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破壊を抑えようとする悪魔。

 最近は「自由」について考えています。最近といっても、2022年の2月頃から考えているので、もうすこしで2年が経とうとしています。なんでそんなことを考えているのかというと、僕が今やっている「リベル」というものの目的がたぶん自由であるためであるからです。でも自由というのは普段から使っている言葉なわりに考え始めると難しい概念で、それについてじっくり考えてみようと思いました。もう少し根本的な理由としては、僕が目的や意味にこだわる性格だからなのかもしれません。

 今は自由に関する定義をおおむね終えて、なぜその定義にいたったのか過程を踏まえて書いていっています。全体の構成としては、まずは自由についてそれはどのようなものであるのかを書き、次にでは自由であるためにはどうすればいいのかを書く予定です。後者は具体的な解決策であり、僕はこれから何をやっていこうかと考えるということでもあります。そう、僕は実務をやりたい。
 でも考えることもやっているのは、目的や意味にこだわる質(たち)だから。考えることは好きなのですが、実務をやりたい。だから早く書き終えたい。でも目的や意味がないと続きそうにない、そういうことを大事にしたいし考えることは嫌いではない、いや好きだ。

 さて、自由の定義という一番の要が定義できたのだから、あとは書き進めるだけかと思いきやそんなことはありませんでした。書いている過程で、自由を説明するために必要な別の要素が出てきたりします。すこし前には「私」というものについて考える必要が出てきて、それについて考えていました。
 そしていよいよ自由の定義へ。ペースも上がってきて、このままいけば年内にここらへんまでは書き進められそうだと思う、思ってしまう。そんな調子の良さが続いているときに訪れる「これはおかしいのではないか」という気づき。
 気づいてしまっては再び考えるしかありません。再び考えるということはそれまで固まっていたものを破壊することを意味します。
 しかしそこで「そこまで破壊する必要がある?これくらいの修正で良くない?」という悪魔のささやきが聴こえてきます。破壊の程度が大きければ、それだけ再構築に時間がかかるからです。
 この破壊を抑制しようとする悪魔は、たぶん目標が生み出したものです。「このままいけば年内にここらへんまでは書き進められそうだ」「年内までにここまでは書こう」という目標です。それを達成するためには破壊は最小限に止めた方がいい。

カバー画像出典元

リベルというのをやっています。 http://liber.community/