田原総一朗

1934年滋賀県生まれ。早稲田大学卒業。岩波映画、テレビ東京を経て77年にフリーに。 …

田原総一朗

1934年滋賀県生まれ。早稲田大学卒業。岩波映画、テレビ東京を経て77年にフリーに。 『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)出演中 http://www.taharasoichiro.com/

最近の記事

90歳、死ぬ瞬間まで「全身ジャーナリスト」であると誓う

4月15日、90歳の誕生日を迎えた。 その前後数日間には、 日頃お世話になっている方が、 お祝いの会を開いてくださった。 大変うれしく、 感謝するばかりの、 「誕生日ウィーク」だった。 戦争中、「国のために戦って死ぬ」と 誓っていた軍国少年が生き延び、 11歳で終戦を迎え、 その後ジャーナリストとなった。 一般的には「余生」の世代なのだろうが、 僕はどうしても一丁上がりとは言えない。 時代の変化は途切れることがない。 ジャーナリストとして、 死の瞬間まで時代を 見つめていく

    • 怪僧池口恵観さんと考えた、「戦争」と「利他」

      私は10代の頃から、 「宗教」に強く関心を持っていた。 滋賀県内の禅寺に修行に行ったこともあるし、 天理教の合宿にも参加した。 しかし、生来理屈っぽい人間である。 「人はみな生まれ変わると言うけれど、 じゃあなぜ人口は増えるんですか?」 など質問攻めにして、 追い出されてしまった。 以後、特定の宗教の信者ではない。 ただし、信頼している一人の僧がいる。 池口恵観。 高野山真言宗の大僧正である。 名だたる政治家、スポーツ選手、 経営者たちが、 恵観さんのもとを訪れる。 恵観

      • 僕に「引退勧告」を出した泉房穂さんと考える「去り際の美学」

        以前、元明石市長泉房穂さんと、 対談したことを書いた。 それを読んで、 「えっ、あの人と対談したのか」と、 驚かれた方もいたのではないかと思う。 なぜなら、2023年7月、 泉さんは「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)に出演後、 こんな文章を 『FLASH』に載せていたからだ。 「田原さんの変貌ぶりに愕然とした」 「『自分は批判精神を持ち続けている』と 思っているのかもしれませんが、 その姿勢は感じ取れなかった。 それが残念」等々、 僕の印象を書き、 最後にこうまとめていた

        • セクハラ、裏金……世の中に満ちる「おかしさ」に声をあげよ

          僕が「マスター」になって、 ゲストの方や若い世代の来場者と、 とことん話をする「田原カフェ」に、 東京新聞記者の望月衣塑子さんが 「来店」してくださった。 望月さんとは、 何度も対談しているし、 共著も出している。 相手の反応や、 周囲との協調など、 何も恐れない取材姿勢に、 強い共感を覚えた。 ちなみに、 共著のタイトルは、 『嫌われるジャーナリスト』。 望月さんとは、 世代も性別も違うが、 僕は同志、戦友だと思っている。 今回のテーマは、 「『おかしさ』に屈しないた

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          「やさしい社会にしてみせる」、故郷明石を変えた泉房穂の思い

          前明石市長泉房穂。 今最も刺激的、 かつ注目を浴びている 人物だろう。 先月、僕がマスターを務める 「田原カフェ」に、 ゲストとして来ていただいた。 実は泉さんと僕とは、 かなり深い「縁」がある。 1987年、東京大学を卒業した泉さんは、 NHKに入局したが辞めてしまう。 同じ年、僕が司会を務める、 「朝まで生テレビ!」がスタートした。 若き泉さんは、 「すごい番組や!」と感動し、 たまたま1名だけあった、 番組スタッフの募集に応募、 テレビ朝日に入ったのだ。 当時から泉

