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「没後150年特別展 江藤新平」を観覧して

明治初期の混乱期に肥前佐賀藩から彗星の如くあらわれ、わずか数年間で日本の司法制度の基礎を確立した江藤新平。
現在、佐賀城本丸歴史館で開催されている展示を、満を持して観に行くことができました。
(佐賀市内は自宅から車で1時間半くらいなので、ちょっとしたドライブ感覚で行けるのです。)



佐賀城本丸歴史館正面


私の江藤新平に対する思い入れは、以前、長南政義先生の講演を聴きに行った時の記事にありますので、よろしければ御覧下さい。


今回の特別展は、最新研究をふまえて江藤新平の生涯をたどり、その再評価をし‘‘名誉を回復”することに主軸が置かれているように思いました。
展示はパネルや映像、文書類や江藤新平が着用していた羽織(明治2年に虎ノ門付近で襲撃された特に着用していたもので、血痕がついたもの)や陣笠、シルクハットなどもあり、大変充実した内容でした。

面白かったのが「メモ魔」だったこと。たくさんのメモが残されていて、化学(授業?)のスケッチが精密なのと比べ、何かの衣装のスケッチは非常に乱雑なこと。親しみを感じました。また江藤さんと言えば司法制度ですがそれのみではなく、学制にも深く関わっていたことも今回の展示で知りました。

初代司法卿として国民の権利を守るための近代的な裁判制度を導入したことなどが有名ですが、江藤の功績はそれだけではありません。三権分立に基づく国家制度の設計や、民法・国法といった法典の編纂、国民皆教育の導入など、現在にまでつながる日本の基礎を築きました。

(「没後150年特別展 江藤新平」チラシより)


また最後に展示されていた「郭公声待かねて」と「惜年」の書は絶筆で、佐賀戦争終結後に高知県で捕縛され護送される間丁重に扱ってくれた高知県の役人にお礼として贈ったものだそうで、グッと胸に迫るものがありました。

今回、江藤新平には反乱を起こす意図は全くなかったこと、新政府側が先に武力鎮圧に動いたことを示す史料も展示されていましたが、この様な展示が公になされるのに150年後の「令和」の時代まで待たなくてはいけなかったのか・・と大変感慨深く思いました。佐賀戦争の後、一時期佐賀県は(懲罰的な意味もあって)消滅し、長崎県に併合されたということもほんの数年前に知りました(明治16年にようやく佐賀県として復活)。江藤自身も明治22年の恩赦により賊名を解かれ、大正5年4月11日に正四位を贈られていますが、Wikipediaによると曽孫の江藤兵部氏は第二次世界大戦後も「逆賊の子孫」といわれていたそうです。

今回の特別展で、そのような江藤新平の名誉が一刻も早く回復されることを心より願います。

佐賀県立博物館横にある「佐賀の役殉国十三烈士の碑」


ところで、これだけの充実した展示なのですが、なんとこれ「無料」なのです!佐賀城本丸歴史館の太っ腹ぶりにはいつも驚嘆します(もちろん、募金箱に幾ばくか入れてきました)。


この特別展は2024年5月12日㈰まで開催され、4月29日(月・祝)には佐賀県立美術館ホールにて記念シンポジウム「稀才・江藤新平の真に迫る」が開催されるそうです。(行きたいけど行けない・・)
歴史ファンには是非ご覧いただきたい展示だと思いました。

*佐賀城本丸歴史館のHPはこちら。関連イベントもありますので日程等はこちらでご確認ください。



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