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「レンズを変えろ!」 ビル・ミッチェル講演会 in Tokyo潜入記

ステファニー・ケルトンに続き、大物MMTerの来日講演二回目。ということで今回は衆議院第一議員会館で開かれたビル・ミッチェル先生の講演会に行ってきた。

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(講演会でのミッチェル先生の姿)

講演会での話題は、主流派経済学批判、主流派というレンズを捨て去り、MMTというレンズで物事を見よという認識の転換、気候変動に関する話題が中心であった。MMTの心構えを説くという「MMT(現代貨幣理論)の第一歩」と言っても良い。いきなり、マニアックな金融オペレーションの話や国債廃止論などを出されても、会場は困惑したと思うので良かったと思う。今回のレポートも前回と続き、飽くまで個人の備忘録であり、聴き違いや事実誤認があるかもしれない。それに加えて講演会の「ライブ感」を出すために、このレポートの文章はかなりブツ切りで粗い。その点はご了承頂きたい。

主流派(Main stream)批判

世界金融危機(GFC)以降、日本銀行、FRB、欧州中央銀行といった世界の主要な中央銀行は膨大な国債を購入している。これは中央銀行が増発された国債を購入することで財政債務の穴埋めを行っている、これでは物価が上昇してしまうと主流派では考えられているが、実際には物価は上昇していない。また国債の金利はいずれ上がらざるを得ないと考えられているが、国債の金利はずっと、ゼロ近傍どころか、マイナスである。国債の金利がマイナスであるというのは、投資家が政府におカネを払っている状態である。主流派は中央銀行が国債を購入し続けていけば、企業の期待インフレ率は上がると考えているが、実際の期待インフレ率はパンケーキのように真っ平らである。

ロバート・ルーカスは、かつてGFC前に「景気変動はすでに消滅した!」、「中央銀行は物価の変動さえ見てればすべて上手くいく!」(いわゆるグレートモデレーション。かつてのバーナンキも中央銀行による金融政策ファインチューニング万能論者であった)と高らかに宣言していたが、彼らの誰もがGFCを予測できなかった。また主流派のニュー・ケインジアンたちは、金融部門というものをちゃんと取り扱っていない。GFC以降に彼らは真に反省したか? GFC以降も彼ら主流派の考えは変わっていない。

以上のような事実を踏まえると、主流派が提供する知的枠組みというものは全くのFakeであると言わざるを得ないというのがミッチェル先生の結論であった。

Question: Could a mainstream economist explain those
graphs?
 Answer: No!

MMTというレンズ

・MMT is a not a ‘regime’ that we can 'go to’
・MMT is a lens – enhances understanding of the capacity
of the currency-issuing government.

MMT成立秘話について。25年前にミッチェル先生たちのグループが集まって日本経済の研究をし始めてからMMTは形になってきたとのこと。この時の彼らの問題意識は「どのような経済理論で日本の状態が説明できるか?」だった。クルーグマンの「日本がはまった罠」が1998年とほぼ同時期である。日本のデフレ不況が世界中の経済学者たちの先端な話題になっていたのは何とも不名誉な事ではあるな。

「MMTというものはレジームでも、レジームに移行するというものではない。MMTとは、眼鏡のレンズである」という言葉が非常に印象的であった。MMTは既存の金融制度への理解へのレンズであり、金融システムの理解は政治的立場が異なる左派と右派でも一致しているとの事。ミッチェル先生が語るMMTビューについて何点か述べておこう。

・There is no intrinsic financial constraint.
・Government can, intrinsically, purchase anything that is
for sale in that currency, including all idle labour.
・The government chooses the unemployment rate

1. 主権通貨について

主流派は、他国通貨と自国通貨(主権通貨)の区別をしていない。主権通貨というものを考慮していないのが主流派であり、主権通貨を放棄してしまったEUというものは主流派の鬼子であると個人的に思う。

