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【人道支援チャド】紛争地の医療(4/5)~青年と父とアッラー~

割引あり

みなさん
人道支援家のTaichiroSatoです。

さて前回に引き続き今回も「紛争地の医療」をお届けします。
まだ前回の投稿を読んでいない方は、まずはコチラを読んでもらえたら。

前回投稿→→【人道支援チャド】紛争地の医療~モルヒネと少年~ 
(3/5話)

また僕の投稿内容のイメージが湧くように僕のインスタグラムでこれから少しずつ写真や動画を可能な範囲でアップしました。
興味のある方はnoteと合わせて楽しんでもらえたら嬉しいです。

↓↓僕のインスタグラムはコチラ↓↓
Taichiro Sato(@taichirosato_ig)

紛争地の医療~青年と父とアッラー~

「紛争地の医療」は全5話で投稿する予定です。
ーこの投稿は2023年4月から10月のチャドでのプロジェクトの記事ですー
(※登場する人物の名前は実際の名前から変えてあります)

15歳の青年は、頭に銃弾があったった。
頭頂部から右側にかけて突き刺さるように当たった鉄の塊は、青年の右脳の破壊し止まった。

銃が嫌いだ
僕は銃が好きじゃない。
しかし、紛争地の医療者として活動する上で銃創を診る機会はとても多い。
僕らの病院に到着する患者のほとんどが以前に書いたように銃創である。
どんな銃で撃たれたか(銃のエネルギー)や、どのタイプの弾が当たったのか(被弾した場所の組織損傷)、これらは治療に大きく影響する。
したがって、僕らのような医療者が銃のことを知ることは患者の命を救う上でとても大切なことで、そういった理由で僕は少しは知っている。
改めて断っておくが、僕は銃が好きではない。

青年と父
青年は僕らの病院に到着後、すぐに手術で銃弾が取り除かれた。
青年の右脳は大きなダメージを受け、その結果 左半身はマヒした。

触っても感じない。
頭で思っても動かない。

脳が銃弾によって傷ついた影響か、青年は1日中ぼーっとしている。
発語はほとんどない。
この時の青年は身体の中の大切な何かがすぽっと抜けてしまったような印象を受けた。
僕が青年のもとへ行くと青年は僕を目で追う。
そして、目が合うと少し緩んだ表情をするのだった。
はい、いいえの簡単な言葉を発することができる程度の意識状態だった。

僕は毎朝その青年のところへ行き、慎重に全身の状態をチェックした。
彼の頭の中で起こっていることが心配だったからだ。

===読み飛ばし可能(医療者向け)===
以下文章は、解説を付けていますが医療知識と専門用語が多いので難しいと感じる方は読み飛ばしても大丈夫です。

一般的に頭部外傷急性期では脳が腫れるという現象が起こる。この状態のことを脳浮腫といい、青年も銃弾のダメージによってこれが引き起こされている考えらる(もちろん出血や組織損傷など他にも考えることはたくさんあるが、ここでは省略する)。何が心配かというと、この脳浮腫が悪くなると致命的な状況を引き起こすことがあるということだ。以下に少し説明する。
頭は基本的に頭蓋骨で覆われているため収められる容量が決まってしまっている。脳浮腫になり頭蓋骨の中の容量が増えてしまうと中の圧力が上昇し、人間が生きるために必要な機能をつかさどっている脳の大切な部分が押し出され、圧迫され壊れてしまう。この状態を脳ヘルニアといい、命に関わる非常に危険な状態である。チャドの僕らのテント病院では日本のように頭部CT(頭の画像)を撮ったりして、頭の状態を把握することはできない。したがって僕は、脳ヘルニアの徴候がないか、脳浮腫の状態は昨日と比べてどうなのか、僕らが五感をつかってわかる全ての情報をかき集めて、医学的知識と僕の経験とを混ぜ合わせて、青年の頭の中を精一杯想像していく。
体の動きや意識の状態、水分摂取状態、被弾し破壊された頭蓋骨部から出ている軟部組織の盛り上がり具合などから推測し、画像診断なしで脳のコンディションをイメージし、可能な限りの脳圧のアセスメントをしていった。検査限界の中で体の状態をイメージしながら体を診る(フィジカルアセスメント)のは紛争地の医療にはであるといえるかもしれない。

ここからが紛争地での看護の領域。そのうえで何が出来るか。
毛布やクッションを集め丸めて、脳圧が上がらないような頭の位置、体勢をコントロールしていく。その他この環境下で、そして青年の状況を考慮したうえで頭蓋内圧が上昇する要因を徹底して排除していく。
腹圧コントロール、排便管理や水分摂取状況。
血圧、脈拍、バイタルサインの推移や発汗、口腔内湿潤などから体内水分量の推測しつつ、全身を程よくちょっとだけドライで管理する。
日本での看護経験を応用し、「ないからできない」のではなく、今できる最大効果の集中治療管理を僕は「実践」するべく頭をつかう。

