短編集 ”6tunes 7places" tune#1 I Heard It Through The Grapevine/The Slits 1985 @ FUKUOKA JAPAN <I JUST LOOSE MY MIND. ♪ 今まさに私は正気を失おうとしています。> http://www.youtube.com/watch?v=IQxvo_9DEqY
俺が初めてスクリーンでストーンズば見たのは博多の外れの西新って学生街にかろうじて存在してた、
テアトル西新って映画館で
ゴダール祭りの名のもとのワンプラスワンと気狂いピエロの2本立てやった。
そんとき中学生やった俺はやっぱちょっと禁断の何かというか、
大人の何かがそこにあるのだろうと
ゴダールというロボットの名前みたいな監督の知的でお洒落とされた映画に一抹の浪漫ポルノ的なものも求めながら暗く向かったとよ。
悪魔を哀れむ歌が延々にかかるワンプラスワンは
なんかお洒落かけん見らんとねって見よったばってん正直途中つまらんで退屈なときもあったね。
でも何よりキース=リチャーズが好きやったけん動くキースば腹一杯みれるのが嬉しかった。
キースの3連ピックアップのレスポールカスタムが重そうやったけど痺れたね。
昔はそんな外れにそんな映画館あったけんある意味民度?一般教養が高かったよね。
でも学校に行ってもそんなこと喋れるのはMくらいのもんやったけん、なんかつまらんくなって高校もいかんくなった。
学ランにM65はおって登校コースから逸脱して、M65の前ばしめてジャズ喫茶の生き残りみたいなとこで紫煙に潜んどった。
俺の心象風景はジャームッシュの”パーマネントバケーション”っちゅう映画で、なんちゅうかほんと未来がない終わった感じ。
学校いかず福浜団地ってゲットー入った団地の屋上で咳止めのブロン飲んで仮死状態になったりしてた。
まるでバスケットボールダイアリーよね。ジムキャロル。
そんとき初めて自発的に詩ば書いたけど
重力は地球の愛
っちゅう内容やった。
重力のおかげで宇宙空間に放り出されんって団地の屋上で空観ながら書いたと。
お金なくなると土方。競艇場の近くに並んで仕事貰いに行く。
それはまだしもそれすらにも遅刻したときはまじ自分に愛想尽きた。
そんなテイタラクでもチャーリーパーカーが後ろで鳴りよったらなんか許される気にその映画はしてくれたんよね。
不登校児が2秒でビートニックに変身みたいな。
でも頭のなかのカルチャーは大人ぶってても女の子とは純情でカワイイもんやった。
R子ちゃんってその子は一つ年上やったんやけど、ボブが似合うけど女を感じさせんとこがあったけど、そこが好きやった。
でも何よりチャーリーパーカーの話だってできるってのが素敵やった。
待ち合わせ場所に着いたのは約束の10分前のことでカフェの席につくとカフェオレを注文した。
ボールに入ったそれを飲みながらさもいつもボールで飲んでるフランスのリセの子みたいな絵を作っておきながら
なに食わぬ顔でいたいと思とった。
そんなカフェなき時代のカフェで耳に囁くのはツェリーレッドレーベル時代のトレーシーソーンやった。
突然変異的に日本である種の爽やかさのようなキーワードがかろうじて光を持ち得た時代のある平日の夕暮れ。
そして彼女は約束の12分後あたりにいつもの笑顔で現れるとミントのポマードの風が吹く。
女の子やのに。
彼女は噛み続けていたガムを器用に包み紙に包み灰皿においた。
そうそれで僕らはどちらともなく煙草をとり出すんよ。
あるときはさあ吸いますよと宣言するかのようにまずテーブルに置いて。
同時にお互いに子供じゃなかもんみたいなマニュフェストでもあったね。
結局大人っぽい出来事はなんも起らんのに。
俺はいつもジッポーとマルボロの2点セットを無骨に放り置くと。
かっこつけたとこでその全ては彼女にとったは奇妙で滑稽な背伸びに過ぎなかったかもしれないが。
彼女も同じようにカフェオレを注文するとおもむろに前置きもなく
”最近映画観た?”
と問うのだった。
映画とは全く行き先のない関係の一応の会話のフローを産む話のネタやった。
R子ちゃんは映画もマニアックでトリュフォーやヨーロッパの映画も好きだがアメリカングラフティーも好きという寛容さを持ち合わせていた。
だから彼女というキャッチャーにはどんな球でも投げれた。
”家族ゲーム”
と僕が言うと面白いよねと彼女も同意した。
会話一つ終了。みたいな。
だからどう、とかそのどこがどうといったことをあれこれするのは野暮なきがしていた。
そこに一つ同じ空気を共有できたらそれでいいんよ。
同じ時を吸っているという証明に。
R子との出会いの不思議は知り合う前から僕は彼女を路上で見かけて認識していたことやった。強く認識。
それが全く無関係な繋がりでこうして向き合ってカフェオレボールを抱え会話している自分の引きの強さのようなものが不思議やった。
そのとき俺は黒いスタンスミスを履いていたが白を履くような人格と人生ならきっと全く違うストーリーになってたはずやね。
彼女と唯一違ったのは僕はストーンズが好きで彼女なビートルズが好きだったことよ。
ビートルズは俺にとっては白いスタンスミスみたいなもんやった。レノンのはスプリングコートやけど。
吹くように現れたR子のポマードに濡れたような黒髪は丁寧に刈り揃えられボブともリーゼント的ともとれなくもない不思議な風を纏っていた。
少年のマネキンを使うフランスの現代美術みたいな写真家の作品が好きでそんな風情だともいつも感じていた。
街で見かけたときから。
ところで俺のマルボロと違い彼女が吸うのはカールトンの長いメンソールやった。
彼女なりの拘りやったんやろう。絶対に演歌の匂いやヤニ臭い世界にならん煙草。
吸いたての不慣れさもなければいつも吸ってる風には慣れてない手つき。
なによりも包み紙の捨て方が綺麗やった。
彼女といるときだけ、チャーリーパーカーがビートニックにしてくれたように、アメリカの青春の甘さと酸っぱさがあった。
と同時に決して熱くならない醒めた性のようなもの。
俺は彼女と手を繋いだのだろうか?
