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エンターテイメント @わっせ

こんにちは。TAIDENのnoteへようこそ。月曜担当のわっせです。

今週のテーマは「五輪」です。急に政治的になった気がします。来週のテーマはどうなるのか、楽しみですね。

さまざまな物議を醸し、圧倒的な批判と無理やりな擁護に囲まれていた東京五輪。直近の出来事ですが、歴史の遥か遠く、伝承の類にまでその話がかすれていってほしいと、ぼくは早くもそう願ってやみません。

思い返せば、2013年。東京五輪開催が決定されたとき、ぼくはまだ高校2年生ぐらいでした。1年生ほどの緊張感もなく、3年生ほどの殺伐とした感じのないこの学年は、ぼくにとって大きな転機でした。政治への関心が強くなったのです。このときのぼくは、毎朝の電車で友人と今朝のニュースを話しながら、休み時間に『共産党宣言』を読み、「このマルクスって人なに言ってっかわっかんねえなあ」と思いながら、それでも彼の怒りを感じていました。つまり、社会に対して怒りを抱いていいのだ、と信じ始めたのです。

そのときから、ぼくの政治思想は少しずつ花開いていたように思えます。最近、縁あって再びマルクスの思想に触れたのですが、それはまた別のお話です。

話が逸れました。ぼくは東京五輪の開催が決定されたとき、大きく首を傾げました。先見の明を誇るわけではありません。大きな矛盾を感じていたからです。

当時のぼくには、2011年3月11日の記憶が根強く残っていました。ぼくは震災を、中学2年のとき、先輩の卒業式の日に迎えました。卒業式終了後、14:46の出来事です。卒業式が終わったあと、在校生は普通に部活動をしていました。顧問の先生は、卒業式の諸々で部活に現れず、グラウンドには生徒だけ。14:46。サッカー部だったぼくは、突然地面が30°くらい傾いたのを感じました。ついてゴールポストが歪むように揺れ、女子生徒の悲鳴が聞こえ、ようやく地震だと気づいたのです。

周囲にだれも大人はいません。そこで頼られたのは、ぼくでした。生徒会長だったから。周りの部活の部長たちが、「岩瀬、どうする?」みたいな感じで声をかけてきたのを覚えています。とりあえず、グラウンドの真ん中で、揺れがおさまるまで待つ。ぼくの決断はそれです。やがて大人たちがすぐに来てくれたので、ぼくはその後の決定を任せました。ふと振り返ると、遠くの家から煙があがっている。地震の瞬間の記憶は、だいたいそんなものです。

その日から2日間、たった2日間、ライフラインが寸断されました。かろうじてラジオがつきましたが、情報が更新されるたびに増えていく死者の数を、どこか遠い東北の浜辺に打ち上げられていく人の数を、ラジオはただ伝えていくだけでした。

あまりにも恐ろしかった日々を、ぼくは強く覚えていました。震災の中心地ではなかったはずなのに、ぼくの地域の被害は大きかった。それでもぼくは、「被災地」「被災者」としてのアイデンティティを持てずにいました。なぜなら、ぼくの被害よりももっと大きな被害に遭った人が、たくさんいるからです。

間違いなくあのとき、そしてむろん今も、東北の傷は癒えていないし、それは長い時間とお金をかけて、少しずつ傷と向き合うことでしか癒せないはずなのです。それを──五輪というものに救いを求めるのは、違うのではないかと、2013年9月のぼくは、はっきりと友人に伝えました。おれはオリンピックに反対だよ、と。

ほかにも理由はありました。短期的な観光客の増加は恒常的な経済発展につながらないはずだ、とか、よくわからないけど東京でスポーツなんかできるの?とか、そういう理由もありました。それでもやはり、ぼくのなかで一番大きな理由は、震災でした。

そして、今年の話です。大多喜町の撮影が決まるまで、千葉県の房総半島南部を何箇所か回りましたが、そこではまだ、屋根にブルーシートをかぶせた家屋がいくつもあったことをおぼえています。これは、2019年の台風19号の被害によるものでしょう。2年前の災害が、なぜまだ復旧できていないのか?

オリンピックは終わりました。パラリンピックも、どうやら開催されるようです。では、あのブルーシートはいつ取り外されるのか? 東北の更地になった海岸は、いつ復旧されるのか?

東京は痛みを知りません。だれかの痛みによって恩恵を得る人間がいるからだとぼくは思います。あれほどの大ヒットとなった『シン・ゴジラ』は東京を焼け野原にしましたが、かれらは痛みを知ったでしょうか? 漫画『呪術廻戦』の渋谷事変でも、東京は焼け野原になっています。それでも痛みはわからないでしょう。ブルーシートの屋根が、どんなに頑張っても心もとないことを、避難所の体育館の床は寝るには硬すぎるということを知っている人は、どれほどいるでしょうか。

日々更新され、数を増していくコロナウイルスの感染者数。あれを、どこかでエンターテイメントとして感じている自分はいないでしょうか。それは、あの日、3月11日の夜、情報の更新とともに増えていく死者の数と、いったい何が違うのか。

「東京」は東京以外を外部化することによって、外部のあらゆるものから利益を吸い上げる、ひとつの構造だとぼくは思います。資本主義的な構造のなかで生まれた都市であり、そこに住む人間はすべて資本主義の隷属者です。なんて言ったら格好がつくでしょうか。ぼくはそうやってしか、自らを蔑むことができません。

「今日、東京5千人だって」
「三陸海岸、200体だって」
「停電、3000戸だって」
「ニッポン、金メダルだって」

いまのぼくたちに、これらの本質的な違いが気づけるでしょうか。



文:わっせ

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