらは、ずっと…?」
そう言えば自分は、彼女の名前を知らない。院の駐車場は彼女の家の裏手にあたるため表札を確認することもできない。
(楓は知ってるのか…?)
「ふふ…。そうわたしは小学校から」
お金持ちということだろうか。
「そうなんですね…」
(名前を聞いてもいいのだろうか…?)
しかしこの先、どの程度のつきあいになるのか。今までだって、ただの隣接した家の住人にしか過ぎない存在だった。あとで近隣の地図でもググってみるか…と考えあぐねていると、そんな真実の様子に気づいたのか「自己紹介がまだだったわね」と彼女の方から持ち掛けてきた。
「こちらだけ知っているというのも、なんだか不公平。わたし…高尾、といいます。〈高尾濃子(のうこ)〉…よろしく真実先生」
「たかお、さん。…あ、はい。こちらこそ」
(こっちの名前は知ってるのか…。当然、か…?)
妙な具合になった…と頭を下げながら思う真実だった。
(高尾、聞いたことないな、やっぱり…。あ、でも結婚してれば旧姓は違う…?)
もともとそれほど歴代の『オスカル』に興味があったわけでもない真実は、今さら考えたところで思い浮かぶはずもなかったのだ。
「真実先生~」
天の助けか、表の方から自分を探す声がする。
「はい!」
声のする方に返事を返すと同時に、看護師が駐車場に姿を現した。
「これからお客様がいらっしゃるそうです」
「わかった。すぐ行く」
(お客さま? 患者じゃないのか)
「あら、残念。お仕事」
ふふふ…と笑って彼女、高尾濃子は惜しむ様子もなく体を家の方に向ける。
「そうみたいです。…それじゃ、失礼します」
軽く一礼してきびすを返す。
「えぇ、また今度…」
そんなやり取りをしたものの、正直「また今度」はあって欲しくないと思う。そして、自分を呼びに来たのが楓でなくてよかったと胸をなでおろした。
院内に戻り、2階の新生児室の赤ちゃんの様子を伺ったあと階下に降りると、正面玄関で看護師が客の応対をしていた。
「あ、真実先生。お客様でーす」
真実の足音に気づき、看護師がこちらに声を掛ける。
「は~い」
少々やる気のない間延びした返事をしてしまい「やべぇ」と急いで駆け降りるとそこには、
「織瀬…?」
とうとう検診にやって来たのかと身構える。
「ちょっと、いいかな」
だが、少し様子が違う。強張った笑顔で、なにやら小さい段ボールを抱えていた。
「どした…? 今日は仕事休み…? あ…」
そう言って水曜日であることを思い出す。
「できれば、ひと払いしてもらえるとありがたいんだけど…」
診察室に向かう途中、織瀬は小さくつぶやいた。
「え? いいけど…」
真実にとってはデジャヴのような展開だった。だが織瀬に対し「ひと払い」に思いつく要素はない。
「診察じゃないから、手伝いはいいよ。下ろしちゃって…」
さりげなく窓口の看護師に声を掛け、もう患者も来ないだろうと受付のシャッターを下ろすよう指示する。黙ってうなずく看護師を確認したのち「とりあえず、こっち…」と足早に織瀬を診察室に促した。
「座って…」
デスクの椅子に腰かけながら、織瀬に目の前の椅子を勧めた。織瀬は腰かけると同時に持っていた段ボールをデスクの上に置き、
「どうしていいか解らなくて…」
言いながら段ボールを確認するよう示唆した。が、真実が手を掛けようとした途端に蓋を押さえ込み、いつになく真剣な眼差しで、
「勘違いしないでね! あたしのじゃない」
いつもの様子と違う。だいぶ焦っているようで、
「もえもえが送ってきたの、結婚記念のプレゼントだって。でも、まさかこんな…えっととにかく、あたしが欲しがったわけでもないの。だから…」
目が必死だ。
(なにごと…?)
「わかったから」
静かに織瀬の手を払う。
確かに送り状の宛名は織瀬で、送り主は〈立花萌絵〉と記されている。織瀬の高校時代の親友で『第九のオスカル』と呼ばれていた、今やミュージカル女優の〈橘もえ(芸名)〉のことである。
「開けるね…」
そう言って真剣な眼差しの織瀬の表情を改めて見ると、なんだかこちらも緊張してしまう。そうっと蓋を広げると、きれいな包装紙で包まれた四角い物が入っており、一度開封してまた同じように包み直したであろう形跡が見て取れた。
「開ける、よ…?」
「うん…」
再度織瀬に確認し、かわいいピンクの包装紙でラッピングされた長方形の品物を引き上げた。少し重みがある。
(やばいものでも送られてきたのか…?)
