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【観劇レポ】静寂ゆえに溢れる音「ルートヴィヒ~Beethoven The Piano~」

観劇レポ、今回は配信観劇にてミュージカル「ルートヴィヒ~Beethoven The Piano」

韓国発のミュージカルで2時間ノンストップ、演者は5人だけというミュージカル。「スリル・ミー」みたいな感じ。ミュージカルではありますが、結構セリフパート(ストレートプレイ)も多かったです。

残念ながらチケットは手に入らなかったのですが、東京千秋楽公演が配信されるということで、配信ライブで観劇しました。


配信観劇

コロナ禍ですっかりおなじみになった配信対応。チケットが手に入らない、遠方に住んでいる、など様々な状況でもより広く観る機会が与えられるのはいいところ。コロナによる公演中止は悲劇なので、そろそろ病原菌にはいい加減にいなくなっていただきたいですが、こうして配信形式が広まったのは数少ない良い変化だと思います。

今回はアーカイブなしの生配信のみ。我が家のネット回線が機嫌を損ねないよう祈りつつスタンバイしました。PCなので、やはり生の観劇よりは迫力は劣るものの、好きな体勢で紅茶でも飲みながら観れるのはおうちならでは。

冒頭は少し音が小さめでしたが、すぐに現場指示が入ったのか、いい感じになりました。これ、劇場で配信の対応しているスタッフさんは大変ですね。本当にありがとうございます。
カメラワークは、一部ピントが合わないところもあったものの、キャストの表情がよく見え、全体が見えるヒキの映像と、キャストのアップとのバランスを見せ場を考慮しながら撮っていただいていたと思います。

二人のベートーヴェン

同じ時代に活躍したモーツァルトへの嫉妬、父からの抑圧によって生まれた屈折した音楽への執着、音楽家なのに聴力を失うという絶望、自分の中に溢れる音楽の才への喜び。天才ゆえの敏感さ・繊細さを、中村倫也・福士誠治の二人が演じます。
二人は青年期・壮年期をそれぞれ演じますが、途中でそれが入れ替わるところもあり、彼自身の倒錯した感覚が表現されていました。ストーリー自体、晩年のベートーヴェンが手紙にしたためた回顧録という建付けなので、彼の主観ですからね。

お二人とも途中で声がかすれるくらい、叫んだり慟哭したり、そして歌ったりという場面が多いので、すごくパワーのいる役だと思います。そして中村倫也には、周りに当たり散らすハラスメントな演技がよく似合う(褒めてます)。怒声が部屋に響くので途中で何回も音量調節した。

前半は徐々に聴力を失う絶望が中心に描かれていて、神を呪い、どんどん心も荒んでいく。今まで普通にあったものがなくなっていく恐怖というのは、計り知れないものがあります。ちょうど最近、ドラマの「silent」を見ているのですが、その登場人物の想も同じですね。音楽が好きなのに、もう音楽を聴くこともできない。ベートーヴェンに至っては、自ら音楽を創ることを生業にしているわけですから、絶望は人並みではない。

しかし中盤で、音のない静寂の世界にあっても、自分自身の中に「音楽」が溢れ脈打っていることを知ります。「英雄」「運命」「田園」、そして「歓喜」などの有名な彼の代表曲が一部演奏される。絶望的で退廃的な前半の演技からうって変わり、このシーンの演技は息をのんだ。喜びと解放、あるいは天啓。福士さんが中村さんの耳をふさいで、自分の中の音楽に気付いていくカタルシス。白っぽい照明も相まって神々しささえありました。

終盤では甥のカールに自らの夢を託すかのように、そして若き頃に無下に扱ってしまったウォルターをカールに投影しているかのように、「第二のベートーヴェン」を創ることに傾倒する様が演じられます。冒頭のような荒々しいものとは異なり、別の意味で怖い。愛という名の狂気。

自分の才のなさと、それを認めないベートーヴェンへの嫌悪に苦しむ青年・カールは福士さんが演じますが、さっきまで壮年のおじさんを演じていたとは思えない若々しさ。魔法かな?

