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竜の天蓋、エーテルの海、そして月へと至る道 #むつぎ大賞

神樹歴2008年 火鼠の月 魔王復活まであと365日

 その日の勤めを終え、定宿である『赤蛙亭』へと戻った魔術師ミゴリスは、二階にある自分の部屋の扉に手をかけた途端、小さな小さな違和感を覚えた。
 扉には封印呪法を施してあった。三十六層極小方陣術式からなるそれは、他者の侵入を決して許さない魔法の錠前である。ミゴリス自身が組み上げ、彼以外に破れるはずがないと確信を持って断言できる、唯一無二の術式だ。
 ミゴリスは濃灰色のフードを目深に被り直すと、扉に触れる指先に精査術式を送り込んだ。術の発動は、瞬きほどの時間。だがその一瞬で、指先を通じ膨大な情報が送り込まれてくる。
 解錠されたとは考えにくい。だがどれほど小さなものだとはいえ、受けとった違和感は無視できない。ミゴリスは、術式から受け取った情報を検証していく。
 第一層、問題なし。第二層、問題なし、第三層、第四層、第五、第六、第七――。
 フードの下で、ミゴリスの顔がゆがむ。封印術式を解除し、扉を乱暴に開いた。

「……やあ、おかえり。申し訳ないが待たせてもらっているよ」
 ミゴリス以外入れないはずの部屋の中に、一人の男が立っていた。寝ぼけた目をした小男であり、強盗や刺客のたぐいには見えない。右手に持つマグカップを掲げ、ミゴリスにほほえみを向ける。
 ミゴリスの顔がさらに激しく歪む。それはもはや、凶相と言ってよい表情であった。
  
「……やはり貴様か、ロイヤー」
「おや、どうして僕だとわかったんだい?」
「扉に仕掛けていた封印術式、三十六層のうち第七、第十一、第三十二層が書き換えられていた。私が施したものより、より洗練された形で、だ。そんなことができる者など、貴様以外に有りえんからだ」
 その言葉を聞いた途端、ロイヤーと呼ばれた男の目が輝いた。
「そう! あれって君のお手製なんだろ? いやあ、すごい術式だったよ。王国術式、古代式、北の守護魔術から東洋呪術、果ては神咒まで、ありとあらゆる魔術を横断的、複層的に織り込んで組み上げられた、まさに芸術品と言っていいものだった!」
「……私もそう思っていたよ。先ほど貴様に修正されるまではな」
「修正だなんて、そんな大げさなもんじゃないよ。解呪のついでに、ちょっと気になったところを弄っただけさ」
 ロイヤーは手にしたマグカップを口元に運ぶ。中身は、およそ人の飲むものとは思えない色をした、なにかの液体だった。アカデミー時代から彼が愛飲していた「簡易万能飲食物」とやらだろうと、ミゴリスは見当をつけた。
 アカデミー。その単語を思い浮かべた瞬間、ミゴリスの脳内に数多の場面が浮かび上がってくる。そのどれもが心地よく、愛おしく――そして最後の思い出が、それらを黒く塗りつぶしていく。
「……許せるものか」
 思わず口に出た言葉に、ロイヤーが反応した。
「あー、ええと、勝手に君の術式を破り、部屋で待ち伏せをしたことについては謝るよ。でもこうでもしないと、君はまともに僕と口を聞いてくれないだろう。その、君はほら、何故か僕のことを嫌っているようだし」
「貴様と話すことなどない」
「僕にはあるんだ」
 そういうとロイヤーは、マグカップを持つ右手を天に向けた。
「魔術師ミゴリス。空を穿つ『船』に乗り、竜の天蓋を越え、エーテルの奔流を渡り、そしてその先へ――そう、ともに月へと行ってくれないか」

