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【ARTが今を解く】心理、健康、潜在的な死を観える化する技術

死生観をテーマに描く芸術の先に、潜在的な原因を紐解く「ART術」があった。このトピックでは、アーティストの「“技術者”としての活動意義」を、知ることができる。現代社会の衝撃的現実に圧倒されて作品テーマを選べずにいるアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 現代を診察する技術“ART” 』

スピリチュアルや、芸術で病人を癒やす、その手の話ではない。「技術」の話だ。

多くの場合アーティストたちは、現代社会問題をテーマに、異議を提起するための作品を生んでいる。観客の感情移入を促し、閃きを与えることが目的だ。つまり、現代感覚の“受け手”として過敏な感性をほとばしらせ、より鋭利な一太刀を振るうことに情熱を注いでいるわけだ。

だが、ともすれば我々アーティストは、根本的に、重要なことを見落としているのかも知れない。「技術者」だということを。「6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。」とは、なにかで有名になったアインシュタインというお爺さんの言葉だ。なるほど我々アーティストは、人々の“理解”、その為に必要なスキルを有する「技術者」なのだ。

「観える化」と「理解を促す技術」の専業が、もうひとつだけある。「医学」だ。医学はアーティスト同様、親兄弟宗教科学文化法律あらゆる現実を越えた、説得力を有している。「芸術」と「医学」の共通点は多い。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:健康と病気についてアートが教えてくれること

キュレーター兼エディターのBárbara Rodríguez Muñozが、アートが健康、病気、死亡率を理解するのに役立つ方法について語っている。彼の作品は、医学と健康の接点を横断している。

「私は常に、学際的な活動や、緊急性の高い問題に基づいて作品を制作しているアーティストとのコラボレーションに興味を持ってきた。健康と社会正義は、私のキュレーターとしての活動の根幹をなすものです。健康は、病人の王国と健康な人の王国の二つのパスポートを持っていると考えます」

近著Health(2020年)は、病気や疾患をアートとの関係で考察する学者やアーティストのエッセイや抜粋をまとめたものだ。例えば、死という文脈の中で美について考える機会を読者に提供している。

 疎外された人々がどのように“バイラリティ”を指示しているのだろう。目に見えるものと見えないものの領域を扱うとどうなるのだろうか。

「アートの役割を考えてみると、アートは可視化に役立ちます。私たちは皆、潜在的な病気であり、潜在的な感染力を持っているのです。病気についての話を隠し続けることを拒否し、より安全な方法で弱さを表現するチャンネルを育てることができるように。現代的で緊急性の高い芸術的な議論をしていきたいと思っています。」 - AUGUST 14, 2021 FRIEZE -

『 ニュースのよみかた: 』

“健康”という書籍を出版したキュレーターは、“アート”を健康と死から語っている点で興味深い。アートは、集団的な潜在的感染力を可視化することに役立つ、という記事。

地味ながら、実に大胆なアプローチだ。それまでの芸術的表現の“逆ベクトル”を描いている。たとえば、病気や死を“芸術で表現する”というのは中世より王道的なテーマ選択であるしかし著者は、「現代人は全員潜在的な病気なのだから、その弱さを可視化する」という。アートや芸術をあたかも“技術”かのように表現していることに、はっ、とした。

作品表現の他にも文化の系譜までもが含まれているように認識されている“芸術”という単語が誕生したのは、明治6年にウィーン万博参加のため。一方の“ART”の歴史は古くしかも元々には、「医療技術」も含まれているのだ。つまり本著者が「病と死をアートで説く」ことは、そもそもの意義に立ち返っていることになる。

病を観える化し、死に向かう心理を読み解く技術「ART」は、中世と現代を直結する、未開拓かつ最先端のソリューションなのかもしれない。

「アーティスト」と「医師」は共に、「ART」を生きる同志の技術者だ。

『 “バイラリティ”が現代を観える化する 』

記事中にあった「Virality(バイラリティ)」とい言葉に、ひっかかった読者は鋭い。口コミ(Oral)などの認知ががウィルス(Virus)のように爆発的に広がる(Viral)ことを言う。

ここでいう“バイラリティ”とは、表現の高技術者であるアーティストたちが目する“方角”についての指針だ。多くのアーティストはせいぜい、数十名のコミュニティの中に生息し、創作活動を行っている。国際的な立ち位置を有する成功者たちは最低でも、その十倍のコミュニティを日常化しており、ことマーケティングにおいては“100万人以上”を起点としたプランニングが必須となっている。

「できれば世界中の人に観て欲しい」という知のない行動派が多いために、どれだけ業界内の相対評価が高くともアーティストの絶対評価は、低い。「世界の主要193ヶ国の全国民中の3%に全想起を実現したい」という具体的な指針から逆算することがマーケティングの基本であり、その指針こそが、「バイラリティ」。Viralは、現象ではなく、「技術」なのだ。

『 技術者としてのアーティスト 』

映画人は、収益を労働時間と比較してはいけないことになっている。寺の息子のクリスマス イヴやパイロットの高所恐怖症くらいのタブーである。だがその実、「技術者」としては有能で、特性によっては専業で構築されている多数の業界レベルを遥かに凌駕するスキルをもつ。

アーティストは“技術屋”と判断されることに、激しい屈辱を感じる人種である。「すごいですね」「上手ですね」という純粋な称賛と褒め言葉に、怒りを覚える人もいるわけだが、技術屋、あなたたちは凄い。その技術が求められる場所があるなら、活動の一端で、貢献してみるのはどうか。

『 編集後記:』

わたしはVFX(特殊効果)会社を起業したばかりの21歳の頃、観客だった初老の主婦から連絡をもらったことがある。同窓会の“温泉旅行”に行きたい、と。彼女は乳がんの治療で摘出術を受けており、片方の乳房を欲していた。

衝撃だった。当時の義手や義足、欠損部位の保護パーツは質が酷く、完成品質以前に素材にまで、褒められるところが無かった。わたしたちは総力を挙げて、過去最高の技術を投じて身体を洗える、アプライエンス(人工皮膚部位)を開発、提供した。大変喜んで頂けてご婦人は、旅行当日を楽しみにされていた。

たが彼女は、使わなかった。
同級生たちから、現在のままの自分が美しいと気付かされたそうだ。

仰るとおりである。

そのままを受け入れる勇気に想いを加味する、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記