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映画126歳、老害なら終わり。

アカデミー賞は映画祭ではなく、「テレビ番組」だ。ゴールデングローブ賞も同じ。波乱の今年も、米国アカデミー賞が発表されたが芸術志向の映画人はそもそも、興味がない。
しかし今年はそこに、異論を持ち込むアーティストが出現していた。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 2021オスカー、「これはボクの新作映画だ。」 』

スティーブン ソダーバーグがこれを彼の、「次の映画だ。」と断言した。
知っているだろうか、26歳の初監督長編映画でカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞するような怪物だ。

出演者たちのギャラ最高額記録を樹立する超大作エンターテインメント映画を撮ったかと想えば、直後に同じキャストで自主映画を製作したりっする。その映画ではマネジャーどころかスタイリストすらつけることを許さず、国際的な大スターたちは撮影現場まで自分で運転して集合し、自前の衣装に自分でメイクをした。

天才は突如、引退宣言して消えたかと想えば、突如復活してコロナ禍を予言するかのようなパンデミック映画を発表。どの巨匠メジャー映画監督よりも早くにテレビドラマを手がけた。

自由と実行力を備えた映画人の頂点に君臨した瞬間、長編映画を2作品続けて、“iPhone”のみで撮影。MacBookで仕上げて発表し、ベルリン国際映画祭での上映を実現。次作では、NETFLIXのストリーミングにも進出して世界同時公開を実現。

それが、スティーブン ソダーバーグ監督だ。

『 アカデミー賞放送、崩壊 』

そんな破天荒、常識知らずのスティーブン ソダーバーグ監督がまさかの、アカデミー賞2021総合ディレクターに決定したのだから、気にかかる。彼はこのハリウッド最大の祭典を、イベントでもセレモニーでもなく、「フィルム」と呼ばせた。

「これはボクの、新作映画だ。」

内容は公言通り、異色だった。授賞式ではなく「映画」と設定された“本作(2021Oscar)”はではプレゼンターの代わりに「キャスト」が配置され、演出が行われた。

“演者”をリスペクトするソダーバーグ監督らしく、最高賞の作品賞を発表後に、俳優賞を残す演出。予定調和を無視して、“キャスト”のアドリブを採用しながら各国を中継で繋ぎ、会場に出席していなかったロンドン滞在中のアンソニー ホプキンスにクロージングの、最高齢主演男優賞を発表。

しかし贈呈できないままに番組は終了した。まさに、ドキュメンタリーをやってのけたわけだ。映画界を代表する大口スポンサーで溢れかえっている番組プログラムの中で。

関係者のみならず出演者が会場から、「そんな筈が無い!」「何が起きているんだ!」「これが本当にソダーバーグの新作映画なら“伏線回収”は不可能だ!」などと混乱をツイートし続けそのままに、ライブニュースが世界を駆け巡っていた。

『 映画、という破壊の歴史 』

それは確かに、“映画”だったのかもしれない。
ドキュメンタリー型演出、「モキュメンタリー映画」だ。

映画は126年前、
舞台興業全盛なりきパリの地下カフェで誕生した。
2年後には、日本の大阪のナンバでも。

当時はこの全く新しいエンターテインメントが賛否を呼び、多くの関心と非難を集めたのだという。現代では比較にならないほど発展したメディア プラットフォームを介して、日常のあらゆる場面に進出している。それにも関わらず気がつけば“大御所”になっている「映画」が、新興業への圧を続けている。

ビデオテープ時代の“コピーガード論争”や、DVDの“コンテンツ所有問題”、テレビ放送時の“CM対応再編集版”、インターネットの台頭による配信一切への非難は、現在も尚。

『 変わり続ける。 』

しかし、想い出さねばならない。
映画はたった100年前まで、新参者だった。
いつの間にやら偉そうに、あれはダメだ、これは映画では無い、などと恐ろしい先輩に成り上がってしまった。

「マナー絶対。ルールは推奨。タブー無し。」
それが、映画業界だ。例外は無い。

映画はいつから、そんなに偉そうな老体になってしまったのだろうか。想像してみれば、当時まだ巨大だった映画のカメラがクレーンに乗せられて“移動”を始めた瞬間、「動く舞台があるか!」と叫んだ出資者がいたのだろう。

映画は、進化を続けて、現在に至る。
進化するためには、すべての可能性を検討する必要がある。否定と圧力を続ける現在の状況が続けば、映画は枯れる。表現手法はこれからも更に、変わり続ける。

わたしは映画が“1枚の紙”になってしまったその瞬間にも、
それを、「映画」と呼ぶ。

あぁ、ところで。
まだ日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際News:巨匠クリストファー ドイル、物議を醸しているウォン カーウァイ映画の修復について語る「あなたは、手放さなければならない。」

国際映画界のシネマトグラファー、クリストファー ドイル。数々の名作映画を、監督の目となり、生み出してきた巨匠である。いま、クライテリオン社から最近発売された、名匠ウォン カーウァイ監督映画特集について巻き起こっている物議(※修復以上の改色や質感演出を多様)に、巨匠ドイルが口を開いた。「SNSではファンたちが、オリジナルと修復版の違いを比較、語っています。評価は、賛否ともに。しかし、オリジナル作品ですら、当初の製作ビジョンからはかけ離れているものです。変更点を気にしなくていい。わたしは作品に対してそれほど、敏感になるべきではないと思っています。創作物で、マスターベーションをする必要はないんです。わたしは修復作業にコメントをし、アドバイスをしますが、それ以上には関与しません。担当者の仕事には、あぁ!と感嘆させられたこともあります。作品は常に、新しい目で観るべきです。ウォン カーウァイ監督とわたしたちが生み出した映像は、“私たち流スタイル”として褒められることがあります。しかしその部分の多くは、ただの“失敗”です。笑 あなたは常に、貴方の記憶の作品を手放さなければならないんですよ。」 - APRIL 26, 2021 THE PLAYLIST -

『 編集後記:』

巨匠クリストファー ドイル、彼は紛いなき天才にして、“天使”だ。
いつも穏やかなのに場を和ませることには懸命でしかし、作品を生み出すその瞬間にかける妥協無き情熱は業火のようで。

親愛なるクリストファー ドイル、

あなたの観客への感謝、監督たちへの優しさ、届いていますよ。
ありがとう。

愛をこめて
My Best,

      Taichi

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作品の完成、という概念はとても難しい。
「劇場公開状態」を指すのであれば、配信動画も、Blu-rayも偽物と言うことになる。“オーサリング”という作業段階では大きく変色するし、暗所や動きの激しい場面では大きく、印象が変わってしまう場合がある。

すべてのカットを一つづつ、“作業担当者の感覚”で、配信用、上映用、パッケージ用などのフォーマットに落とし込んでいく職人作業だ。それでも、文句が出るのは理解できる。

貴方のこだわりは、とても大切だ。製作者たちは、それに応えたい。

かつては、モニターの光量や色調をも指定した監督がいた。それでもその観客一人一人の室内照明環境は選べないしそもそも、映画館の空気はVR.やAR.を以てしてもなかなかに、再現できるものではない。

以前、オーサリング作業にとても厳しい、著名な監督がいた。作業担当者は徹夜を続けて可能な限りの徹底的なこだわりを投じていたがそれでも、著名監督からのOKがでない。あの時わたしが今の年齢なら堂々と言ってやれたのだが、と悔やむ。

「監督。まず、指紋だらけのアンタの眼鏡を、拭いてみたらどうかな。」

こだわりと諦めの分岐点を探す映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記