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Fは今日もまた
校舎から音が消えるのを待っていた
教室のほぼ中央に位置する机に
Fは一人で座っていた

夏の終わりの蝉の鳴き声と
エアコンから出る重低音だけが
教室内に反響していたが
廊下からは足音ひとつ聞こえなくなった

Fは席を立ち
右斜め前の机のそのまたひとつ前の机
つまりFから桂馬の動きをして到達する机へと
静かに移動した

机には白と黒と茶色の混じった消しカスが
無造作に散らばっていた
消しカスに白が混じるのは
バクの右手に無駄に力が入っている証拠で
茶色が混じっているのは
バクの無意識に机の肌を擦るクセのせいだ

バクが机の上に消しゴムを滑らせている後ろ姿を思い出し
Fの口角は自然と緩んだ

念のため廊下の方に視線を走らせ
もう一度誰もいないことを確認し
立ったまま
疎らに散らばった消しカスを机の隅に集め始めた
すぐに足の親指大程の消しカスの山ができた
Fはその山を左の手のひらに乗せ
自分の机へと戻った

そして自分の机に僅かにある消しカスと混ぜ
丁寧に丁寧に丸め始めた

教室内には冷房が効いているのに
やたらと額から汗が吹き出した

Fにとってこの作業は崇高な儀式のように思われた

力を込めて練り上げると
それはキシリトールガムほどの大きさの
消しカスのボールになった

Fはそれをじっと見つめ
ペンケースの中にしまった
中にある消しカスのボールが4個に増えた


***


Fがバクを意識し始めたのは
夏休みに入る直前の
夕立の降った日だった

バクは放課後に図書館で自習をしていたが
急に窓に打ちつける雨を見て
教室に折り畳み傘を取りに行った

机の横にあるフックにかけてあった折り畳み傘を手に取ったその時
ガラガラと勢いよく音を立てて教室の戸が開かれた

そこには雨に濡れたバクがいた

バクはFの存在に驚いたのか戸惑ったのか
少しバツの悪そうな顔をした
Fとバクは
それまで一度も会話というものを交わしたことがなかった

バクは
おう
と小さく呟き
教室の後ろに据えられたロッカーへと大股で歩を進めた
自分のロッカーを開けると体操着入れを取り出し
その中に乱暴に手を突っ込み
ガサガサと中を探り始めた
しかし目当てのものがなかったのか
舌打ちをして体操着入れをロッカーに投げ込んだ

Fは自分のロッカーへと向かい
そこから自分のタオルを取り出し
バクのもとへ近づいて
使って
と言った

ずぶ濡れのバクが体操着入れの中から取り出そうと試みたのは
タオルだろうと思ったし
見て見ぬふりをするのは
いくら話したことがないとはいえ
クラスメイトとして失礼だと思った

バクは

という口の形をした

という音はほとんど発されなかったが
どうやら困惑しているようだった
Fはバクがこのタオルを汚いと思っているのかもしれないと考え
このタオルは何かあった時のためにロッカーに入れていたもので
新品のタオルなので綺麗だ
と伝えた
バクの顔から戸惑いの色は消えなかったが
じゃあ
と言ってタオルを受け取り
濡れた髪の毛をゴシゴシと拭き始めた
ゴシゴシという音に潜って
教室で自習してたんだけどコンビニに行ったら急に雨降ってきちゃって
というような内容の声が微かに聞こえてきた
Fは
なるほど
と言った
確かに教室にひと席だけ教科書とノートが開かれた机がある
あそこは確かにバクの机だった
教室で自習をするという選択肢があることをFは初めて知った
Fにとって自習といえば図書室でするものだった
今度教室で自習するということをしてみようかとふと思った

ありがとう
とバクはタオルをFに返し
そのまま自席に戻っていった
どういたしまして
と返答しFはタオルと折り畳み傘を手に持ち
教室の戸へと向かった
途中バクの机の横を通った
そこには大量の消しゴムのカスが散乱していて
なんだか汚いな
と思った

図書室へ戻った
雨はまだ強く降っている

折り畳み傘をリュックに入れたところで
もう一方の手に持っていたタオルをさてどうしようかと思った
この濡れたタオルをリュックに入れたくはない
困った
とタオルを顔の近くまで持ち上げた
その時だった

タオルから漂うにおいに
体が反応した
Fは戸惑った
この体の反応は
これまで体験したことのないものだった
Fはゆっくりとタオルを鼻に近づけ
大きく息を吸った
額から妙な汗が吹き出してきた
訳もわからず
その汗を手に持ったタオルで拭き
もう一度タオルを鼻に近づけ
息を吸った
Fは立っていることができず
そのまま地面にへたり込んだ

***

つづく


文:ナオキ

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