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2020/7/7(火)

コミュニケーションの方法はどんどん変わってるのに、わたしはまだ文字でやってる

昨日せっかく続いていた連続更新が途切れ、また連続投稿を目標して記事を書いていこうと思います。

先月「遅いインんターネット」を購入してから、宇野常寛さんの「遅いインターネット」関連に関しては少しずつチェックし始めている。この本については読んでからかなり影響を受けた。大学の授業の振り返りや教科書をきちんと読み直しはじめたのもこの本のおかげだ。

その宇野常寛さんと明石ガクトさんの今日の対談のなかに「共感」と「動画のコミュニケーション」のようなお話があって、それが面白かったので今日はこのことについて書く。

最近「バズる」という言葉があるように、不特定多数の人に対してツイートして承認してもらう、RTやいいねしてもらうことが重要になってきている気がする。わたしもnoteでより多くの反応が欲しいときが多いし、本当ならバズる体験がしたい。

でもはじめにSNSをやりはじめたころは、公共の場所との認識はなく友だちとのコミュニケーションツールなだけだった気がする。自分の近況を伝えることで次の日に友人との話題にしたり、それを続けることで自分のことを認識してもらうことが重要だった。

最近の「個人ブランド」をつくるような流れが、SNSを使いはじめたころにわたしの中ではあった。そこからSNSのなかで「晒し行為」が有名になったり、そのSNSの使いかたから揚げ足が取られるようになったりして、だんだんと匿名化のほうに流れて「バズる」というのが大事になっていった。

わたしが「バズる」という行為をしたいことや憧れていること、バズったものに反応することで自分も仲間であることを暗に伝えたかったと考えている。

でも上の動画をみてあらためてSNSをつかったコミュニケーションをしたいと思うようになった。先日終えた就活で、就活生でつながっていた人と交換するSNSはFacebookやラインからインスタに変わっていた。自分が大学に入学した当初はFacebookだったことがあったので、かなりびっくりしたのを覚えている。

ストーリーを使うことで、短い動画で友人たちに簡潔に状況を伝えることができる。それを交換し合うことで近況をお互いに確認しながらコミュニケーションをとる。わたしがはじめてスマホを持った当時は動画や写真をコミュニケーションツールにしていたが、それを今度はたのしめそうな気がする。


ここまで読んでくれてありがとうございました。
匿名性と実名の価値の相違が今後ちょっと気になっていく。

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