法的になにか引っかかるものでも…と、想像を巡らせるがその重さに心当たりはなく、恐る恐る包装紙をめくる。と、透明なパッケージ…
(え…)
瞬間的に手を引っ込める。
ゴトリ…と鈍い音がしてデスクの上にまっすぐと落ちた。
「これ…」 
仰天したまま織瀬に目を向けると、そちらもそちらでどう表現していいのか解らないような表情で目を潤ませていた。
「こんなの、どうしたらいいの? 処分するにも…なにゴミ?」
確かに。でもゴミ…?
「これって…」
真実は再度包みを持ち上げ、完全に包装を剥がしきる。透明なケースに、お人形さんを飾るようにしっかりと固定されて梱包されたそれは、濃い緑色のまがまがしい姿をした〈女性用バイブレーター〉だった。
(ジャンボ金太郎…?)
なにやら陳腐なネーミングだが、パッケージには金の文字でそう書かれたステッカーが貼ってあった。丁寧だが手作り感が半端ないそれは、その手の専門店のオリジナルということなのだろう。
「これを、結婚記念のプレゼントに…? 立花さんが、あんたに…」
「そう…。しかも、それを開けたのは幸(ゆき)なの」
げ…
それはまた気の毒な…と、思わずその光景を想像してしまう。
「どうしたらいいの? 気まずいし、ただでさえ会話がなかったところに、もっと沈黙が訪れたわ。もう恥ずかしくて…家にいても落ち着かなくて…」
(そりゃそうだ…)
「まこと~」
織瀬も当時の光景がよみがえったのか、みるみる顔つきが変わり今にも泣きだしそうだ。
「わかった、わかった、落ち着いて…。でもなんで、織瀬の荷物をユキくんが開けたの」
「あたしがいいって言ったの。だって、そんなものが入ってるなんて思わなかったし。もえもえがプレゼント送るって言ってたから、それだと思って。包装だってそんなだし、なんの疑いもなく『開けてみて』…って」
「言っちゃったのね…」
「うん」
「ユキくんに」
どんな顔で受け応えたらいいのか。しかも品物まで持ち出して、しかし真実が産婦人科を営んでいるからといって、そういう品物に免疫があるわけでもなかった。
「だってその大きさだし、高級なチョコレートかなにかだと思ったんだもの」
「この重さで?」
「確認しなかったの。『立花さんから荷物届いてるよ』って言われたから、『お菓子かなにかじゃない? 開けてみて』って」
「言ったのね」
「うん」
「ユキくんに」
面白くもないがコントのように繰り返されるやり取り。
「どうしたらいい…?」
「ユキくんはなんて?」
「食べれないね…って」
「あっはっ…」
思わず笑ってしまって、口をつぐむ。
「ごめん…」
「もう顔から火が出るかと思ったんだから…! 叫べばよかったんだろうけど、声も出なくてっ…」
「叫んだところでどうにもならんだろーに」
「黙ってたらあたしが欲しがったと思われちゃうじゃない…!」
「まぁ…そうか。そう思われたの?」
「わかんない。そのあと黙って梱包し直して部屋に持っていったから…」
「話もせずひきあげたの?」
「こっちだってうろたえてるし、なにをどう話すのよ」
「確かに」
こういう問題は、言い訳すればするほど自分の首を絞めることになるのは必至。
「どうするの、これ」
「どう、するって…ねぇ…?」
(使い方を聞いてる? まさか…)
「使う?…わけ、ない、か…」
「使わないわよ、そんなの」
(だよなぁ…)
どうしたらいいのか…と持ち込まれ「使い方」を聞かれなかっただけまだましなのだろうかと自問自答する真実。使うつもりならここに持ってきたりしないだろうし、変な話だが送り主に先に聞くのが筋だろう。
「そんなものだなんて考えてもみなかったし。もう、もえもえ、あたしどうしたらいいの」
とうとう顔を覆って泣き出した。
「織瀬~。泣くなよぉ…」
(あたしだってどうしたらいいのか…)
だが・・・・。改めて品物をしげしげと眺め、
「…初めて、みた」
率直な感想だった。
「あたしだってっ」
ついと顔を上げる織瀬。
「意外と重いのね」
未だ自分の手の中にあるそれを上下に振ってみる。こんなものがあることは知っていたが、まさか現物に出会えようとは夢にも思ってみなかった。
「うん。びっくりよね…」