2. 財政制約について

国家が主権通貨を持っていると何ができるか? それは「主権通貨を持っている政府は自国通貨で売っている物は労働力を含めた財サービスは何でも買える」ことである。ここから、主権通貨を持つ政府は遊休している失業者を「購入」することができるというJGPが出てくるのだなと納得した。主流派は財政制約という足枷により政府による雇用創出ができないと考えている。政府支出の真の制約とは何か? それは、国内での実物資源が制約となる。実物資源を超えて政府支出を続けるとインフレになるというのが真実であり、通貨を刷ったからインフレ(ジンバブエ、ワイマール共和国という偽神話!)になるわけではない。

3. 貯蓄より支出が先行する

すべてのものは支出から始まるのがマクロ経済の基本である。民間主体・政府主体問わず、すべての支出にはインフレリスクを伴うというのが命題である。この話は何かに似ているかと思えば、銀行の信用創造についても言えよう。銀行は信用創造を行うときに預金(本源的預金)などは必要としない。政府・銀行共にあらかじめ貯蓄を必要としない。ここから統一的な「Spending first」という概念が出てくるように思えた。

IMFについて。かつてのIMFは拡張的緊縮策(緊縮により経済成長)を唱えていた。ミッチェル先生曰く、これは全くの詐欺商品を売りつける悪質な行為である。拡張的緊縮策については、マーク・ブライス「緊縮という病」の第6章で徹底的に批判されている(余談だが、翻訳の質が悪く、非常に読みにくい本である)のでそちらを参照してもらいたい。

グリーンニューディールとMMT

最後にグリーンニューディールのお話。ニューディールとは、構造的転換を指す。ミッチェル先生はグリーンニューディールという名称はアメリカファースト的な言葉なのであるので嫌いであるとの事。気候変動問題について、温暖化対策は喫緊の課題であるが、脱カーボン社会への移行過程において必ず敗者が出てくる。例えば、ミッチェル先生が居住するオーストラリアのニューカッスルは石炭産業が主要産業であるために必ず失業者が発生してしまう。

移行の痛み・損失を軽減するのが絶対に必要である。それを「Just Transition(正義ある移行)」という言葉を使っていたのが講演会の中で一番印象に残った。そのためのMMT、そのためのJGPといったところか。

質疑応答、記者会見の模様について

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(写真:会場での質疑応答と記者会見でのミッチェル先生)

質疑応答と講演後の記者会見でのQ&Aについて何個か紹介しておこうと思う。

1. 経済学におけるパラダイム・シフトについて

パラダイム内において、そこに属する若者たちがまず初めにパラダイムに対して違和感を持つ。パラダイムの支配というものは、若者たちの違和感の積み重ねにより揺らいでゆく。その歪みがある一定以上の水準に達するとパラダイム・シフトが起こる。経済学業界を見てみよう。経済学業界における金融政策に対する財政政策の優位性の流れは現在進行中であり、もはや止めようがない。主流派の中でもクルーグマン、サマーズ、ブランシャールでさえ変わってきている。「クルーグマンなんて90年代に日本の全面的な財政破綻を「預言」してたのにね(笑)」と皮肉を交えながら語っていた。

2. 「血税」という呪詛について

「我々の血税を使いやがって!」とマントラの如く唱えられるが、その言葉は決して使うべきではない。なぜなら、その言葉は全くの嘘出鱈目だからである。

3.ベーシックインカム(BI)について

MMTとしては、失業に対して雇用の緩衝在庫(バッファー・ストック)の使用を推奨する。それが政府による失業者の買い取り、すなわちJGPである。政府は、失業者というゼロ・ビット・リソース(誰も入札してくれない資源という意味だったと思う)をいくらでも買い取ることができる。政府というものは充分な職を提供できるし、そうすべきだ。充分な職の提供で、インフレを抑制できる。BIの提供は、政府が十分に雇用を作ることができない事を意味し、それはネオリベラリズムへの全面的な降伏である。(これについては以下の記事が参考になるだろう。BIについては、ミッチェル先生はブログに記事を書きまくってるので参考にして貰いたい。)

4. 仮想通貨(例えばフェイス・ブックのリベラなど)の存在

リブラについて考えてみると、これは「通貨発行の民営化」であり、よろしくはないことだ。仮想通貨というものは、現状の銀行信用の供与とは全く違う。仮想通貨は既存の規制の枠組みの埒外に存在するので各国は規制すべきである。また国家が唯一の貨幣の発行体であるべきである。(これは、「仮想通貨が主権通貨への脅威である」との考えでの回答であろう。)

