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【称賛という魔力】栄光と地獄を生き抜く、アーティストの備え

称賛を求めないアーティストは、いない。一方で、その“魔力”に備えているアーティストもまた少ない。このトピックでは、「勝つために生きる者の備え」を、知ることができる。今を生き明日を闘い抜くアーティストが愛し愛される、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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監督がスタジオから発する生存の記
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『 アーティストの覚悟と備え 』

観客に観せない映画を撮るアーティストと、出逢ったことはない。しかしながら、観客と出逢えない多くの作品があるそれでも、どの作品の中にも必ず、称賛を求めた純粋たちの想いが溢れている。

幼くも聞こえるこの情熱きっと、芸術と共に生き続けるのだろう。ならばこそアーティストたちには、気付いておかねばならないことがある。貴方がみつめているその“輝き”は、貴方を燃やし尽くして灰にする力でもある。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:女優マリオン コティヤールが、アーティストの精神的なリスクを語る。

74th カンヌ国際映画祭は火曜日、カンヌのベテラン監督レオス カラックス監督のロックオペラ「Annette」 が、オープニングを飾った。その夜、主演女優のマリオン コティヤールが記者会見に登壇し、“アーティストの評価の重要性”を語った。評価の必要性がいかに、アーティストを“破壊”するかを。

アカデミー賞受賞者であり、カンヌ映画祭のベテランでもあるコティヤールが、アダム ドライバーと共に有名なオペラ歌手を演じるこの作品は、有名人や名声のプレッシャーについて触れており、コティヤール自身も、スポットライトを浴びているにもかかわらず、評価を求めることの落とし穴について考察しているのだという。

世界中から集まったメディアに向かって、
コティヤールが語る。「私は“認められた経験”を持っていますが、その必要性はまだ、私の中にあります」と説明しました。「まだ私は、認められる必要を感じているんです。認められることによって自分がどれだけ自信をつけることができるのかを、知っているからですそれから、それがどれだけ、自分を破壊することができるのかも。特に自分自身が愛で満たされていないときには」

彼女は多くの人に愛されることを、「鏡」に例えた。愛するために愛されたいのだ、と。しかし、自分を破壊してしまうこともあるのだ、と。「多くの有名人が壊れ、落ちていくのを見てきたんです」と付け加えた。
 - JULY 07, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

いまや大女優のマリオン コティヤールが、アーティストは「称賛」されないと自身を愛せず、その欲に潰されることもある。潰れた有名人を大勢観てきたと語った、という記事。

ここにはいわゆる“女優インタビュー”を越える、歴史的にとても大きな意味がある。このインタビューが行われたその場所こそが、74th カンヌ国際映画祭のパレ、そのオープニングを飾った代表作品の最初の発表席であり、コティヤールがその主演女優本人であった、という事実だ。なにしろこの“カンヌ国際映画祭”こそが、映画という総合芸術における頂点であり、そこでの評価こそが映画人としての最高の栄誉であり、映画人はその称賛を求めて生きているといっても、過言ではない。

フランスを代表する女優マリオン コティヤールはまだ、カンヌ国際映画祭での受賞経験は、無い。

『 柳楽優弥という勇気 』

57th カンヌ国際映画祭 男優賞(Prix d'interprétation masculine)、最年少受賞者。57th審査委員長は、クエンティン タランティーノ監督であった。

わたしはその前年、映画「Kill Bill」でタランティーノ監督とご一緒していた。彼の日本への愛が爆発しているのを目の当たりにする日々には、“予感”があった。しかしまさか、13歳の演技未経験の少年が日本人初のカンヌ男優賞を受賞するなどとは想いもせずに。このときは、興奮だけがあった。若き才能の苦悩など、知る由もない。

翌年、世界の頂点に立った才能の初回主演映画が誕生する。映画「星になった少年」に呼ばれて参加したわたしは、当時よりも少しだけ身長の伸びた彼と再会した。しかし彼は、“少年”ではなかった。そこには落ち着きや自信などとは明らかに違う、老いた孤独があった。

当時まだ若かったわたしは、彼の中に渦巻く苦悩を、理解できなかった。やがて彼は映画界に背を向け、芸能界からも消えた。

しかし彼は、生きた。

柳楽優弥、完全復活。
その才能はまったく、失われていず。
それは、映画の背後で誕生した奇跡である。

『 アーティストに必要な備え 』

ただ成功に向かって走っていられるのは、「称賛」という諸刃の剣を手にするまでだ。

カンヌ、ベネチア、ベルリンを筆頭に、多数の国際映画祭、無数のショーレースが毎年、沢山のアーティストに栄冠を与える。人生を賭したアーティストたちは夢見たその日を手に入れて、生まれ生きた意義を知る。

しかし、その後に備えていたアーティストは、多くない。
そこには「現実」という壁が立ちはだかる。

■ 祝福のメッセージを最後に、アーティスト仲間が去って行く:
愛に溢れたアーティストもまた闘う同志であり、勝者である貴方のそばにいれば、自信が惨めになるばかり。無理もない。ならば貴方は「すべての友を失う前提」で、生きることだ。

■ もう称賛しか集まらない:
去った同志に代わるのは、貴方の栄華を活用したい人々ばかり。メディア、支援者、ファン、新人、新企画、金、そして愛までもが、純度を保っていない。貴方はいまこそ「自身の価値」を見極める、踊らない意思を持たねばならない。

■ その瞬間こそが貴方の場所:
貴方の意思やキャリアなど一切参考にされることなく、「称賛」を受けたその瞬間に、その役、そのジャンル、その業界、その性格とそのルックスこそが「求められる価値」として、“固定”される。運に委ねないで自身の目的を達したいならただの一度たりとも、“意に反した作品”に参加しないことだ。

■ 貧困との闘いがはじまる:
誰も成功者である貴方に、ごちそうしよう、などとは想わない。災害保証も、“ホールインワン保険”も存在しない。相応しい一流をまとって生きる生活だけが、安泰なのだ。ならば今から、「物事の本質」だけを認めて生きるべき。一般が描く“華飾”に興味のない貴方であれば、成功後にも代わる必要がない。

■ 欲が攻めてくる:
純粋な、「魔」である。自身の本質を見誤る成功者は、欲に喰われる。

すべての魔は、「欲」の影である。
欲を捨てれば、貴方の価値は今まで通り、輝き続けるのだから。

『 編集後記:』

カンヌ国際映画祭がはじまった。
わたしは栄華を求めず、溺れず、映画の殉教者となろう。

明日の称賛を想わず今を生きて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記