ここに僕の当時の視点はすべては書ききれないが、大学の教育にも関わるようになりつつある最近の僕は、少し医学的なアプローチも今回のnoteの内容に盛り込んでみた。参考にしてみてほしい。

タイチロフィジカルアセスメント

しかし、ここはアフリカ乾燥地帯のど真ん中。
水もない。食料も少ない。
この地での医療の限界の中で僕たちにが青年に出来るのことは、それ程多くはないのが実際だ。

僕は毎日青年のもとを訪れると、いつも青年の横には父がいた。
父は、青年のそばにいて思うように左半身が動かず、ぼーっとしてしまう青年の中身の回りの世話を1日中していた。
そこに母の姿は、ない。

サラマレコム。サバ―フルヘイル。
僕は、こんにちは、元気?と、青年と父に向かって挨拶をする。

サバ―フルノール。
僕に対するリスペクトなのか、父は右手を左胸の上の方に当てて返事を返してくれる。
こちらへのリスペクトが伝わる、とても真摯で洗礼された身のこなしだ と僕は思った。

父は、話始める。
僕のつたないアラビア語でも伝わるように、身振り手振り、そして簡単なアラビア語を使ってくれる。(基本的に、スーダン人で今回国境を越えてきたマサリットの人たちとのコミュニケーションはアラビア語で行われる)

「僕は子供の横で祈ることしかできないんだ」  
父は、そう僕に言った。

急性期のリハビリの重要性
祈ることしかできないといった父。
僕の立場でも青年に出来ることはそう多くはない。しかし、青年の近未来に起こりうる様々な合併症(今回の頭のケガに関連して後から引き起こされる健康問題のこと)を防ぐことはできる。チームスタッフたちと話し、治療と並行して合併症予防のためのアクションプランを実行し始めていた。その一つが急性期の関節運動訓練リハビリテーションである。

この時、青年は無事に一番危険な時期を無事に越えることが出来たところだった。

一般的には、銃弾を頭に受けたことによって脳に腫れが起こる。腫れが強いときに命の危機に瀕するわけだが、そのピーク時期を超えると脳の腫れは時間をかけてひいていく。その時に身体に起こっていた諸症状(この場合は左半身麻痺や意識状態)が軽減されるケースもある。今後、青年の左麻痺が完全に元通りになることはないかもしれないが、もし将来的にある程度改善され、一人で生活できる程度になるとしたら、早期からのリハビリが青年の人生を大きく変えることになる。
いずれ青年の左半身が動くそのタイミングで手足の関節拘縮(関節が硬くなって動かないこと)なく訓練を進めることが出来たのであれば、大きな初動がつくれる。それは単に運動機能的に関節や筋力の問題だけでない。急性期からのリハビリ介入は、本人や家族のモチベーション、将来への希望を感じるといった精神的な意味でも大きなインパクトがあると個人的には考えている。リハビリを、関節が硬くなり「全く動かすことができない」ところから始めるのと、「動かすための努力をすること」から始めるのでは天と地との差があると僕は思っている。
青年の麻痺回復が予想以上に起こることへの願いも込めて、青年の父とリハビリに取り組むことを決めたのだった。

父とリハビリ
まずは、父に簡単な左半身のリハビリを教えた。
関節の動かし方や普段横になっている時の体勢の整え方などである。
方法はプロフェッショナルでありすぎる必要はない。
父が継続して出来ること。
青年の関節運動がなされ拘縮しないこと。
目的を達成できるのであれば、完璧である必要などなかった。
そして何を隠そう。僕はリハビリのプロではない。
それぞれが出来ることや知識を持ち寄って、最善に努める。
それでいいのだと思う。

父にどこまで青年の将来がイメージできていたかはわからないが、いずれにしてもこのリハビリが青年にもたらす意味が大きかった。
そして、それは父親にも大きな意味をもたらしたのだった。

祈ることしかできない そう言った父。

父は青年を守ってやれなかった、そんな想いがあったのかもしれない。
ただ横にいて日常の世話をし、祈るだけではなく、青年の未来を拓く何らかのアクションがしたかったのだと思う。

理不尽にも青年の人生も父の人生も大きく変わってしまった。
そんな現実はもう変わることはない。

ただ、少しでも未来に希望を自分たちの手でたぐり寄せたい。
そんな強い意志を僕は父から感じていた。

毎日毎日リハビリを父とやり取りしながら、父はひとつひとつ方法を学び、2週間で父のリハビリの腕はメキメキと上達していった。

僕自身も、出来ることが限られ、多くの命との別れを経験しなければならないここでの現状の中で、青年と父の努力と2人の前向きな人柄は僕にとっての希望でもあったし、彼ら2人が未来に対して少しでも希望をもってもらえることが嬉しかった。

