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末寺の末事 125

 時代が変わっても人間は変わらない。って、本当にそうでしょうか?見方にもよると思うけど、時代が変わって人間も変わってるから、変わってないような気になってるだけじゃないでしょうか?

 日本の多くの寺院や宗教団体が、その信者に支えられ護持されて運営しているわけですが、浄土真宗に於いては、その信者を信心の行者、同門の信心の宗徒、門(信)徒「もんと」と位置付け、建前的にではあるけれど、理論上は僧俗の垣根が最も低い宗教団体なんだと思います。
 が、これはあくまで捉え方で、実質的に現代では、特に門徒さん側に、僧侶との意識的差異を感じている方は多いと思います。

 私見ですが、それは門徒=家という考え方がベースにあるからだと思うのです。
 例えば「◯◯寺の門徒です」と言ったとき、この言葉の前にくるのは、「私は」ではなく、「家は」なのです。ご自身がバッターボックスに立ってる意識は薄い。

to be continued



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