熱高き女性・マリー

木下晴香さんが演じるのは、女性でありながら建築家を目指すマリー(※当時の時代背景として建築家は女性がなるべきものではないという男性優位の社会がある)。
ベートーヴェンが幼き頃から音楽の才に秀でていたことを知っており、彼の音楽を愛する人。弟のウォルターに音楽の才を見出し、弟子にしてほしいと頼みにベートーヴェンの元を訪れます。

結果としてウォルターは弟子にとってもらえず、遠いイギリスへと旅立つのですが、道中で亡くなってしまう。そんなウォルターのことも偲びながら、自らは建築家としての夢を実現すべく、自らを男性と偽り、男装姿で活動。10数年の時を経て、偶然ベートーヴェンのところへ再び現れます。
そこでウォルターを弟子に取らなかったことを悔い、カールへウォルターを投影して教育に打ち込むベートーヴェンの姿を見て、ウォルターのことを思っていることに感謝はしつつ、もっと「カール」の声を聴いてあげてほしいと訴えます。耳が聞こえないベートーヴェンに「カールの声を”聴いてあげて”」という言葉は中々に重い。

最初は再会を祝して談笑するものの、カールへの扱いを巡ってベートーヴェンと口論になり、男装して、世間を欺いてまで夢を追う自分の姿をベートーヴェンに指摘される。その場を去ったのち、彼女は女性の姿で夢に挑戦しますが破れ、修道女として生きることに。

このストーリーの基である、晩年のベートーヴェンが手紙を送った相手は、この修道女として生きるマリーです。彼女のがむしゃらに夢を追う姿がベートーヴェンにも強い印象を与えたのでしょう。

熱量高く、たくましい女性。「モーツァルト!」のコンスタンツェを演じられた時にも思いましたが、木下晴香という俳優の底知れなさに恐怖する。年齢で語るのはナンセンスかもしれませんが、20代前半でなぜこんな深みのある演技ができるのか…。人生何週目?

シューベルト

マリーにベートーヴェンからの手紙を渡すのは、ベートーヴェンに弟子入りしようとするも追い払われた青年。最後の最後に、彼がシューベルトだったということが明かされます。ベートーヴェンにあこがれるシューベルトの登場により、ベートーヴェンが次の時代を創ることに成功しているのだと、マリーは喜びます。

演じる木暮真一郎さんは、演技自体は冒頭と最後のシーンがメインで、他はピアノ奏者として物語をサイドから色付け。ただ彼もピアノを演奏するだけでなく、何かを想うような視線で舞台を見つめ、舞台中央で展開されるベートーヴェンの回顧録に「手紙を聞く人」として参加しています。目は口程に物を言う、ですね。

カーテンコール

オーケストラがなく、楽器隊はピアノと弦楽器2名だけなので、しっとり系のカーテンコール。2時間ノンストップ劇ということもあって、豪華にバーン!という感じのカテコよりも、一際しみじみと余韻に浸れるような気がしました。

東京千穐楽ということで、たぶん6,7回くらいアンコールがありました。

何回目かで、主役の中村さんじゃなくピアニスト役の木暮さんを真ん中にしたとき、木暮さんが中村さんに「ありがとう」的な肩タッチをして中村さんが作中のベートーヴェンっぽく「触るんじゃあねえ!」と叫んでました。いやあ、中村倫也ってパワハラ演技が似合うなあ(※褒めてます)。

やっぱり生でみたいな

画面越しにでも伝わる二人のベートーヴェンによる狂気的な演技、カロリーの高いマリーの情熱、すばらしいの一言です。

ただ、配信はやっていただけるだけホンマにありがたいのですが、やっぱり臨場感はちょっとだけ物足りない。ドラマティックな舞台なので、鬼気迫る迫力をぜひ生で味わってみたかったなぁというのが本音。

今回が日本初演ということなので、時を経てまたぜひやってほしいです。その時はきっと、もっと進化しているでしょうし…。

配信はどうしてもレポもあっさりになってしまうなぁ…自分の文章力仕事してくれ…。


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