「やさしい社会にしてみせる」、故郷明石を変えた泉房穂の思い

前明石市長泉房穂。
今最も刺激的、
かつ注目を浴びている
人物だろう。
先月、僕がマスターを務める
「田原カフェ」に、
ゲストとして来ていただいた。

実は泉さんと僕とは、
かなり深い「縁」がある。
1987年、東京大学を卒業した泉さんは、
NHKに入局したが辞めてしまう。
同じ年、僕が司会を務める、
「朝まで生テレビ!」がスタートした。
若き泉さんは、
「すごい番組や!」と感動し、
たまたま1名だけあった、
番組スタッフの募集に応募、
テレビ朝日に入ったのだ。

当時から泉さんは、
政治家を目指していたという。
その原点は、子供時代にある。
泉さんは明石市の
漁師の息子として生まれた。
4歳年下の弟さんには、
生まれつき障がいがあった。
何とか歩けるようになり、
小学校入学を喜んでいたところ、
行政が、「地元の小学校ではなく
遠くの養護学校に通え」と言う。

あんまりだと、
ご両親が必死で掛け合ったところ、
2つの条件付きで、
小学校入学を許可された。
1つは家族が責任を持って、
送り迎えをすること。
もう1つは何があっても
行政を訴えないこと。
この条件に、
泉さんは激しい怒りを覚えた。

入学後、
全校生の潮干狩り大会で、
弟さんが浅瀬で溺れてしまう。
わずか10センチの深さである。
気づいた泉さんが助けたが、
誰も弟さんを起こしてくれなかった。
「こんな世の中絶対に変えてやる、
こんな冷たい社会は一生かけて
絶対にやさしい社会にしてみせる」
弟さんの手を引いて帰りながら、
10歳の泉さんは、
固く固く誓ったのである。

泉さんは、
弟さんに冷たかった
ふるさと明石を憎んだという。
しかし泉さんは、
憎んだ明石を見捨てるのではなく、
やさしい街に変えたいと思った。
いや、「変える」と誓ったのだ。
そのためには市長になる必要がある。
47歳で明石市長選挙に当選。
市長が目標ではない、
スタートだった。

「子供の未来をしっかり応援する。
その結果すべての人が幸せになる」
そして、障がいのある人も、高齢者も、
「誰一人取り残さない。
弟のような、そんなことは絶対させない」
そんな思いのもと猛然と、
明石を変えて行った。
18才までの医療費、
第2子以降の保育料、
中学校の給食費などを無償化。
市民サービスは全国トップレベル、
財政は赤字から黒字に転換、
人口は5パーセントも増えた。

「市民を助けたら経済が回るんです。
政策や駅前の風景が変わった、
でも一番変わったのは
市民の気持ちです。
明石でできたことは他でもできる、
別の自治体でも、
そして国にもできる」。
12年間市長を務めた、
泉さんの言葉は力強い。

政治とお金の問題も聞いた。
泉さんは、
「お金の力ではなく、言葉の力で、
当選できるということを証明しよう」と思い、
明石市長に当選した。
「選挙は美しい。
王様の子でも、貴族の子でも、
金持ちの子でもない、
貧乏漁師の子せがれが
立候補できるんやで」

全国の政治家よ、
この泉さんの言葉をどう聞くだろうか。
誰もが立候補できる「選挙は美しい」、
そして「言葉の力で当選できる」。
「言葉の力」とは、
「思いの力」であろう。
「絶対にやさしい社会にしてみせる」
こんなに強く、熱い思いはあるか。
その思いがあれば、
お金など使わなくても、
必ず人は動く、
そして社会は変わっていくはずだ。