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名誉の皮肉:24万3千人の死者を出した作戦の責任者カーチス・ルメイと源田実が受けた勲章について

カーチス・ルメイの経歴:アメリカ空軍将軍

カーチス・ルメイは、アメリカ空軍の将軍であり、第二次世界大戦中に太平洋戦線で効果的だが物議を醸す戦略爆撃を指揮しました。彼は戦後、1961年から1965年までアメリカ空軍参謀総長を務めました。彼はまた、戦略航空軍団(SAC)の司令官としても知られており、戦争の場合に核兵器の配備に重点を置いた全ジェット機部隊への移行を監督しました。

源田実の経歴:日本海軍軍人

一方、源田実は日本海軍の軍人であり、政治家でした。彼は海兵52期を卒業し、最終階級は大佐でした。彼は戦闘機パイロット、航空参謀を歴任し、第三四三海軍航空隊司令として終戦を迎えました。彼は1941年の真珠湾攻撃を立案し、成功させました。

真珠湾攻撃:2,403名の死者と源田実の指揮

1941年12月7日、日本海軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地を攻撃しました。この攻撃は源田実によって立案され、彼自身も航空参謀として参加しました。この攻撃により、アメリカ海軍の戦艦8隻が沈没または大破し、2,403名のアメリカ兵が死亡しました。この攻撃はアメリカを第二次世界大戦に参戦させるきっかけとなりました。

東京大空襲:約10万人の死者とカーチス・ルメイの指揮

1945年3月9日から3月10日にかけて、アメリカ陸軍航空隊は東京市内を爆撃しました。この爆撃はカーチス・ルメイが発案指揮しました。この爆撃により、東京市内の約25%が焼失し、約10万人が死亡しました。

広島・長崎への原爆投下:約21万人の死者とカーチス・ルメイの指揮

1945年8月6日と8月9日にかけて、アメリカ陸軍航空隊は広島市と長崎市に原子爆弾を投下しました。

この作戦はカーチス・ルメイが指揮しました。広島市では約14万人、長崎市では約7万人が死亡しました。この原爆投下は、第二次世界大戦の終結を迎えるきっかけとなりました。

彼らが受けた勲章:勲一等旭日大綬章とレジオン・オブ・メリット勲章

これら二人の軍人は、戦争において重要な役割を果たしましたが、その功績に対して異なる評価がされています。

カーチス・ルメイは東京大空襲作戦を発案指揮しました。彼はまた、広島と長崎に原子爆弾を投下する作戦の指揮もしました。

1964年12月7日に日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与されました。

源田実もまた、アメリカからレジオン・オブ・メリット勲章の叙勲を受けました。これらの勲章授与は、先の大戦での被害を日米相互に免責することでより強固な軍事同盟を実現させるためだったと考えられます。

まとめ:戦争と平和、そして勲章

これら二人の軍人は、戦争において重要な役割を果たし、その後も両国の歴史に影響を与え続けました。

彼らが受けた勲章は、彼らの功績を称えるものであり、また両国の関係を強化するためのものでした。彼らの物語は、戦争と平和、そして勲章というテーマについて考える上で興味深いものです。

参考文献

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