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カフェマメヒコ ゲーテ先生の音楽会を通して学んだこと

先日、カフェマメヒコ宇田川町店(惜しまれつつも7/2に閉店)というカフェで、『ゲーテ先生の音楽会~ゲーテ先生と珈琲マンボ~』という催しを観劇してきました。

宇田川店は映画の上映や、舞台なども行えるように設計してあり、オーナーの井川啓央さん(http://ikawayoshihiro.com/)のこだわりが細部にまで行き届いた空間で、情報の密度の濃いカフェです。

(詳細は下の記事などをご覧ください) https://news.yahoo.co.jp/byline/umedakazuhiko/20180622-00086847/

そしてこの舞台に行きたいと思ったのは、

このイベントに参加したことがきっかけでした。

僕は、角田陽一郎さん@kakuichi41とは元々ご縁があり、佐渡島庸平さん@sadycorkとは佐渡島さんの会社コルクの主催するコルクラボでご縁が生まれ、ラボメンバー枠で参加が叶い、参加が決定してからは、ラジオマメヒコというカフェマメヒコが週5で更新しているラジオを、昼休みや寝る前に聴いて、井川さんがどういう方か把握してから参加しよう、と聴きはじめましたが、聴けば聴くほど、そしてイベントに参加してお会いすればするほど、井川さんという方はつかみどころが見つからず、言葉で表現できない方だなぁというのが一番の印象でした。

そんな矢先にこの音楽会の開催を知って、好奇心で、演劇に造詣の深い友人と参加してきました。

結論から言うと、観劇した後も井川さんのことはもちろんわからないままです。

ですがこの音楽会から僕が学んだことは書けると思い、まとめてみたいと思います。

そして僕が観劇するきっかけになったイベントの第二弾の開催も実は迫っていますので、ご都合よろしい方は、ぜひとも。
https://amp.amebaownd.com/posts/4431288

先を読み進めてくださってありがとうございます。
僕がゲーテ先生の音楽会から学んだことは、『楽しむ、味わうための適切な時間の存在』です。

昨今、社会は猛烈に急いでいます。
忙しい、時間がない、と。
そのため如何に効率や能率を高め、集中して多くのことを短時間にやるか、ということに価値が出て、手段なはずが目的化しつつすらあります。

そんな社会の中、ゲーテ音楽会の舞台設定はいかっぽ温泉という温泉街のキャバレーのような場所。
日系ブラジル人の兄弟がルーツである南米と日本の音楽を温泉客相手に毎夜披露している(いかっぽ温泉街自体が一般的にダサく、流行っていない設定)。
今日のゲストはオペラも嗜む精神科医ゲーテ先生とゲーテ楽団の皆さん。
兄弟と先生、ゲーテ楽団はどのような融合を果たし、無事に今宵の公演を開催し、お客様に楽しんでもらうことはできるのか?

という設定である。


皆さんはどのように話が展開すると思うだろうか?


僕はゲーテ楽団が加わることによって、和と南米の音楽の融合が、センスの良い、かっこいい音楽に生まれ変わり、それに呼応したお客様との一体感で場が盛り上がり、フィナーレ、と思っていたがそうではなかった。

民謡や盆踊りのメロディー、南米の音楽の歴史、和と南米の融合により生まれたかつての歌謡曲、ダサいとかっこいいは拍数や節の僅かな違いで生まれる表裏一体の関係。

その基礎知識を踏まえた上で問われるのは、ダサい曲って本当にダサい?
かっこいい曲って本当にかっこいい?
ダサいって?かっこいいって?

我々の何となくな価値観や知識に揺さぶりをかけ、歴史や仕組みを知ることで、目の前の音楽の理解度、抽象度を上げる。
そうすると、どの音楽もルーツがあって思いがある。
だからどの音楽もそれぞれがそれぞれに素晴らしい、と。

そこで初めて、どの音楽があなたは良いと思った?
と会話することができるようになる。

音を楽しむってそういうことじゃない?
と劇を通じて教えていただいた感覚になったのはおそらく僕だけではないはずだ。

まとめると、通常の劇や作品は、舞台に対する知識や経験など個人差の大きいお客様皆さんが満足できるように、内容自体をわかりやすいものにして、稽古でクオリティを高め、そのクオリティで圧倒して、どんな方にもなんか感動した、と思ってもらわなければならない。

つまり演者側のクオリティが上がっているのをみんなで観て楽しむという構図。

言葉にすると、参加の余地も余白もなく、どこか楽しくなさそうだ。

一方ゲーテ音楽会は、先ほど書いた通り、来ているお客様のクオリティを上げてくれるのだ。
そのことに前半の一時間を使う。

演者のクオリティがどれだけ上がっているかしら?
と思って来ている人の中には退屈するという人もいるはずだし、舞台としては、来ているお客様に余白が残されている分、前者の舞台よりリスクが大きいように思う。

では、なぜやるのか?

おそらくそれこそが、カフェマメヒコが大切にしていることだからではないか?

それに対する知識や歴史、ルーツなどを知り、同質の中の異質や、異質の中の同質、ミクロとマクロなど様々な思考を行き来して、感じるそのときに本当に楽しむことができる、味わうことができる。
だが楽しむためには、それにかけるべき時間がある。
その時間は効率的にも能率的にもならないし、お金ではもちろん買えない。

楽しむを味わうためには、まず味わうべき時間がある。
手順がある。
急いでいては見えないもの、感じることができないもの、形にならないものが、この世界にはある。
ほんとうの幸せとか、豊かさとはそういうものの中にあるのではないか?

と、お店やメニューだけでなく、ゲーテ音楽会という舞台の形からも一貫したメッセージを伝えてくれていることが、あの日の容易に言葉にならない感動に繋がっていたのかもしれない、と今改めてゆっくり時間をかけて言葉にしていくことで、あのときの楽しさに気付くことができました。

時短を選ばず、時間をかけたものを、時間をかけて味わうこと、楽しむことの豊かさを教えてくれる、そんなお店がカフェマメヒコであり、ゲーテ先生なのかもしれません。

最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。
皆さんのリアクションが本当に支えと活力になっています。

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