願望と記憶が溶け合って、それすら今の僕には定かじゃない。
一度だけ5、6人でお酒を呑んでいて、彼女は
”私を捨てないでね。”
と言った。拾えてすらいないのに、何を言ってるんだろう?と訝しかった。
もじかすると、彼女はもう拾われた気になったいたのだろうか?などと妄想するのは
それこそ後のなんたらと同じようなことだ。妄想につきる。
俺は彼女にとって、突然実家に電話してきてはとりついでもらい映画に誘う少年だったのだろうか?
そこには一分のセクシャリテはあったのだろうか?
しかし俺はといえば性を超越した何かを感じていたのだが、美的直感みたいなものも性欲の亜種かもしれないのでそれが本当にピューリタン的だったかはわからない。
俺は彼女が着るセーラー服が好きだった。特に夏服が。変態的意味合いではない。
その女子校は本邦初のセーラー服を採用したミッション系の学校だったのだがブルーのシャンブレーに白いラインと黒いリボンというのがなんともシェーカー的で古着ジーンズについて知ったのと同じ美をそこに感じていたのだ。ましてや彼女は501に白いソックスを履くような娘だった。
シェーカーとロックンロール。
そこにはセックスとドラッグはなかった。
本来的には禁欲と熱情なのに。
それでかその日は趣向を変えてドーナツ屋から映画館といった青いプログラムはそのままに、その後俺らはクラブに行ったのだ。
そこはシャブ中のやくざの息子が経営するデザインというよりそもそもから廃墟な空間だった。
そんなとこで聴いたキンキンの“MY ADIDAS"が僕のある種の青春の象徴であり大人の入り口でありサーファーディスコの終わりで六本木や中州の終わり。
僕はラムコークで彼女は、なんやったかいな?ウォッカ系?なにしろ強かったね。
それでお互いそう酔っぱらうわけでもなく、今いちどう動いていいのか所作がわからん時間を共有した経験の想いで。
当時流行りのブラックライトはホワイトラムのトニックとかにあたると白くひかっとった。
アメリカングラフティ入ってる彼女はR&Rなテイストやったけどどこかヒップホップが今のそれなのだと匂いで感じ取ってるような感じがあって違和感がなかった。RUN D.M.C.
当時二人で見に行ったりもしたストレンジャーザンパラダイスみたいに、何もおこらない風景。退廃的なコンクリートの箱で続く淡い青春物語。
人な事故やなんかでよく走馬灯のように振り返るっていうけど、俺はこの瞬間を必ず実感をもって想いだす自信がある。
Wちゅうヤクザの息子は俺には優しかったけど目が根っからの悪で、初めてみたのはWが親不孝通りで、知ろうとが停めたBMの上に乗って、ガンガンに跳ねてその屋根をボコボコにしてた姿だ。
”あなたにモラルはないんですか?”という一般人の悲痛な叫びに
”そんなもんあるか!”
と吐き捨てウァ跳ね続けた。
そんなWもその後暫く以降誰も消息を知らないと噂に聞いた。
そんなロクでもない奴が経営?するロクデモナイ悪臭満ちる箱。
麻薬中毒者の独特な耳のセンスで我流に調整された固いコンクリートに跳ねるカチカチの高音は、話百倍にするなら親不孝通り裏のパラダイスガラージュと言えなくもない異様ながらある意味正しい音響空間を作っていた。
そのようにして当時レゲエからあらゆるものがニューウェーブ的に入ってきたのはトンガリ系と言われた雑誌文化とそのような音の質感もあったのかもしれない。
なんせ初めてレゲーを聴くのもラジカセだったりしたわけで耳はそのような世界観に制度化れていた。
そもそも俺にとって最初のレゲエまたはレゲエ的なものはスリッツだった。
既に英国ポストパンク。
そして俺とR子は新しいR&Rの産声を聞いてたわけだ。
その夜も誰かがその曲をかけるのだ。
I heard it through Grapevine/The Slits
R&Rが音楽のジャンルではなく動物の雄叫びのようなものならそれはそうであり
自分達のなかの野性のスイッチを入れたのだった。
ボーカルのAli Upが独特のビブラートで歌うときには、俺の唇はR子のそれに重なっていた。
R子は受け入れながらもその唇は端正にミントガムを噛むときと変わらず、キュッと閉ざされていた。
Ali Up が歌う。
I JUST LOOSE MY MIND. 今まさに私は正気を失おうとしています。♪
そのようにして俺は正気を失ったのだった。
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