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一人一票は不公平?

日本に於いて一人一票の原則は、憲法第44条で定められている。文字通り、誰かが複数の票を投じることができないということだ。これは一見公平に見えるが、本当にそうだろうか。この記事では一人一票についてやや否定的な立場で意見を述べていく。

まず、貧困層と富裕層では納税額に雲泥の差がある。国は税金によって運営されているのに、富裕層が貧困層と同じ票数しか投じることができない。これにはあまり公平だとは思えない。ただ納税額に比例して票数を獲得するようになると、大多数の貧困者が虐げられるようになるということは想像に難くない。だから納税額が10倍になる毎に、一票増加という程度が良い塩梅な気はする。そうすると100万円の納税者と10億円の納税者では三票しか差がない。すると、いくら億万長者でも貧困層と1人あたり10票も差が開かない。

あと、そもそも適切な投票をするには高度な知性だ。本来は候補者を一人一人調べ上げ、公約を確認し、その有用性や実現可能性を自分の頭で精査し、最終的な結論を出す必要がある。しかし、これを胸を張って出来ていると思える投票者はどの程度いるのだろうか。おそらく、多くの人は割と適当に投票をしているのだろう。時間的な余裕がないのも原因だが、多くの人はそもそも自分で候補者を選別できる程の知能がないのだ。それで適当に投じた一票も、しっかりと考えて投じた一票も同じ価値であるとは実に馬鹿馬鹿しい。だから学歴によっても多少は票数を変化しても良いのではないかと思う。学歴と知能は別という意見もあるだろうが、国民全員に知能検査をする訳にもいかないし、学歴と知能に相当な相関があることは間違いない(中卒と院卒で比較すれば、平均知能に大きな差があることは自明)のだから、ある程度の正当性はあると思う。

だからおいらは現在の一人一票の原則には賛成できない。

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