団地の遊び 怖くない場所と結界

怖くない場所と結界

 子供の頃は、異様に異常に怖がりだった。
 いったい何をそんなに怖がっていたのかと思うが、とりあえず、暗闇はイヤだったようである。漠然とした恐怖感。
 ところが、暗くても、全然、平気な所もあった。
 団地の広い駐車場である。ウチの号棟のすぐ近くなのだが、ここはなぜか落ち着いた。正確に言えば、夜でも、それ程、暗くはない。
 いや、暗いことは暗いのだが、よくわからないが、ここの白く光る街灯は、なんだか暖かく感じられ、夜の暗闇が薄まったようで、まるで、嫌なものはなく、むしろ、ずっといてもいいぐらいの平穏があった。
 地面は白い砂利だった。多分、この白砂利が、街灯の明かりに反射され、闇を薄めていた、と論理的に考えると、科学的にそうなる。
 暗闇を薄めていた、という表現は、この場合、適切なものと思っている。そういう感じだったのだ。
 車はたくさん停まっている。これも何かしら、関係してるかもしれない。人がいるわけだし。
 ただ、反対側の出入口は、昼間はいいが、夜は、もってのほか、という感じであった。
 その向こうは、ちょっとした森であった。団地内というのは、街灯やら家の明かりやらで、そんなに暗くはないのだが、ここの、木が茂った一角があり、そこは中は真っ暗だった。
 駐車場の反対側の出入口は、人一人通ることのできる金網ドアで、その森を突き抜けないと、いけない。
 昼間でも、なんかイヤな感じなのである。そこを夜歩く。これは大人の世界だな、そんなことを友人と話したのを覚えている。子供は行ってはいけないのだ。
 学校へは、団地内を突き抜けていく通学路だったが、近道もあった。そこは、畑の横の細い道だった。
 ここは夜は、結構、暗かった。にもかかわらず、怖がりの自分は、まったくもって、恐怖のきょの字も感じなかった。むしろ、いつも歩きたいぐらいであった。住んでもいいほどだった。
 何かわからないが、ともかく、自分を落ち着かせるものが、あったのだろう。
 そして団地に流れる川である。いつも遊んでいる、とても一級河川には見えない、汚い川である。夜は、そんなに遊ばなかった。
 なぜなら、真っ暗で、なんにも見えないからである。最近は、どうなのか知らないが、当時は、ビックリするぐらい暗かった。車の走る橋から川を見ると、異様に異常に、暗く、いったいどうなってるんだ?などと思った。
 しかし、何回か行った。何しに行ったのか、ハッキリ覚えてるのは、からかさ小僧を探しにいったことぐらいであるーーー子供なので。
 川は真っ暗でも、そう怖くはなかった。理由の一つは、暗くても、いつも来てる所だから、どこに何があるか、どうなってるかがわかり、それもうビックリするほど分かって、なので、全然歩くのに困らなかったことによる。
 さすがに草むらの急坂の土手は、ちょっと危険と思ったが、それでもゆっくり進めば大丈夫であった。
 次に書くことは、もしかしたら、おかしな事かもしれない。でも、子供時代は、本当にこんなことを思っていた。
 この頃、守ってもらっている、そういう感覚が時おりあった。川が守ってくれている。この大きな木が守ってくれている。そんな感覚を覚えたところは、たいがい怖くなかった。
 これは自分だけではなかった。友達の何人かも同じことを、言っていた。
 橋から落ちてもケガ一つせず、土手の急坂を転げ落ちても、脳震盪起こし気絶しコブができるだけですみーーー怪我してますけど。木から落ちても、擦り傷、打ち身、そして骨折(これは大怪我ですね)。交通事故で死んだ奴もいたが、それはギリギリ団地の外だったーーー説得力がなくなってきている。
 しかし、この件に関して、頭のいいMM2(仮名)が断固として言った。ーーー結界が張られているからだ。だから守られてる。
 さすがに、なるほど!そうか!とは思わなかった。でも、なんか守られてる、という感じはあったのは、事実で、じゃあなんだ?それはなんだ?具体的に誰に守られてる?と言われると、まるでわからない。動けない木がどうやって人間を助ける?と、なってしまう。
 しかし、これは女子たちも言っていて、川向こうはともかく、川のコッチの団地内なら平気ーーーという考えは多数いた。なんとなく、女が言うと説得力がある、そう言ってみんなで納得した。
 なぜか成績の良い奴ほど、結界説を唱えるのが多かった。
 ただ一人だけ、そうかしら?と言っていた女もいた。学級委員山岡である。学年で一番成績が良かった。しかし、コイツだけは、別だった。
 とはいえ、何か子供にしかわからないなにかが、あったのかもしれい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?