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何となく記事漁ってたら、自分のキモいとこ見つけた



“「差別意識が根底にある優しい人」”

自分のキモい所

「差別意識が根底にある優しい人」
自分これだと思う。 
はっきりとした自覚はないし、特段意図して差別や何かをしている気もない。
だけどこの記事のこの言葉を見て、心臓に鉛玉を喰らった。恐らく図星の合図だろう。


差別とは何だ。何となく調べると
出てくるのは、”人種差別、ジェンダー差別、障害者差別、子供の差別、高齢者差別、部落差別”など。
どれも聞き馴染みのある、意識の高い高校生や大学生が口を並べて喜んで囃し立ててそうな議題だ。(まあこれも酷いけど)

けどこんなメジャーな差別はピンと来ない。
自分のはもっと日常的でもっとグロテスクだと思う。例えば女の子と喋る時に見た目で態度を変えたり、学歴や職業で態度を変えたりとかさまざまだ。それ以外だと特に話してて楽しくなくても自分にとって徳があれば、簡単に手のひらを返す。書いてて自分でも嫌になる

多分これらのことは周りの人にもバレてる。
しっかりと言語化して理解されているかは微妙だけども、、
何となく自分でも感じていた違和感でもあったし、周りの人が感じている違和感でもあると思う。
それが故に何となく、こんな自分と喋っている人はいい人だなあと常々思っていた。

これはそのまま周りの人を潜在的に見下している、評価しているということだと言えるが逆の経験もある。

”恐らく”差別された話

僕はアメリカに1年留学に行ったことがある。
行く前の経験者の話で人種差別をされた話をたまに聞いていたため、身構えて渡航した。しかし思っていたようなドラマなどで観る人種差別は無かった。(他の人はされていたかもしれない)

ただその中でも、明確ではないが「あ、今自分は人種的に見下されたんだろうな」と思う瞬間が2回ほどあった。一つはスクールバスの中でクスクス笑われ何かを言われたという分かりにくいもので、自分も普通に言い返したので問題は無かった。

しかしもう一つのケースがまさに自分と同じ「差別意識が根底にある優しい人」だった。
それは留学先の高校の卒業式の夜に卒業生で遊園地に行くという行事の時の出来事である。
色んなアトラクションを友達と周り、とても楽しい日だったと記憶している。途中で自分はヒスパニック系の友達3人と合流しゴーカートに乗ることになった。列に並びながら雑談して、いざ自分達の番の直前になったときに前に所謂白人系の同じく卒業生男女が3人並んでいて、人数の関係で順番を自分達に譲ってくれることになった。
そのうちの一人が自分達に「どうぞ!先に行っていいよ」と言った。

優しい言葉である。
しかし自分の足は一瞬立ち止まった。違和感を感じたからだ。
その言葉が本当に”先に行っていいよ”ではなく、”僕と違う人種の君たちと近くにいたくないから先に行ってほしい”という意味であると彼の態度の何かが物語っていた。

あからさまな差別は受けていない。考えすぎとも取れるだろう。しかしその人の何かを見て”差別”だと少なくとも自分は受け取った。
その時これはある意味リアルだと思った。
世界中で差別の撤廃の声を上げるムーブメントがあり、特にジェンダーや人種に関してあからさまな差別発言は言いにくい雰囲気である。しかしその風潮だけでは人から差別意識は取り除けない。
その結果、差別対象を自然な形(一見親切)遠ざけるという行動に行き着くことはかなり合理的だ。
この何気ない会話から、留学生活終盤も終盤で新たなアメリカの一面が見れた。

その弱さの発生源は?

少なくともこれと同じ事を自分は人にしているんだろう。(潜在的な差別を)
リンク先の記事を読むまではこんな所見ないようにもしていた。
何様のつもりだと思う。しかも周りの人にも恐らく気づかれていて、救いようがない。

けど気づいてしまったからには解決したい。

現段階では差別とは”自信がない人が、世間の自分に有利な物差しを使って他人を下に下げることで自分を安心させる”という側面があると自分の中で理解している。

逆に言えば自分の事を”社会的な物差しで他人より自分は劣っている”と信じて痛めつけているからこそ起きることでもないかと思った。

つまり近すぎる、社会の物差しとの距離が。
だから自分が劣っている証拠を提示してくる情報収集を止めるのも一つだろう。
他には何がある?どうすれば良い?
答えが分からない。

ここまで読んでしまった人にも、何か策があればご教授いただきたい。
またこれについて発見があれば書きたい。


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