          「やさしい社会にしてみせる」、故郷明石を変えた泉房穂の思い

          窮屈な効率優先社会だからこそ、「無器用を武器にしよう」

          僕はとことん無器用な人間だ。 バランスよく何かをできないし、 才能もない。 でも、それが僕の強みだと思っている。 大学を7年かかって卒業し、 作家を志したが、 同世代の大江健三郎氏や、 石原慎太郎氏の作品に、 打ちのめされて挫折した。 就職試験にはことごとく落ち、 ようやく岩波映画に入ることができ、 カメラ助手となった。 ところが僕は機械にめっぽう弱い。 バッテリーとカメラをつなぐコードを忘れ カメラにフィルムを入れ忘れ、 挙句の果てに、 いざ本番でカメラが動かなかったり…

          窮屈な効率優先社会だからこそ、「無器用を武器にしよう」

          ジャーナリズムの危機を救うカギがウェブメディアにあった

          今ジャーナリズムは、 大変な危機を迎えている。 ノンフィクション作品を発表する 主な場であった月刊誌は、 どんどん廃刊になった。 出版社は取材費を大幅削減、 原稿料は、 僕が40代の頃から、 まったく上がっていない。 これでは良質なノンフィクション作品が、 生まれづらい。 一方でスキャンダル記事ばかりが、 巷をにぎわせているのだ。 そんな状況に立ち向かう、 瀬尾傑という人物がいる。 瀬尾さんは、 僕の連載の担当をしてくれていた 元講談社の編集者だ。 同社を退社し、 現在ウ

          ジャーナリズムの危機を救うカギがウェブメディアにあった

          パーティ券問題を機に日本社会の歪んだ構造を解明せよ

          新年早々、大変な災害が起きてしまった。 能登半島地震で亡くなられた方々、 被害を受けた方々に、 心からお見舞いを申し上げます。 避難されている方々、 くれぐれもお身体を大事になさってください。 2024年、 僕にとって90回目の元旦は、 例年通り「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)で、 始めることができた。 日本のさまざまな問題を議論し、 自民党のパーティ券問題についても、 内容の濃い意見が多数出た。 ジャーナリストの神保哲生さんは、 「(パーティ券購入が) 完全に企業献

          パーティ券問題を機に日本社会の歪んだ構造を解明せよ

          堀潤さんと「分断とメディアの役割」について愚直に考えた

          僕はジャーナリストとして、 半世紀以上生きてきた。 そしてジャーナリストとして、 人生を全うしようと誓っている。 今、メディアに携わる人間として、 ネット、SNS全盛の現代は面白くもあるが、 非常に困難な時代だとつくづく思う。 僕は11歳のとき終戦を迎え、 大人たちの豹変ぶりを見た。 英雄だった政治家が戦犯となり、 「鬼畜」だったアメリカ、イギリスは、 すばらしい国になった。 「聖戦」だと言われて来た戦争は、 「間違いだった」と言われた……。 「大人たちは信用できない」。

          堀潤さんと「分断とメディアの役割」について愚直に考えた

          岸田内閣の低支持率は、「国民と政治との乖離」の表れだ

          10月20日、臨時国会が開会した。 岸田内閣の支持率は、 朝日新聞が29%、 毎日新聞は25%だ(共に10月14・15日電話調査)。 30%を切る、 いわゆる「危険水域」だ。 いったい、どうしてこんなに低いのだろうか。 岸田首相の何が問題なのか。 20日深夜の「朝まで生テレビ!」では、 与野党の国会議員らと議論した。 国際情勢、経済、エネルギー……。 さまざまな問題が噴出したが、 大変根深いと感じたのが、 政治が国民の感覚から、 掛け離れてしまっているのではないか、 という

