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感染予防の考え方と、誰の命が大切なのか、ということ

ぼくが感染予防にものすごく気を使い、日頃の行動に注意を払っているのは、ぼくが大切に思う人、そしてその人にとって大切な人たちに、感染させたくないから。
自分自身のことはそんなに重要ではない。自分が感染するのは、それは仕方ないかも。
でも、ぼくは100%出来ることをやっているということで、ぼくの大切な人にはなるべく安心して欲しい。

アメリカで消防と救急を体験して(そしてこれは警察も同じ)何回も教えられたことで、命に対して持っておくべき考え方第一条に、
誰の命が一番大切か?という問いに、市民?パートナー(仕事の同僚)?

と悩むことなく、瞬時に、寸分の迷いもなく「自分」と言えなければいけないというものがあります。(その点、私はずっと失格だったかもしれない・・・)ぼくは多少無茶しても、救える命は救いたいと思っていたから。(実は、命なんて救ってあげられるものではないというのを、あとでよく分かりました。命は助かりたいと思っている人は、勝手に自分で助かるのです。助けが必要な人に、ちょっとだけ手を貸すことで、その人が助かる確率を少しでも高めてあげられるだけ。ぼくが誰かの「命を救う」なんて、おこがましいことはそれ以来、思わなくなりました。たぶん、医者も同じじゃないかな、と思います。)


そもそも、要救助者にとって、自分の命を一番大切に思っていない救助隊員に助けて欲しいか?ってところもあると思います。

自分を守るからこそ、他の人を守れる。自分の命を顧みず、他の人を助けようとするのは無謀であって、ヒーロー(ヒロイン)ではないのです。

自分の大切な人、そしてその大切な人にとって大切な人を守るというのは、実は難しいのではないかと思います。何故なら、場合によっては自分の命を懸けてでも守ろうとしてしまうから。盾になってしまうから。
でも今のぼくは、自分の命を懸けてでも守るために、必死に自分の命を大事にしようと思っています。ぼくの大切な人を守るため、そして安心してもらうために。


(余談ですが)私は、両親よりも1日でも長く生きたいと切実に思っています。ぼくの両親には、自分よりも自分の子が先に死んでしまった、と思ってこの世を去って欲しくないから。それが唯一ぼくの出来る親孝行、あるいは恩返しかなって。(こんなことしかできないですが・・・)だから、先にいきたくないです。(^^; ということは、ちゃんと両親を看取る、という覚悟も持っています。

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