5. AI化による技術的失業発生について

技術は、それ単独で存在するのではなく、人間の選択を持って技術が導入される。技術とは不可避ではなく選択である。何かの職が失われても新たな職が技術によって生まれてきたのがこれまでの歴史だ。技術的失業というのは過大視されてるのではないか? またこの話題に関連するが経済学における「生産性」の再定義が必要だと思われる。最も社会で不利な者に職を提供するのがJGPであるが、オーストラリアだと、サーファーを海水浴場での人命救助に使うJGP例が思い浮かぶ。これだって十分に「生産性」のある仕事であろう。(以下を参照してもらいたい)

6. 消費増税について

2014年、安倍政権下で行われた8%への消費増税は、私には信じられ難い事だった。97年の消費増税の教訓が生かされていなかったのを意味する。今回の10%への消費増税は、軽減税率の存在によりダメージが認識されるまでは、タイム・ラグがあるだろう。日本は景気が回復し始めると、主流派の口車に載せれれて、景気回復の腰が折られてきた。消費増税決定は、極めてイデオロギー的な決定である。

7. 今回の講演に関しての注意書き

今日の講演会を訊いて、聴衆の方々は「MMT論者は政府の財政赤字は全く問題ではない」と発言して欲しくないし、思って貰いたくない。「危険な財政赤字」は存在するが、それは主流派が言うような額の問題ではない。「危険な財政赤字」とは、ある社会に存在する資源をフル稼働させている状態で更に財政支出を行うことである。これはインフレを加速させるであろう。
また、記者の方々は、「MMTは"Printing Money"である」とは決して書いて欲しくない。今日の講演を訊いてみて解ったと思うが、私は一度も講演で"Printing Money"という言葉を使っていない。国の貨幣発行能力を持ってして、完全雇用を達成するのが、MMTの主張である。(注:ここでの完全雇用とは、主流派ビュー的な完全雇用ではないことに注意が必要であろう。インフレ率と失業率のトレードオフであるNAIRUというものは馬鹿げた概念であるとMMTerは考えているからである。)

懇親会

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(写真:懇親会にて藤井聡氏と談笑するミッチェル先生)

懇親会にて。帰り際に、ミッチェル先生にサインのお礼を言って握手して貰った。ミッチェル先生は、上から目線ではなく、大衆の中で共に立ち上がる「銑次の道」型左翼なので、松尾匡先生とは気は合いそうではあった。クルーグマンは、エリートが大衆をリードする「嘉顕の道」型リベラル左派だと個人的に思う。(松尾先生のMMTへの理解がどこまで正しいのかは置いておくとして。)ミッチェル先生、「最終的に未来を決めるのはあなたがた自身だ」と何度も強調してたのが非常に印象に残った。「あれこれしろ」といつも五月蝿いクルーグマンと非常に対照的ではある。

(ミッチェル先生に高橋是清の晩年の回顧録にサインを貰った。ミッチェル先生の高橋是清のブログ記事の訳者としては大変嬉しかった。)

正味、3時間の講演であったので疲れたが大変有意義な時間であった。問題だったのが、同時通訳の質があまり高くなかった点ぐらいである。ミッチェル先生にtwitterにてリプを送ったところ、「すぐにまた日本に来るよと」おっしゃってたので、それまではミッチェル&ワッツの教科書でも読んで力を蓄えて置こうかと思う。ミッチェル先生が再来日する頃には、翻訳も出ているでしょう、多分。


余談ながら、ミッチェル先生、日本の古寺や古跡に詳しいようで、京都での滞在も本人にとって楽しめたのではないかと推測される。最後にミッチェル先生と来日実現に尽力をつくしてた表現者グループ並びに彼らを陰で支えた人々に感謝してこのレポートを締めたい。(了)

(追記)

ミッチェル先生の主流派批判が詳細なのはこのブログ記事(翻訳)であろう。



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Cheshire Cat

経済・経済学関係がメイン。あと書評とか。
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