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まちづくりと文学について@おの

@みなさん、おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
T A I D E Nのおのです。

もう言わずもがな、ですね。休読日です。
今週も張り切って休んでいきましょう!

今週のテーマは「住」。
「衣食住」3週連続シリーズ最終話ですね。。

堂々完結を目指して頑張ります。
過去はこちら。
(衣食住のうち2/3は食べ物がテーマになっています。タイヘンモウシワケゴザイマセン…)

さてさて本題。「住」ですね。
僕の地元も負けず劣らず田舎です。
静岡県静岡市由比(旧由比町)桜エビと薩埵峠が有名なまちです。
ぜひお越しください。

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突然ですが、なぜあなたは今の地域に住んでいますか?
また、住み続けているのでしょう…?


学校や職場に近い、行きやすいから。
子育てがしやすいまちだから。
実家がそこに位置していたから。
周辺環境が充実しているから。
すごく素敵な物件だったから。


理由は人それぞれだし、同じ地域にいても人によって答え方、優先順位はきっと違う。当たり前ですけど、経済的、社会的など様々な要因が絡み合っていて、一概にどうこう言えるはずもなく、複合的に判断、選択された結果だろうと考えています。

その人なりの背景、優先順位のなかで意思決定されたその選択は
きっと間違っていることなんてないんだと思います。

でも、僕らはどうしても中目黒に住んでいるあいつに憧れてしまうし、
町屋に住んでいるあの子をイジってしまう。

確かに、不動産価値で言えばそりゃ中目黒の高いだろうし、
町屋は臭いかもしれない。(そもそも、あんまり知らなかった…)


ただ、あくまで私がここで主張したいことは、
「本来は、どこに住もうが正解の単一的モノサシなど存在しない」ということであり、

もっと踏み込んで言ってしまえば、
「正解だけではなく、むしろ別解の方が僕らを幸せにしてくれるのではないか」ということであります。


歴史を振り返ってみれば、もともとは僕らは遊牧民。
農耕を始めるにあたって定住をし始めたのが約10000年前と言われています。
皆さんもきっと、テスト前に教科書の冒頭部分だからという理由で、何度も復習したように、人類は肥沃な土地を求め、続々と川沿いに人が集住した結果、黄河、インダス、メソポタミア、エジプトの、みなさんご存知4大文明が形成されていったのです。

そして、その土地を奪い合うことで幾つもの国や集合体が勃興を繰り返してきた、そんな居住地をめぐる戦いの歴史が人類の歴史といっても過言ではないのかもしれません。

わかりやすい戦争がなくなった現代日本においては、大都市部の高層マンションに住むこととは、僕らの根底にある競争原理をくすぐる、ある種の戦争に勝ちたいと言う欲求の表層なのかもしれないなと思います。

こうやって振り返ってみると、
損得勘定や経済的指標に対して、
これまでも、
これからも、
性懲りもなく、
どこまでいっても、
僕たちは踊らされてしまう生き物のようです。

歴史が証明するように、永遠の繁栄などありません。
ただ、人類が生まれてから数百万年という果てしない時間。幾つもの国や文明が盛衰し、人類は前進と後退を繰り返しながらも少しずつ学んできました。

そんな、競争原理に抗うように生まれてきた営みの一つの副産物が
「まちづくり」なのではないかと、僕は思っています。

“年齢や職業、趣味嗜好が異なる人たちが、一定の範囲に居住している状態”
そんな状態を「まち」と言うのだとしたら、
“年齢や職業、趣味嗜好が異なる人たちが、一つの共同体の一員として、土地の価値を高めることで、自分も含めた土地全体の幸福感を高めていく過程”
そんな行為や努力のことを僕は「まちづくり」と呼びたいと思っています。

これまでの議論に置き換えれば、
既に顕在化している経済的価値(肥沃な土・交通の利便性)だけではなく、
その土地自体の別の手段で、価値を高めていくための方法とその方法を探る過程。
これを現代社会では「地域活性化」「地方創生」と言っているのかもしれません。
(個人的には主従が逆転しているような気がして、この言葉にはあまりしっくりとはきていません。)

僕が「まちづくり」の活動に惹かれるのは、
きっとこの活動の根底に「自分を含めた僕らの幸福を追い求める人の想い」があるからなのだと思います。

こんな想いはきっと文学の一部なんだと思うんだよなぁ。

この想いが、いつか僕らの性である競争原理を超え、
幸福を掴めるその日が来るのだとしたら、僕はあなたとその幸福を掴む一人でありたい。

そんな想いを持って、僕はTAIDEN以外でもこんな活動もしてたりします。
気が向いたら覗いてみてくださいな。



今の僕では
まだぼんやりとした輪郭しか掴めずに、
火曜日に上げなくてはならない締め切りに負け、
かなりぼやっとした文章になってしまいました。
全く伝わっている気がしません。
ここまでお付き合いいただいたのに、なんの学びもなく申し訳ありません。

でも、いつかこの想いを自分の言葉であなたの胸にズキュンと届く、
言葉を、映像を、表現を届けられるように、
もう一度どこかでこのテーマリベンジしたいと思います。

どうかその頃まで、飽きずに休読しながらお付き合いいただけたら嬉しいです。

罪滅ぼし程度に僕の卒業論文を貼っておきます。
テーマは「まちづくり活動における主体的な次世代の担い手育成に関する示唆」
ご覧の通り、初めに申し上げますが、多分つまらないです。
論文を全文読んだ人がいたら、ご飯奢りますのでおっしゃってください。
そんな人は変態だと思います。好きです。


こうやって振り返ってみると、
「衣」「食」「住」は、
もはや生活に必要な基盤となる要素ではなく、
僕らを形どるアイデンティティとしての側面が
非常に強くなっているのかもしれません。
ましてや僕らが意図して形成しているものではなく、
衣食住によって僕らのアイデンティティが形成されているのかもしれません。

やっぱりよくわかりませんね。
寝ます。

お粗末な文章に今週もお付き合いいただき、ありがとうございました。
来週こそは休読してくださいね。

それでは。

ぶん:おのこうた。

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