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致遠館跡の碑@長崎市五島町

「致遠館(ちえんかん)」とは、フェートン号事件の後藩主鍋島直正(閑叟)公の下に急速に近代化を進めた佐賀藩が、英語教育のために、慶応元年(1865)に長崎市五島町の諫早屋敷に独自に設立した学校です。


校長にフルベッキを迎え、学生監督に副島種臣を据え、実質的な経営や運営には大隈重信があたり、これが後の早稲田大学設立の構想に生かされたそうです。現在は"ミヤジマ五島町パーキング"となっており、その一角に早稲田大学同窓会が設置した記念碑があります。


右側がミヤジマ五島町パーキング。
手前側が海(長崎港)にあたります。
坂を下りた場所であることが写真から確認できます。


当時はこの辺りは海に面しており、ここは佐賀藩諫早家の屋敷跡だったそうです。



*この記事は長崎さるくの説明板、および『旅する長崎学7 近代化ものがたり』(2007年12月 ㈱長崎文献社 編集・発行)を参照にしました。

*設立年は「佐賀市史」等には慶応3年(1867)とあります。

*この記事は2019年1月のFacebookへの投稿に加筆修正したものです。



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