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これまで続けてきたことをやめる決断

「毎日なんとか」とかいって、毎日何かをやり続ける、というものをよく見かけます。
それ自体すてきな志ですし、どうぞやっていただきたく、がんばってください、と思います。
ただ、毎日やることが目的化してしまい、毎日やっていることをさも「看板」に掲げてしまうのはどうかなと思います。あくまでも毎日は結果であって、目的や理由にはなるものではないのかなと。例えば、毎日何かを練習するのは上達するのが目的で、毎日練習することが賞賛に値することではないのかなと。

救急医療や電気や水道などのインフラ、そしてコンビニも毎日やっているのは、それだけの品質を担保していて、それを継続的に提供することが大前提にあるからこそ。その1日の積み重ねが結果的に毎日になっている。毎日やることの意味合いよりも、むしろ「品質の維持・向上」が主であると、私は思います。

私の母は毎日日記を書いています。たぶんもう30年くらいかな。(私の知る限り。)その継続する意志と熱意は素晴らしいです。でも母は言っていました。書きたくない日(例えば疲れていてとか)、書けない日もあるので、その場合は2日分、ちゃんと思い出しながら書くと。
つまり母には「毎日書くこと」が大事なのではなく、日々の出来事をきちんと記載し、のちに見直すことが出来る記録が大事なのだそうです。(備忘録的な。)それが母の品質管理で、それは欠かさないのだと思います。


(ここからは4年間、毎日更新を怠らずに頑張ってきたRさんへのメッセージです。)

4年間、毎日欠かさず続けたこと、それを途切れさせなければいけない状況というのは、とてもつらい、苦渋の選択だと思います。
それはでも、やっていることを心から大事にしているから。質を落としたくないからこそなどかなと思っています。更新が毎日でなくても、毎日応援していますよ。(それも、「毎日」応援することが目的ではなく、「応援」し続けて結果的にそれが毎日になる・・・そんな感じだと思います。たまにふと忘れる日もあるかもしれないですけど、ずっと応援していますよ(*^^)v)

無題


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