今目の前にあるそれは、スーパーやコンビニの店頭には絶対に並ばないものだ。その手の専門ショップがおおっぴらに「我ここに」と店を構えていることも、あるのかないのか知らないが、自分の行動範囲内では見かけたことはない。
(しかし…)
立花萌絵はいったいなにを考えてこんなものを送ってきたのか、織瀬にこれで自分を「慰めろ」とでもいうつもりだったのか。それにしたって親友なら、そういう性癖があるかないかくらいの判別はつかなかったのか。これが親友のすることなのか。
(親友、だからか…? 心配してることに変わりはない。にしても…だ)
真実は小さく息を吐き、
「返せば? 立花さんに」
と、返品よろしく連絡をしろと提案してみる。
「そう思って電話したの」
「ふむ。で?」
「自分のはあるって言われた…」
身もふたもないとはこのことだ。
「あぁ、そう」
(あるんだ…てか、持ってるんだ…コレ)
それではコレは、彼女の中の〈常識〉ということか。
「どうしたらいい?」
「どうって…」
(あたしに聞いてどうにかなると思ったのか、こんなの)
「そもそもなんでこんなもの送ってきたの?」
贈り物として喜ばれるかどうかは別として、コレを選んだ理由があるはずだ。
「あたしは頼んでないわよ」
恨めしそうな目で見据える織瀬。
「わかってるよ」
「…あたしと、幸のこと知ってるよね?」
「…まぁ」
そんなに突っ込んだ内容になるのかと、真実は身構える。
「こないだ久しぶりにランチしたの、もえもえと。その時、こないだの…結婚記念日の、夜の話をしたのよ」
「夜? それで?」
(だからって、これは結婚記念に適さないだろう…いや、そうでもないのか?)
ちらりと商品に目を落とす。いつまでも握りしめていたことにハッとし、静かにデスクの上に置いた。
「真実には言わなかったけど。…思い切って幸に『なんで抱かないのか』って聞いたの」
「ほぉ…」
それは意外な展開だった。夫(=男)のいない真実には、当然のことながら離婚して以来男と交わることなど一切なかった。それどころか今では男女の営みを良しとしない自分さえいる。旦那がいるかいないかの違いだけで、夜の生活は織瀬とほぼ変わらない。自分にとってその時間がそれほど重要でないように、織瀬も半ば諦めたうえでカミングアウトしたものだと勝手な解釈をしていた真実には、そこまで話がひっ迫しているとも思っていなかったのだ。
(迂闊だった…)
自分にその行為が必要ないからといって、他人も同様なわけはなかった。ましてや自分には娘がいる10年でも、織瀬には子どもを切望しての10年なのだ。まったく同じわけがない。頭では解っていたはずだった。
気づかない振りをしていたのだ。
「それで?」
「思うように話ができたわけじゃないけど、結果は案の定最悪で…。戦わずして負けたっていうか、沈黙の拒否を受けたわけ」
「答えなかったってこと?」
それには織瀬も黙ってうなずいた。
「それで…。もう『子どもはあきらめる』って話をね、もえもえにしたわけ」
「なるほど」
それで、子どもは作れないが、自分を慰めることはできると、この結果なのかと視線を下に落とす。
「別れ際『結婚記念のプレゼント送るね』って言われて…」
「で、きたのがコレ…?」
「そう…」
「なに考えてんだ?」
「…このままでいいのかって、言われたの」
「だからってコレ?」
「そんなに、欲求不満に見えたのかな?」
思い詰める織瀬には、萌絵の好意がゆがんで伝わっているようだった。明らかに自分を恥じている。
「そうじゃないでしょ。…立花さんは、自分でコレを持ってるくらいなんだから、彼女にとっちゃ日用品と同じなんだよ」
だからと言ってトイレットペーパーと同じような使用頻度かといえばそういう代物じゃない。それが思いやりや厚意なんだとしても、自分と好みや趣向が同じかそうでないかくらいの考えは及ばなかったのか。それともこれは「あえて」の選択だったのだろうか。
「荒療治…」
(の、つもりか?)
「無理よ…」
「わかってるよ」
そんな芸当ができるくらいなら、本来なら言わなくてもいいプライベートな話を、自分たちにここまで切実に語りはしないだろう。自分で処理できるくらいなら、織瀬のように自分を責め、悩み、恥じることなどないのだ。
だったら…。

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