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「ロッキー・ホラー・ショウ」の楽しみ方 in Paris(前編)

 伝説のカルト映画「ロッキー・ホラー・ショウ」(以下、勝手に略して「RHS」という。)をご存じだろうか?
 RHSは、もともと1975年のホラー・ミュージカル舞台劇から始まり、その後、映画化。45年経った今でも世界中で(細々と)公開されている伝説的なカルトムービーである。

 今まで声を大きくして言ってこなかったが、私はRHSが大好きだ。DVDを百回以上は観ており、iTuneストアでも購入し、Facebookのオフィシャルファンクラブもフォローしている。本当に心の底から好きだと言える映画だが、これまで人にはお勧めしてこなかった。なぜなら、内容が過激でお下品、インモラルでエロティック過ぎるため、絶対に万人受けしないと分かっているからだ。

 しかし、この映画の魅力はただ観るだけではない。内容が理解できなくても別の楽しみ方ができることを、自身のパリでの体験を基に紹介したい。


1.「ロッキー・ホラー・ショウ」とは?
 そもそもRHSとは何なのか。上述のとおり、初めはイギリス・ロンドン生まれの舞台劇であった。それが映画化され、イギリス(1975年8月14日公開)、アメリカ(同年9月26日公開)、そして日本(1976年8月7日公開)を含む各国で公開をされた。
 全体的にミュージカル仕立てで構成されており、一応ホラーではあるもののコメディタッチの強い映画だ。公開当初の関係者からの評価は最悪だったという。しかし、1年後のアメリカでの深夜興行から始まったパーティー形式の上映(こちらは後述を参照)が定着し、確実にコアなファンを増やし続けたのである。その結果、カルトムービーの代表格として、現在でも世界中で上映会が(細々と)行われている。

2.「ロッキー・ホラー・ショウ」の特徴
 内容についてはまた別の機会で詳しく紹介したいと思うが、とにかくハチャメチャで何でもありという言葉が一番しっくりくるのではないだろうか。ストーリーはあるようでなく、出てくる登場人物もとにかく癖があり過ぎる。バイセクシュアルにゲイ、カニバリズムにトランスヴェスタイト(異性装)やパンクセクシュアル(全性愛)…。
 大学時代に最初に観た時はとにかく衝撃であった。しかし、この無茶苦茶な映画から私は目が離せなかった。1回見終わり、すぐに2回目を見始めた。この映画の世界観が単に私の好みだったということもある。ただそれ以上にこの映画をもっと深く理解したいと思ったのだ。そして何度も何度も観るうちに、この映画に対する私の中での見方に変化が表れた。
 今でこそ多様性を受け入れる風潮にはなってきているが、1970年代はいわゆる社会のはみ出し者が胸を張って生きられる時代では決してなかったはずだ。RHSは、そんな時代に抵抗するように、自分のありのままに受け入れ、自由に生きていいんじゃないかというメッセージが込められているような気がしている。観るたびに新しい気づきをくれるRHSが私は大好きなのだ。
 
3.「ロッキー・ホラー・ショウ」の楽しみ方 in Paris
 まずは2013年、駐在先のパリで初めてRHSを見に行った時のことに触れよう。あの時の衝撃は今でも忘れられない。あれがあったからこそ、RHSがもっと好きになったと言っても過言ではない。しかし、1回目はただただその存在感に圧倒されただけに終わり、悔いが残ったことも事実だ。
 
[油断しまくりで呆然とした1回目]
 パリにあるその映画館を見つけたのは偶然だった。渡仏してすぐ、週末の買い物途中にたまたまRHSのポスターを見つけたのだ。なんでこんなところに?と思い、建物を見ると小さな映画館だった。その頃はまだフランス語もろくに話せなかったが、勇気を出して建物の奥の窓口で聞いてみる。するとスタッフが一枚のちらしをくれた。そこには、毎週土曜の夜、RHSを上映するとあった。しかも、フランスでのオフィシャルファンクラブが何かをするらしい。よく分からないが、大好きなRHSを映画館で見られるなんてと興奮した私はすぐにチケットを購入した。

映画館でもらったチラシ(表面)


映画館でもらったチラシ(裏面)


 色々なことが初めてであったため、余裕を持って土曜の夜21時過ぎから映画館の前に並び始める。4月のパリの夜はまだ寒い。身震いをしながら待っていると、RHSの登場人物たちの衣装を身に纏った人たちが入口から出てきた。彼らは談笑しながら路上で煙草を吸い始める。私の心は高鳴り始める。この映画館で一体何が始まるのか、全く予想もつかなかったが、彼らを見た瞬間、面白い体験ができる確信を持ったのだ。
 
