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編集後記1「B級版ゆっくり文庫vol.5について」


動画を視聴していただきありがとうございます。そうでない方も、このページを見てくださてありがとうございます。

このページは一応動画の編集後記ということになっていますが、言ってしまえば謝罪文になる予定なので、あまり楽しい内容にはならないと思われます。なので別に興味のない方は見ないほうが賢明だと思われます。

こういうの初めてなので面白くできる自信もありませんし……。

制作の経緯

さて、まずは作品の説明からしたいと思います。

今回文庫動画化させていただいたのは、レイ・ブラッドベリ氏の短編集「ウは宇宙船のウ」より「宇宙船乗組員」です。

このレイ・ブラッドベリという著者を知るきっかけになったのは、実はゆっくり文庫動画だったりします。

と言っても、本家様の動画ではなく、他のリスペクト投稿者様なのですがここにURLを貼って良いのか分からないのでそれはやめておきますが、本当に素晴らしい作品でした。

その当時はまだ「いつか私も動画を作りたいなあ」程度の想いしかなかったのでいずれ作ろうとかは考えていませんでした。しかし、その原作になった話がとても気になったので、Amazonにて「ウは宇宙船のウ」を購入しました。

気が付けば二年も前のことですが、そのときからずっと、「宇宙船乗組員」のことが気になっていました。

沢山の短編の中でそれだけが、私の心に引っかかっていました。

正直な話、他の作品の方が好きでした。「ウは宇宙船の略語さ」「霜と炎」「雷のとどろくような声」などが好きで、「宇宙船乗組員」は純粋な面白さという観点から見るとそんなに、という感想でした。

ただそれは、エンターテインメント的な視点で見た場合の話であって、芸術性だとか文学性みたいな部分では見ていませんでした。というよりそんなしっかりした審美眼はなく、センスもないのでそういう見方では見ないようにしています。

考察や考証は隠し味程度で行い、大まかに、単純に面白いか面白くないか、好きか嫌いかで見るようにしています。というかそれしかできないんですけどね。

話を戻すと、読んだ当初は「宇宙船乗組員」はそんなに好きな作品ではなかった、ということなんです。

でも、心に引っかかっていた理由は嫌いだったから、なんだと思います。

読むと嫌な気持ちになって、悲しくなって、苦しかったから、忘れられなかったのだと。

それで、まあ、いくつか文庫動画を上げさせていただきまして、最初は小説を動画にする力がなかったので手始めに漫画からやり、PVを作ったり、超短編を文庫化したりしてやり方をなんとなく覚えていき、じゃあ本格的に一つ作ってみようと思ったとき、心にあるしこりを発見しました。

本棚から「ウは宇宙船のウ」を取り、もう一度全部の短編を読んで、やっぱり動画にするにはこれしかないなと思ったのです。

そして色々と話の流れを考え、そして翻案というか改編内容を思い付いたとき、「これやっていいのかな?」と不安な気持ちになりました。

というのも、原作を読んだことのある方なら、私の動画を見て何もかもが違うという点にお気づきになったと思います。これまでもブラックジャックでは結構自分勝手に変えてきましたけど、本筋や骨格みたいな部分は変えないでいました。

簡単に言うとブラックジャックが言いそうにないこと、やりそうにないことはさせませんでしたし、他のモブキャラに関しても同様です。

まあ、やりそうにないことを決めたのは私なんですけど……。とにかく、自分が納得できないことは絶対やらせませんでした。

でも今回は、原作にない会話を挟むどころか、原作が伝えたいこと、その骨格をまるごと挿げ替えてしまおうと思ったのです。

それはやってはいけないし、やるべきでないし、やるにしてももっと物語を深く理解できる才能ある人がやるべきだと思いました。

でもまあ、そんな感情は建前で、やりたいと思った瞬間から、うだうだ考えながらも結局やるんだろうなと思っていました。結果やりましたしね。

そこですぐに気持ちを切り替え、脚本を書き、Twitterにて不安を漏らし、本家様がnoteを紹介してくれて今に至ります。

ああ、前置きが長くなった……。すいません。

一応はそういう経緯なんですが、ここからは私の罪の告白、謝罪文になります。(※ここから原作のネタバレを含みます)