そんな生活が3週間と続いたある日。

別のテントで処置をしていた僕の前に突然父が現れた。
そして、僕に来るように伝え、青年の元へと急がせた。

「手足が動くようになったんだよ!!」

父は泣いていた。僕も涙をこらえることが出来なかった。
青年はニコッと微笑んで、左腕と左ひざを何度も何度も僕に動かして見せてくれた。

おしりの床ずれを防ぐために少しだけ右向きに仰向けになっている青年の背中側には長細く丸められたブランケットが当てられていて、これは父が体勢を整えるために作ったものだ。
その体勢で、青年のだらんとしていたはずの左手と左足が、ゆっくり、ゆっくりと、でも確かに本人の力によって曲げられていく。左ひざは僕が軽く支えれば、立て続けていられるほど曲がり、左腕は胸の少し下くらいまで曲げることが出来た。

青年も父も僕の顔を見ては、どうだ?すごいだろ。と言わんばかりの嬉しそうな顔で、僕はシュクラン(ありがとう)と父と青年に伝えた。


希望

僕らの力ではどうにもならないようなことが世界中でたくさん起こっている。
理不尽に暴力を受けた人たち。
たとえ それ が起こってからすぐに僕らが現地に入ったとしても、医療者としての限界を感じ、悔しい思いをたくさんする。
正直、僕らに出来ることなんてほとんどないんじゃないかと思うことの方が多いくらいだ。
そんな日々の中で僕らは青年、そして父にほんの少しの希望を与えることが出来たのかもしれない。素直にそう思えたのだった。

僕が派遣期間を終える少し前、青年はゆっくりではあるがしっかりと言葉をしゃべれるようにまで回復していた。
重たく少しだけしか動かない左手をマッサージしながら、青年は自らの意志で左手を動かしている。
僕を見つけて、少し笑ってくれる。
父はいつものように青年の手足をマッサージしたり動かしたりしている。

父は僕にいう。

自国を離れ、僕の子は銃弾を受け、ここへ逃げてきた
この状況の中 医療を受ける場所がある

僕らにとって君は 希望なんだよ


僕はこの言葉を忘れることは一生ないだろう。
僕にとっても青年と父は希望そのものだった。

日々のどうにもならない現実も、自身が抱える無力感も、地域や様々なところからくる風当たりも。
殆どのことが、うまくいかない。
思い通りになることもない。
完璧なものなんて何一つない。

でも、僕らがこうやって現地に駆け付け必死に何かを見つけようともがくこと。その姿が彼らにとっての希望なのだと知った時、僕はこの活動の医療以上の存在を知ったのだと思う。

僕は 彼らの希望だ、なんてそんな大それたこと考えた事もなかった。
僕らは 彼らの人生の中でもおそらくもっとも辛く厳しい時期に関わっている。
そして、そんな苦境の中 生きることを模索する彼らや彼らの家族が、
世界中のどこにいても 安心して医療を受けられるように
命の時間がこれからも当たり前に続いていくように
僕らに出来る医療を届けるための努力をしよう

その医療が少しでも確かなものであれるように
その医療が少しでも高いレベルであれるように
僕に出来ることを増やすための
最大限の努力をしよう

そして
僕は僕自身に何度も何度も言いきかせる

誰かにとっての 希望であれ。



※投稿内容は全て個人の見解です。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございます!
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また次回お会いしましょう。
Best,
Tai

✎2024年より✎
2024年1月1日 能登半島地震で被災された皆様、1日も早い安心安全な日常への復旧を願うとともに災害に関わる医療者として自分に出来る形でのサポートを模索していこうと思います。
亡くなられた方々へのご冥福をお祈り申し上げます。
被災地への僕なりの形として、国内外の災害に精通する医療者として、日本の民間企業の災害支援事業をアドバイザーとしてサポートすることになりました。一般社団法人Nurse-Men のメンバーを中心といた民間の災害対策本部を設置し、中長期的な被災地支援を実施していきます。
ご支援いただけますと幸いです。

尚、ぼくの投稿は全文公開にしていますが、有料記事設定しています。
頂いた金額は2024年1年間は能登復興支援に活用させていただきます。
よろしくお願いします☺

「🏝Naluプロジェクト🏝」
みんなで応援し合える場所づくりとしてメンバーシップを立ち上げ運営しています。2024年で2年が経ちました!興味がある方は一緒にメンバーシップを盛り上げてくれると嬉しいです。


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