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末寺の末事 116

 ジェンダーレスとか聞こえは良いが、問題に正面から対峙するのと、蓋をして見えなくするのとでは、意味がまるで違ってくる。

 男女間だけではない。老若の世代間もそう。生活、職業、知識量や肉体的な差異などもまた
ギャップは必然。そこをどう埋めるべきかとなった時に、往々にして蓋をしてきた。田舎は特に封建的権威を振りかざしてきた。

 しかし、モラルという武器を手に入れた民主的主義的主義なんかが、今、そのウヤムヤにしてきたツケを請求している。当事者ではない我々に。

 問題は、やっぱりコミュニケーションの「壁」なのだ。これが「溝」や「隙間」なら、蓋をすれば渡れそうな気もする。が、「壁」には乗り越えんとする意志や努力が必要なのだ。

 しかし、今の田舎の疲弊しきった亡者に、その気概はない。ように思える。失礼ながら…。故に、「分けよう」となる。前任者と同様に、(面倒)臭いものには蓋をする。

to be continued



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