 22時を少し過ぎたところで映画館のスタッフが出てきて誘導が始まる。時間通り始まらないところがフランスらしい。
「ここに来るのは初めてかい?」
 かろうじて聞き取れたフランス語に「Oui(はい)」と答える。すると、前列の方に案内をしてくれた。中は想像していたよりも狭かった。それもそのはず、スクリーンの前に大きなステージがあったからだ。映画と舞台を同時に行うのか?そんなの見たこともない。というか、そもそもどちらを見ていいか分からないではないか。けれど、さっきのコスチュームの人たちは?様々な疑問が頭の中をグルグル回る。
 そうこうしているうちに、会場が暗くなり、開始のアナウンスが始まる。スクリーンに見慣れたオープニングシーンが流れ始めた。いよいよだと思っていたところ、突然隣の人が歌い出した。後ろの人も歌っている。何だ、何が始まったんだ。すでに動揺している私の前に俳優たちが躍り出た。映画のシーンと同じ仕草でステージを歩き回る。
 
 何となく察し始めた私にいきなり米が降ってくる。もちろん炊いていない米だ。周りを見るとみんな米をまいている。いや、むしろぶつけているという表現の方が正しい。米は顔に当たると結構痛い。余談だが、その日パーカーを着ていた私は、帰宅後、フードに米がたくさん入っていたのに驚くのである。それでは、なぜ米だったのか。それは映画の中で結婚式のライスシャワーのシーンがあったからだ。しかし、初心者の私はまさか周りが米を仕込んでいることに気づくはずもない。手痛い米の洗礼を受けた私は、これは思っていたよりもやばいところに来てしまったかもと身震いした。この先、何が出てくるのか。全く検討もつかない。映画のストーリーを考えると、この先何が起こってもおかしくない。すでに私はスクリーン、舞台、周りの三方に気を配るという集中できない状況に追い込まれていた。
 
 少しするとまた周りがごそごそと何かを出す。新聞紙?雑誌?次は何だ。そう身構えた瞬間、今度は水が降りかかってきた。雨のシーンだった。水鉄砲やらペットボトルを持った人たちが所構わずそれらを振り回す。他の人たちは新聞などでそれをガードする。唖然とする私の顔に冷たいものがかかる。びっくりして水が来た方向を見ると、ステージの俳優だった。彼はいたずらっこのようにニマっと笑うと、また次のターゲットに水をかけ始めた。不思議なことに、米と水にまみれた私はこの状況をだんだんと楽しみ始めていた。
 
 一番会館内が盛り上がったのはパーティーの場面だ。映画の中で執事が歌い出すと館内が立ち上がり出す。私が好きな曲の1つだ。ステージの俳優たちも一列に並んで踊り方を教えてくれる。見よう見真似で私も踊ってみる。館内はまるでディスコのようだ。周りは全然知らない人たちばかりなのに、目が合うとみんな笑顔になる。驚きと興奮が一緒になった雰囲気の中、ただひたすら踊りまくる。妙な一体感がそこには生まれていた。この高揚感は口では言い表せないほどだ。そして音楽が終わると、スクリーンの中の人たちは床に倒れこむ。館内の私たちは椅子に座る。みんなグッタリだった。
 
 その後もトイレットペーパーが空中を飛んだり、紙吹雪が舞ったりと一時たりとも休まる暇もなかった。セリフの間の掛け声も抜かりない。
 
 私は熱気に包まれた館内でふと思った。観客同士だけではなく、映画、舞台との一体感も感じる、そんなこと今まであっただろうか。馬鹿げた行為の繰り返しなのに、なぜこんなに面白いのか。答えは未だに見つからない。けれど、そんな行為を繰り返すうちに、私たちは単なる観るだけの観客ではなく、RHSの登場人物になっていったのだ。ここにこの映画が長く愛される秘密があるように感じた。
 
 地下鉄に乗り、アパートに帰った時にはすでに0時を過ぎていた。初めての体験にクタクタになった私は倒れこむようにソファに横になった。その晩のことを頭の中で反芻しながら思った。これはリベンジだ、リベンジするしかない。

 そう決意した私は、次の日から電子辞書等を駆使して、ちらしやホームページを解読し、次回に備えて準備を進めたのであった。
               (後編に続く。)

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