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「レンズを変えろ!」 ビル・ミッチェル講演会 in Tokyo潜入記 番外編

11/5の講演会では、ミッチェル先生に加えて、日本側からは京都大学レジリエンス実践ユニット関係者、所謂「表現者」グループの藤井聡先生、青木泰樹先生、柴山桂太先生がそれぞれ講演をおこなった。その中で、柴山桂太先生の講演がベストアクトだった。個人的な雑感だが、「表現者グループ」の中で、最もMMTを咀嚼して血肉化してるのが柴山先生だと思う。手短であるが、当日の柴山先生の講演内容の紹介をしておきたい。

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(講演中の柴山先生と少し疲れ気味で聴講中のミッチェル先生)

「ネオリベラリズム」という妖怪

90年代のグローバリゼーションの発展と共に、世界では「新自由主義体制」が現在に至るまで猛威を振るっている。「新自由体制」の特徴として、政府の緊縮財政、緊縮財政をサポートする"インフレファイター"としての中央銀行の独立性というイデオロギー(MMTerの人たちも「中央銀行の独立性」というのは、これもまた主流派のイデオロギーであるという話をしていた記憶がある)、規制緩和、株主資本主義、富裕層減税といった資本家優位な政策などが挙げられる。一時期、日本でも持て囃されたイギリスの「第三の道」(ニューレイバー)もまた新自由主義体制の擁護者である。「第三の道」もまた新自由主義であるというテーゼは、奇しくも松尾匡が提示する史観と同じであろう。

新自由主義の帰結として、何度も懲りずに繰り返される金融危機、超金融緩和政策を実行しても脱出できない長期停滞、格差・不平等の拡大、破裂するまで「バブル」をつけまわすというチキンゲームなどが世界中で起こっている。ここで格差として、階層間の格差だけでなく、空間的な格差も挙げていたのが印象的であった。資金流入による投機で沸騰する都市(湾岸沿いのタワマン!)と、その一方で荒廃・更地化する地方といったところか。空間的な格差の例として香港が挙げられており、香港は、政治的混乱とミンスキー・モーメントの最前線であるというのが柴山先生の見解だった。

MMTというレンズが齎す衝撃

MMTというレンズを通せば、主権通貨を持つ政府は、その通貨の独占的発行者であり、実物資源という制約はあるが、政府の財政赤字の大きさそのものは問題とならない。主流派が言うような「財政上の制約」(予算が足りない!)というものにあれこれと頭を悩ませる必要性が無くなる。主権通貨を持つ政府は、労働を含めた自国通貨建ての財・サービスをいくらでも「買い取る」ことができる。そこからジョブ・ギャランティ・プログラム(JGP)という発想が出てくる。

「MMTビューで物事を見るという」認識転換により、人々は、緊縮財政の呪縛から解き放たれる。「主流派ビュー」支配下では、政治右派は国防・公共事業を優先し、政治左派は福祉を優先する(コンクリートか?さもなくば人か?)ので、政府予算の奪い合いが政治の主戦場となっていたが、MMTの登場で、政府予算争奪戦という主戦場が消滅し、それに頭を煩わせる必要が無くなるので、民主主義下での政治決定の討議が深まるのではないかという結論であった。

全体的な内容は、グローバル化と新自由主義、ポピュリズムとMMTの交差点的な話であった。こういう整理の仕方は非常に重要であり、経済学者ではない柴山先生だからこそできた整理だと思う。MMTというレンズを通して、世界を「観測」したらどうなるかをちゃんと考えてて大変立派である。well-made感が素晴らしい。今回の講演会は、実は柴山先生の「発見」が一番の収穫だったかもしれない。「思考の型」を変えて世界を再観測するという実践例として大変面白いお話だった。MMTレンズから戦後日本経済史を「観測」して再構成するとか、自分なりにやってみたくなった。(了)

(講演会で紹介されていた本。これは名著であるので必読である)


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