          岸田内閣の低支持率は、「国民と政治との乖離」の表れだ

          「自衛隊の高校」を取材して改めて考える「憲法改正」

          今年6月に対談した際、 小泉進次郎さんが私にこう言った。 「私の地元の横須賀に、 日本唯一の『自衛隊の高校』があるんです」 防衛大学を取材したことはあるが、 高校があるとは知らなかった。 さらに小泉さんはこう言った。 「この高校に、 サイバーセキュリティの 人材育成コースが新設されたんです。 田原さん、ぜひ取材してみてください」。 それはおもしろい。 僕の好奇心がむくむくと湧いてきた。 そこで先日、 神奈川県横須賀市にある、 陸上自衛隊の武山駐屯地を訪れた。 この武山駐屯

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          「政治家らしくない」政治家寺田静さんに感じた、日本が変わる可能性

          これまで数えきれないほど、 多くの政治家に会って来た。 何千人、いや何万人だろうか。 そんな僕が先月お会いした ある政治家は、 よい意味で、 とても「政治家らしくない」方だった。 参議院議員1期目の寺田静さん。 小学生の息子さんと一緒に、 先月開催した「田原カフェ」に来てくださった。 テレビで見る僕が怖そうで、 あまり会いたくなかったそうだ。 寺田さんは中高時代不登校となり、 高校を中退した経験を持つ。 政治家としては異色だろう。 「なんで政治家になったの?」 僕はまず

          「政治家らしくない」政治家寺田静さんに感じた、日本が変わる可能性

          78回目の終戦記念日、「朝生」で若い世代と考えた「戦争と平和」

          8月15日は78回目の終戦記念日だった。 11歳だった僕は 軍国少年だったので、 日本が負けたことが悔しく、 信じられず、涙が止まらなかった。 泣きつかれた頃には、 すっかり夜だった。 窓から外を見て、 僕はびっくりした。 街が明るいのだ。 前夜までは、 灯火管制のため街は暗かったが、 その必要はもうない。 「ああ、戦争が終わったんだ」という、 開放感がやっと僕の心にやってきた。 この時見た、街の灯の美しさは、 忘れられるものではない。 2学期が始まると、 「この戦争は聖

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          報道の自由が密室でゆがめられた!テレビよ、沈黙していてよいのか

          言論の自由、報道の自由は、 言うまでもなく、 民主主義の基本となるものだ。 それが一部の政治家たちによって、 脅かされている――。 そう言うと、きっとみなさんは、 他国の出来事だと思うだろう。 しかし、そのあってはならない出来事が、 この日本で起きていたのである。 その経緯を描いたのが、 僕が出演したドキュメンタリー映画 「放送不可能。」シリーズの第2弾、 「テレビ、沈黙。放送不可能。Ⅱ」だ。 今回登場していただいたのは、 参議院議員小西洋之さん。 発端は、小西さんが入手し

          報道の自由が密室でゆがめられた!テレビよ、沈黙していてよいのか

          「みならい僧侶」小野龍光という生き方を考える

          僕は人と会うことが仕事であり、 人生の喜びでもある。 先日の「田原カフェ」で、 また、とても刺激的な方に会うことができた。 小野龍光さん。 2022年10月にインドで出家した、 「新米」の僧侶だ。 小野さんはIT系の起業家であり、 年商100億円をたたき出すCEOだった。 これが小野さんの「前世」だ。 小野さんは出家前の自分の半生を、 「前世」と呼ぶので、こう書く。 前世はいわゆる「勝ち組」だった小野さんが、 地位や財産を手放し、出家した。 剃髪し、僧侶の袈裟に身を包み、

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          養殖ブリ日本一の鹿児島県長島町に地方創生のヒントを見た

          7月3日、僕は鹿児島県長島町を訪れた。 地方創生について調べていると、ある方に 「とても前向きで、面白い町がある」 と教えてもらった。 その町が鹿児島県の最北端の町、 長島町だったのである。 人口は約1万人。 まずは雄大な島の自然にびっくりした。 そしてすばらしい産業があることを知った。 長島町は養殖ブリの生産量が日本一。 僕も食堂でブリの刺身をいただいたが、 脂がのってとても美味しかった。 もう一つ、長島町は、 日本の温州みかん発祥の地なのだ。 約500年前、 中国から温

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