国王も柔軟性

17世紀頃のイギリスでは、議会の力が強くなっていたようだ。
議会をないがしろにする国王は追放され、議会を尊重する国王は任期を満了できた。
この時にはまだ、国王が絶対的な権力を持つ、絶対君主制の時代であったにも関わらずだ。

その後、名誉革命を経て、国王の権力は削がれていき、現代に通じる議院内閣制が整っていく。
議院内閣制とは、行政を執り行う内閣が、議会の信任をもって成立している政体だ。
議会は、選挙によって国民に選出された議員で構成されるから、行政は間接的に民意が反映されているということになる。

その後、議会はより国民側を向くことを求められ、貴族で構成される貴族院の力が削がれたり、積極的な選挙活動を行うことを半ば強いられたり、労働組合を支持基盤とする労働党が登場し躍進したりしていく。

その大きな民主化の流れの前兆の時期において、いかに制度上は絶対的な権力を有していようと、国王が独裁的に振る舞うことは許されなかった。
国王にも、時代の空気を読み、柔軟に振る舞うことが求められたのである。
国王からすると、代々絶対的な権力を有していたのに、なんで追放される事態に陥ったのか理解できなかった人もいたのではないだろうか。

国王ですら時代の空気を読み、柔軟に振る舞うことを求められた。
いわんや、一般庶民をや、とは言うまでもない。
しかし、いかに柔軟さが求められても、絶対に変えたくないこともあるのだ。

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