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【無敵の映画監督】ともすれば不可能は無いと信じている人種たち

事実なのだからしかたがない。こと“映画監督”という生き方と人間性を一言で語り伝えるとするならば、無敵である。このトピックでは、「映画監督の挫折力」を、知ることができる。目の前のチャンスに一喜一憂しながらも懲りて弱り続けているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 内なるバランスの力が、業界を越える 』

業界という、“企業”が牽引する“マーケット仕様プラットフォーム”がある。コンテンツ産業という産業界の総務部の中核に、「映画業界」がある。映画業界という他の多くよりも小さく進化のない業界はしかし、地球上で人類を魅了するあらゆる“ブランド”に紐付く、唯一の存在である。その中に、“映画監督”という社会性の低い“大人こども”が生息している。

ここ「アーティスト情報局」では、再現性の無いことを理由に“自己啓発”を扱わない。また、アーティストによるアーティストのための提起場所であることから、気遣ったり励ますことは無い。無能は消え、時代に遅れれば滅べばいい。己もまた。

その“映画監督”には、圧倒的な「挫折力」が備わっていることをご存じだろうか。映画というプロジェクトは恐らく歴史上ただの一度として、想定通りに遂行できたことは無い。トラブルと予定外こそが日常であり、種類の違う絶望を日に2度味わいつつも翌日にはまた新たな一日が待ち受ける。

それでも生き抜き、ビジョンを語り続けるメンタル力を支えているのは、圧倒的な“ストーリーテリング能力”だ。目の前に存在するすべての出来事を材料とし、目的以上の成果を生み出す能力である。

その過程を導くのは、決して安心しない“臆病さ”が導くリサーチャーとしての才能そして、徹底的な“諦めの悪さ”と驚異的な“薄情さ”の矛盾を駆使する情緒不安定さである。

その正しい破綻は時に、想像だにしない成果を生み出す。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:アカデミー賞ノミネートのトッド ヘインズ監督が、“60年前をドキュメンタリー映画にする”プロジェクトの過程を告白

ドキュメンタリー作品を制作したことがないにもかかわらず、トッド ヘインズ監督は、アンディ ウォーホルが最初に指導したことでキャリアをスタートさせた多大な影響力を持つロックバンド「ベルベット アンダーグラウンド」のノンフィクション長編作品の制作を引き受けた。

アカデミー賞にノミネートされたこの監督は、ボブ ディランの「I'm Not There」などの劇映画で知られているが、ノンフィクションのプロジェクトを担当経験が無いにもかかわらず、不安はなかったと語る。

「すべての映画は究極的には物語的な体験であり、ドラマ的な体験でもある。ドキュメンタリー映画は、観客に届けるために、フィクション映画と同じように機能する必要があるのです」

ヘインズは、編集者と共に、リサーチ、インタビュー、600時間に及ぶアーカイブ映像の選別に3年以上を費やした。その結果、『The Velvet Underground』が完成し、カンヌ映画祭でワールドプレミア上映。バンドの歴史に命を吹き込んだ。そのためにヘインズ監督はアーカイブス映像の他、バンドメンバーやその周辺の人々への現代的なインタビューを採用した。

「他のドキュメンタリーの題材とは異なり、このバンドを取り巻く伝統的な資料が不足していました。そのため、この物語の単なる飾りではなく、真の意味での実験映画の世界へと、すぐにプロセスを導くことができました」とヘインズは説明する。 - OCTOBER 01, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

劇映画の天才監督により、撮影不可能な対象がアーカイブス映像とインタビューで紡がれた結果、カンヌに届くクオリティーの“ドキュメンタリー映画”が誕生した、という記事。

一つの作品の中で演じ別ける“独り複数役”とは演者の喜びなのだがこの天才監督は映画「I'm Not There」の中で、複数の俳優に“ボブ ディラン”という独りの孤高を演じさせつつ傑作映画に仕立て上げる離れ業により、国際映画業界に信頼高い。監督が優秀であれば“たとえ被写体が存在しなくても”ドキュメンタリー映画を完成させられることが証明された、とは言い過ぎだろうか。

『 死なない。 』

いちどプロジェクトが走り出したなら映画監督は、死なない。恐らく心臓が止まったとしても撮影が終了するまでは倒れることなく、剛気に指揮を執る。雷雨を快晴にし、無いものを調達し、映らない物を映し出す技術を発揮する。

メチャクチャを言っているようだが恐らく、現代科学のレベルが圧倒的に遅れているだけだ。映画監督が導く奇跡の数々はやがて、天才物理学者が駆使する素数によって解明される。本気である。

『 落ち込まない。 』

正しくは、“落ち込むことを選ばない”という技術を、知っているだろうか。先述したとおりに映画監督に必須な資質には、“臆病さ”がある。誰よりも臆病であることから徹底的な予防策をシミュレーションし尽くしながら生き進んでいる。どういうことか、想像がついただろうか。

周到なシミュレーションもせいぜい3往復すればこそもう、“落ち込む理由”が無くなってしまうのだ。長期にわたり落ち込み続ける暇があるなら、奥歯が割れるまで、流れ落ちる鼻血で滑ったウッドステアリングに首都高外苑前で単独事故を起こすまで、反射的に体長2mのゴリマッチョ黒人の胸ぐらを掴んだことが切っ掛けで友人になるまで、殺害予告メールを送ってきた相手とやがて意気投合してL.A.で起業するまでに無茶を貫いてしまうのも良い可能性がある。違う場合もあるが、監督は死なないので問題が無い。

『 期待しない。 』

最重要の条件である。
期待さえしなければダメージは無く、すべての向上は嬉しいサプライズとなる。応援はするが見返りは求めず、期待させることに全力で期待することを忘れる生き方が、映画監督の日々である。

それでも傑作があり、たどり着けない作品もあり。
そこがまた、どうにもエンターテインメントである。

『 編集後記:』

「凍(こおり)豆腐」という美しい名称が普及して欲しい、一般的には「高野豆腐」とよばれる便利食材を知っているだろうか。

液体に入れて火にかけるだけのあの弾力は、どんなに逼迫したスタジオの状況においてもインスタント食品よりも早く装備可能な万能色である。保存が利きまくりそれでいて安価で腹満ちよく、味付けは自由自在。

そんな映画監督がいたならきっと、時代を独占する。

不器用な人生を極めた地味で描ききる、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記