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共働きと共育児が今は理想。家のことはセコムとルンバに任せておこう!

 前回の記事(上に貼ってある記事)でも見たように、「専業主婦」という言葉は大正時代に生まれた新しい女性の職業、すなわち生き方のようなものだった。そして、家にいる時間が長くなった母親が子供の面倒をみる時間が長くなり、育児=母親の役割という概念が形成され根付いていき、「母性」という言葉が使われるようになった。
 しかし、専業主婦になれるための条件は、旦那の安定した比較的高い収入がほぼ絶対的なものだったことも思い出してほしい。
 ということは、父母ともども働きに出なければ生活すら困難になり、経済格差による教育格差などが騒がれている現代において、果たして「専業主婦」になれる女性はどれくらいいるのだろうか。その辺も踏まえ、見ていこう。

「専業主婦」は伝統でも文化でもない

 大正時代に生まれた「サラリーマン」と「専業主婦」。当時は憧れの夫婦体制だったが、昭和に入るとそれが一般的になった。
 終戦後の日本における就業人口はまだまだ農業が半数を占めており、全体的に貧しかった。その状況が変わったのが高度経済成長期。
 この頃、現代の若者では考えられないような経済成長を日本は遂げた。1954年に東京タワーが誕生、64年の東京オリンピックのために新幹線や首都高の整備がされるなど、世界有数の経済大国になった。この頃、「サラリーマン」が増加したのだ。
 そんな好景気に一般化した「サラリーマン」の台頭と共に「専業主婦」という生き方を選ぶ女性たちが増えていった
 日本で女性の労働人口の割合が少なかったのは1975年。つまりは団塊の世代の女性たち(1947~49年生まれの人たち)が、それに該当するのである。
 何が言いたいかというと、男性は「サラリーマン」として外で汗を流し、女性は「専業主婦」として家事と育児に専念するというモデルは、たったの数十年しか歴史を持たないのだ。
 それに、何度も言うが「専業主婦」がマジョリティである時代というのは、経済に余裕がある時代に限って成立する、いわば持続可能性の低い生き方なのである。
 事実、1990年には、専業主婦のいる世帯数はそうでない共働き世帯に数を追い抜かれている。
 この経緯を見れば、「専業主婦」は日本経済が好調だった時代の産物だった、ということが理解できるだろう。「専業主婦」という生き方は、日本の伝統でもなんでもないのだ。

三歳児神話の起源

 今更だが、「三歳児神話」には合理的根拠はない。これは文部科学省も認めている。 そんな「三歳児神話」が生まれたのも、「専業主婦誕生」の時期と一致する。
 1961年に始まった三歳児検診が「三歳児神話」の起源と言われており、当時は「3歳までは母親が子供を育てるべき」という価値観が一般化していたそうだ。
 当時の厚生省児童局長は「母親は本拠地を家庭に戻してください」という考えを持った人だった。そして、今後の日本経済を担うための「立派な人間」を育成するために、乳幼児期の家庭教育が重要だと訴えたのだ。
 確かに乳幼児教育の重要性は教育経済学者など有識者たちも認めるところだが、何も育児を「母親」だけが担う必要はない。上記の号令を当時の人たちは鵜呑みにして「母親だけ」家庭に戻り、そのスタイルは現代でも引き継がれつつある。
 また、当時の母親たちは、育児を間違うとアトピー性皮膚炎や喘息、過食・拒食になると思い込んでいる傾向があった。あるベストセラーにまでなった本が原因なのだが、子供に欠陥(言い方は悪いかもしれない)ができる全ての責任は母親にあるとして「母原病」という言葉も流行したそうだ。

「専業主婦」が合理的な時代は終わった

 「3歳までの教育が大切」という主張と、それが「母親の任務」という主張はイコールにならない。
 前々回の記事(下に貼っておく)でも見た通り、「母親だけが子供を育てる」という育児は日本の伝統でもなんでもない。むしろ、「育てられないと判断したら捨てる」という風習の方が、歴史的には「日本の伝統」と呼ぶのにふさわしいだろう。
 海外を見ても、「母親だけが子供を育てる」というのは普遍的な現象じゃない。フランスはベビーシッターの利用率が高い。北欧では父親の育児参加時間が長く、「専業主婦」がほぼ存在しない。また、アフリカやアジアの貧しい国では、育児のためではなく生活のために共働きをせざるを得ない状況が当たり前だ。
 育児というものは、時代や環境にとって仕様が変化してきた。それなのに「母性本能」や「三歳児神話」という言葉で、「母親」だけに「育児」を任せてしまう発想はとても浅はかだ。そしてそういった発想を母親自身や周囲の人が持っていたら、父親から育児参加の機会を奪ってしまうことにもなりかねない。
 見てきた通り、確かに「専業主婦」が合理的な時代もあったが、今の日本は当時ほど経済成長していないし、家事だってだいぶ楽になった。
 家を守るのはセコムに、掃除はルンバにでも任しておけばいい。人間はそう簡単に進化しないが、機械はすぐにバージョンアップする。そういう機械にできることに忙殺される必要はないのだから、母親も父親も共に働き、共に家事をし、共に育児をする時間の確保は、そう難しいことでもないのではないだろか。



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