「……いきなり押しかけて、挙げ句に寝言のような妄言を吐くとは。現アカデミー長官にして、王国筆頭魔術師たるロイター卿は、よほど暇を持て余しておられるのだな。羨ましいよ。帰れ」
「妄言なんかじゃないよ。妄言ならどれほど良かったことか」
 ロイターは左手で印を組み、短い呪文を唱える。右手のマグカップが虚空に消え、代わりに水晶の魔術板タブレットが現れる。
 ロイターが続けていくつかの呪文を唱え、タブレットを起動させる。淡く輝き始めたタブレットが、表面に文字や図面を映し出し始める。
「これが、その『船』だよ」
 ロイヤーが魔術板の一部を指で叩く。そこに映し出されていた画像が、広がりながら宙に描かれていく。
 ほの赤い光で描かれたそれは、『船』というよりはむしろ『剣』であった。先端に行くに従って細くなる胴体、その下部に柄のような翼がついている。寸法がミゴリスの目に入る。かなりの大きさだ。地面に立てれば、ちょっとした塔として通用しそうなほどだった。
「まだまだ計画段階、細部はこれから詰めていくんだけれどね」
 ミゴリスは、彼の意思を無視して話を進めようとするロイヤーにいらだちを覚える。だが、目はその『船』とやらに引き寄せられてしまっていた。なぜなら彼は魔術師だからだ。そして魔術師とは、『前代未聞の代物』をたやすく無視できるような生き物ではないからである。
 ――『ペネトレイター(暫定)』。画像に添えられていたその文言が、おそらくはこの『船』の名前なのであろう。
「こんなものを造って、どうしようと言うんだ」
「言っただろう。月へ行くのさ」
「道楽にしては、ずいぶんと度が過ぎているように思えるが」
「道楽?」
「そうとしか思えんよ。でなければ悪い冗談だ」
 言いながら彼は、表情を引き締めようと努めた。思わず口元に浮かびそうになった苦笑いを打ち消すためだ。
 道楽、冗談。そう、ミゴリスの眼の前にいる男は、この世で最もそういった言葉から縁遠い男だった。かつ、そのことをこの世で一番知っているのは、他ならぬミゴリス自身であった。
「僕は本気だよ。本気でこの『船』を造り上げるつもりだし、本気で君にこの『船』に乗ってほしいと思っている」
 ロイヤーは魔術盤から手を離した。手放された魔術盤は、落下することなく中空を漂う。
「僕がどれくらい本気なのか、証拠をみせようじゃないか」
 ロイヤーは両手の指を複雑に絡ませて、魔術印を組み始めた。ロイヤーの手の動きに合わせ、赤、青、緑、白――様々な色の光が宙へ飛び出し、絡み合い、混ざり合う。やがて光は文字へ、魔術文字へと形を変えていく。いくつかの魔術文字が並んでいき――ある一つの言葉を示し出した。

 その文字列が示すものに思い当たった瞬間、ミゴリスは言葉にならぬ感情に襲われ、顔を歪めた。驚愕、動揺、恐怖、怒り、そういったものが混ざりあった感情の奔流が、一瞬で彼のうちを駆け巡ったのである。

「貴様、それは、まさか」
「そう。僕の真名マナだ」
 
 真名マナ。人が生まれ落ちたときに神より与えられし、真なる名。その者の根幹を、その者の本質を、その者の核心を表す、不可侵の文字群。
 なればこそ、秘されて当然。他者に開示するということは、すなわち己の生殺与奪を完全に・・・相手に委ねるに等しい行為。

「……馬鹿か貴様! よりによって、そんな……馬鹿めが!」
「そうだね。だけどこれで、僕がどれほど本気か伝わったと思う。僕はこの計画に命を賭けているんだ・・・・・・・・・。言葉どおり、掛け値なしにね」
 ロイヤーは片手を振って文字群を打ち消すと、ミゴリスの目をじっと覗き込んだ。
「もう一度言うけど、僕は完全に本気だ。本気で『船』を造り上げるし、本気で月へ行く。そのためにやるべきことは、一つ残らず全てやる」
 ロイヤーは目をそらさない。真っ直ぐな目と、それに劣らぬ真っ直ぐな言葉。ミゴリスがわずかにたじろいでしまうほどの、強い意志。
「その『やるべきこと』のなかには、考えうる限り最高の人員を揃える・・・・・・・・・ということも含まれている――僕の知る最高の魔術師といえば、それは君にほかならないんだ。魔術師ミゴリス」
 ロイヤーが右手を差し出した。
「頼む」
「……なんのために」
「え?」
「一体なんのために、そこまでして行こうとしているんだ――月に」
「ああ、それはね」
 ロイヤーは笑みを浮かべ、こう言ってのけた。
「魔王討伐のためさ」

【続く】


そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