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覚悟をもって生きる【随想】

24年前、待望の、家の跡取りとなる男児が生まれて安心していたけど、甘かった。
息子はなかなか寝返りができず、9ヶ月検診で「発達の遅れ」を指摘され、2歳過ぎるまで歩くことができなかった。それでもいつかは、定型発達に「追い付く」だろうと思っていたけど、そううまくはいかず、差は開くばかりだった。発達の遅れは運動面だけでなく、知的な遅れを伴っていた。「療育」というものが必要だった。
フルタイムで仕事をしていた私は、実家の父の助けを借りながら息子を週に一度の療育に通わせていたが、ついに限界が来た。小学校卒業を機にスッパリと仕事を辞めた。

それまでは、気持ち的にどこか仕事に逃げていた。息子の特別支援学校進学を機に、障がい児の親として生きよう、と決意した。腹を括ったのだ。

息子はぼんやりしているけど大人しいタイプで、支援は必要だけれども幸い何処へも連れて行くことができた。知的障がいがあっても私達には可愛い息子。難しいことは理解できなくても、心優しい息子は私の癒しの存在でもあった。どうしようもなく不安や悲しい時、私はよく息子の温かい手を握った。大人になった今はしなくなったけれど。

勿論、今でも不安な気持ちに苛まれる時もあるが、息子のおかげで何倍も強くなったのは事実である。

先日、子どもを持つのはもう少し先でいいと言う娘から「子どもを生んでよかったと思うことは?」ときかれたので「無償の愛を知ったことと、人として強くなったこと。」と答えた。
そして息子はもう2度目の年男を迎えた。そろそろ何らかの形で独立させようと考えている。知的障がいがあっても大人なのだから。彼には彼の世界がある。私の所有物ではない。

貴方が独立したら、元のか弱くて可愛いワタシに戻るのかな…?
今さらそれは無理だけど、私にとって「生きる覚悟」ができたことは何物にも替えがたいことだったと思う。
それは障がい者の親としてだけでない。マイノリティでモデルがなくても、自分を信じて自分で描くのが「私の人生」なのだと。
…今でも時々迷うけれど、あの辛さを思えば乗り越えていける、と。




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