「吉備津神社」参詣録【岡山県・岡山市】
「吉備津神社」は主祭神に大吉備津彦命を祀る 岡山県岡山市にある神社です。現存する本殿と拝殿は足利義満の造営とされ、国内唯一の建造様式である「吉備津造」の神社建築として国宝に指定されました。本社には桃太郎伝説の元となる「温羅退治」が伝承されており、伝説の舞台となるスポットや関連する神事は今も尚 本社で執り行われています。縁結びや夫婦円満、合格祈願、商売繁盛などのご利益があると言われる岡山県随一のパワースポットです。今回はこの吉備津神社参詣録です。🙂👍
吉備津神社
「吉備津神社」は、岡山県岡山市北区吉備津にある神社です。岡山市吉備中山に鎮座し、主祭神に大吉備津彦命を祀り、その一族も配祀されています。本社が誰によって創建されたかについては諸説ありますが、現存する本殿は室町幕府第三代征夷大将軍足利義満の造営とされ、拝殿とともに国宝に指定されています。本殿の手前に拝殿が繋がり、各々の屋根を前後に並べた屋根形式は「比翼入母屋造」または「吉備津造」と呼ばれ、当時は現存する全国で唯一この様式を持つ建造物でした(後に千葉県市川市にある法華経寺祖師堂がH9年にこの造りで再現されています🤫」)。本・拝殿の広さは京都八坂神社の御本殿に次ぐ広さ、出雲大社の二倍の大きさで、構成文化財27件の内8件が「日本遺産」の指定を受けています。本社には 桃太郎伝説の元となる「温羅退治」が伝承されており、これにまつわる「矢置岩」や「御竈殿」など 伝説の舞台を見学できる他、「矢立の神事」や「鳴釜神事」なる祭事は今尚 本社で執り行われています。😮また、当地出身の政治家犬養毅は吉備津神社を大いに崇め敬ったとされ、平成9年には銅像も建てられています。参拝方法は二拝二拍手一拝。縁結びや夫婦円満、延命長寿、家内安全の他、学業成就、商売繁盛などのご利益があると言われています。😌特に一童社は学問の神様/菅原道真や芸能の神様/天鈿女神他の祭神が祀られており、合格祈願、芸事上達のご利益があり、毎年多くの初詣参拝客で賑わっています。🤓
吉備津神社へのアクセス
境内マップ
境内の散策には、 境内図|吉備津神社 (kibitujinja.com)にある、以下に掲載の「境内図」が便利です。👇😉
境内散策(弓置岩~一童社~本殿・拝殿)
境内図の「弓置岩」付近から参拝スタートです。⛩🙂👉
境内散策(回廊~えびす宮~岩山宮~御竈殿)
拝殿・本殿~一童社の参拝も終わり、次は約389mの回廊へ。🙂👉⛩⛩⛩
車道へ出ま~す。🫡👉
境内散策(宇賀神社~三社宮~御供殿~本宮社~瀧祭神社~梅林~祖霊社~水子慰霊社)
一旦回廊から離れ、浮島にある宇賀神社にお参りします。
・・・吉備津神社の参詣録はここまで。
感想
吉備津神社の「吉備」は吉備国の「きび」、そして「吉備団子」の「きび」です。昔話「桃太郎」のモデルとなった伝説「 温羅退治」。吉備津彦命が桃太郎になり、 温羅一族が鬼ヶ島の鬼になるわけですが、昔話のように最後は「桃太郎が鬼を退治しておしまい・・・めでたしめでたし」と言う単純な話ではないのです。伝説では 首をはねられても尚、 温羅の首は何年も咆え続け、怖れた人々は吉備津彦命に相談し 家来の犬に顔の肉を食べさせ、髑髏となった温羅を地中深く埋めました。しかし、その後も13年間咆哮が続いそうな。ある日、吉備津彦命の夢の中に温羅が現れ、温羅の妻の阿曽媛に竈殿で神餅を炊かせるようお告げをし、吉備津彦命もその炊いた竃殿の鳴りひびき方で吉凶を占う「鳴釜神事」を執り行うと咆哮は止まったそうです。この話を聞いて「鬼なのになんで人間の奥さんがいたの?」って不思議に思って調べてみると、実は温羅の正体はなんと朝鮮半島百済の王子とのこと。温羅が移り住んだ吉備国では製鉄技術が発達していたことを裏付ける数々の遺跡が発掘されています。つまり、温羅は大陸から製鉄技術(他にも造船技術や製塩技術なども)を伝えてくれた渡来人だったと言われています。そして、その鉄製の農工具を地域農民に広げ、作物の収穫増に貢献していたとか。奥さんの阿曽媛さんもその時に知り合ったそうです。え~なんだかそんな話を聞くと、勝手に鬼にされて最後は退治される伝説なんて不憫ですよね?吉備津彦命の中の温羅も「私は鬼ではない」と事情を説明したことで 吉備津彦命も温羅に申し訳ない気持ちになり、お告げの通りに神事を執り行ったようです。毎回、神社仏閣にまつわる伝承や由緒を知ると 色々と考えさせられることも多く、まさに「伝説は小説より奇なり」を再認識させられた吉備津神社でした。🤔
最後まで本記事を読んでいただき、ありがとうございます。😌
まとめ
おまけ
これも伝承です・・・
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