翻案個所について

まず私がしたことは、結末を変えることでした。親子で家に引きこもるようになって終わる原作の結末を変え、少しだけ前に進ませました。

一応原作では「長い間」と語っていたので、一生親子が引き籠っていたとは思っていません。なにかがきっかけとなり、また以前のように生活するようになったのだと思っています。もしくは悲しみが薄れてしまったからなのか……。

でも愛する人を失った悲しみや苦しみが薄れてしまうというのは、なんだか嫌だし、多分薄れることなんてあり得ないとも思っているので、ああいった内容を妄想しました。

実際にはお父さんは太陽に燃やし尽くされ、母の言う通り太陽を見ると悲しくなるべきなんですが、父は「宇宙では死ぬと言っても即座だね」と話していたことから、自分の死で悲しんだり落ち込んだりはして欲しくないと思っていたのだと感じました。

そして、考えたのがそれだけだったなら、多分動画にはしなかったと思うんですが、もう一つ心に引っかかる要因があり、おそらくそれが一番の原因だと思います。

それは、両親によってダグが無理をしている、という点です。

無理というよりは、子供なのに大人びているというべきでしょうか。一応原作では14歳らしいので、あれぐらいが普通だとも思いますが、それにしたって、両親に、特に母親に気をつかい過ぎています。

私は子供にとって一番つらいのは、子供らしくいられないことだと思ってます。

子供に大人ぶらせることは、一番やってはいけないことだと思います。

そうなると、子供は自分が無理をすることで、自分が不幸になることで周りを傷つけないようにすることに抵抗がなくなってしまいます。

自己犠牲を平気でするようになり、周りには気づかれないように作り笑いが上手くなります。勿論、生きていくうえでそういう面も必要です。

しかし、家族の為に自分を殺すのは、意味がありません。子供が犠牲になることを喜ぶ親はいませんし、喜べないことで機嫌を取るなんて歪んでいます。

子供は目一杯わがままを言って、それを聞いた親が悩んで、双方が成長していくものだと思っています。(子供いないどころか結婚もしていないので説得力ゼロですけどね……)

不幸自慢になってしまうので詳しくは言いませんが、父親関係で私にもそういう時期があったので、ダグが自分と同じことをしているのがどうしても耐えらなくて、今回の改編を行いました。

母親に切ない思いをさせないように、母親のお願いに従おうとして、上手くできなくて罪悪感を覚える。それを見ていていたたまれませんでした。

でも、お父さんとの会話、これは大好きです。

「さあ、いろいろと話してみようじゃないか」

このセリフが、私にとっての救いの言葉でした。普段はあまり家にいられないどころか、いるべきだと思っていても空へ行ってしまうお父さんが、家族を愛しているのだと伝えるための言葉であり、その全てがこの文章にぎゅっとつまっている気がします。

私も父ともっと話せていればどうなっていたのか、普段は考えないですが、そんなことを考えてしまい、それ故に原作のラストではあまりに悲しく、変えたいと思ったのです。

しかし、言い訳になりますが、決定的に変えてしまったわけではないと思います。

結局、母親とどんな会話をし、母親が部屋から出てきたのかは分かりません。

分からなくていいと思ったので、そうしました。分からなくても、出ないという結果に終わったとしても、ダグが行動した、子供らしく自分の望みを言った。それだけでいいと思いました。

そうして、私の自分勝手な、しこり除去作業は終わったのでした。

原作のファンの方、原作の本当のメッセージをしっかりと受け取れた方には、不快な動画だったと思います。

本当にすいませんでした。

それと今回茶番を入れるわけにはいかなかったので、こういった形での発表となりましたが、あまり楽しいものではなかったと思います。

小説を動画にするのはやはり難しいですね。でも楽しいので、もっと上げたいと思います。

よろしければこれからも応援してください。本当によければですが……。

次はブラックジャックか、別の短編小説の予定です。もしくは何かの紹介動画かもしれません。おそらくブラックジャックでしょうがしばしお待ちください。

長くてすいません。読んでくれた方は本当にありがとうございます。

今後も真面目に語りたいときはこうして編集後記にしようと思いますが、基本的には動画にて説明しようと思います。

ではまた来週お会いしましょう。

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