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【観劇レポ】愛と生の実感 ミュージカル「スリル・ミー」

ピアノ1台と二人のキャストだけの世界で演出される100分間のノンストップミュージカル「スリル・ミー」(2021年)。

新型コロナの影響で大阪公演が中止になったものの、ありがたいことにオンラインでの配信上映がされました。オンラインでの配信や無観客公演も一般的になってきたとはいえ、中止公演をオンラインで、というのは中々簡単にはできないこと。本当にありがたい・・・!

今回は3パターン(3組)の俳優組み合わせがありましたが、初演時ペアである新納慎也さん&田代万里生さんペアを拝見しました。

概要

ストーリーは二人の青年による残虐な事件「レオポルド&ローブ事件」という実際にあった事件がもとになったもの。
ミュージカル化にあたり、作品としての深みや解釈の幅を広げるため、登場人物の名前すらも削ぎ落しています。
新納さん演じる「彼」はニーチェに傾倒し、自分を「超人」と信じる青年。その「彼」に惹かれ愛する田代さん演じる「私」とともに、超人である証明のために犯罪に手を染めていき、ついに誘拐殺人にまで手を出す。
完全犯罪を成し遂げたと思いきや、「私」が現場にメガネを落としていったことがきっかけで、逮捕そして牢獄へ…。

「彼」

新納さん演じる「彼」。自分を超人と信じてやまない自信、あるいは傲り。「私」の一途な思いを煙たがるようで、超人である自分の隣にふさわしいのは「私」だけだと思っている。
一方で家庭へのコンプレックスも抱え、裕福で頭のいい「私」への僻みの感情も感じ取れ、それゆえに「私」に強く当たり、冷たくするし、高圧的にもなる。ある意味すごく人間味のあるキャラクターでした。

「私」がメガネを現場に落としたことがきっかけで「完全犯罪」は失敗に終わりますが、その失敗はあくまで「私」のせいであって、自分のせいじゃない。最後まで自分は超人であると妄信します。

序盤は自分が超人であることに陶酔していた「彼」も、終盤では超人であることに縋るような印象を受けました。「超人」でも何でもよくて、「他の人とは違う何者か」になりたくて、もがいているだけだったのかもしれません。
あるいは終盤「死にたくない」とおびえる「彼」を見ると、ただ生きている実感を得たかっただけなのかも。超人はあくまでちょうど良い後付けの理由でしかなくて、まさに「スリル」を通じて生きる実感を得たかった。

スリルこそが、自分という存在がこの世界に生きていることの証明。そう考えると、生にしがみついた「彼」は結局あっけなく死に、その「彼」に生の意味を求めた「私」が生き残ったのはどこか皮肉。

他の2組を見ていないので比較はできませんが、経験値のある新納さんだからこそ醸し出せる「余裕さに見える傲り」のようなものがあるんじゃないかと思います。
ゴールデンウィークに配信されたトークライブで「若者組は汗全然かかへん。こっちはびちょびちょでやってんのに」とおっしゃってましたが、その汗すらも終盤の彼の興奮、焦りをリアルに感じさせる要素になっていたと思います。新納さん、けなしてないで、褒めてるで!

頭に置いておかないといけないのは、この「彼」の人物像は「私」の回想で語られるものであるということ。本当の「彼」がどんな人物だったかは想像の余地があるというか、真実はわからないというか…。現実世界でもその人がどんな人かなんて、それぞれの主観でしか語れないものですが。

「私」

田代さん演じる「私」。IQ200という設定がありますが、行動力に欠け、「彼」に振りまわされ、「彼」に反抗しても最終的に「彼」の言いなりになってしまう優しい青年という感じ。

…と思うじゃないですか。

ところがどっこい「彼」よりもよっぽどヤバいイカレたやつです。
「彼」と一緒にいるために手段をいとわず、伏線を張り巡らせ、回収する。全部私の手のひらの上。「彼」と一緒にいられるなら、「彼」と一緒に人も殺す。刑務所であろうとどこだろうと、「彼」と一緒にいられればそれでいい。
「私」の「彼」を見つめる表情は、甘美。彼に酔う、恍惚。純愛というべきか、心奪われているというか、とにかく甘い表情です。

終盤、「全部計算の内だから」「これでずっと一緒にいられるね」と「彼」に告白するシーン。その愛情と恍惚の表情には狂気がにじみ出てる。究極にまっすぐで、それゆえに狂った愛。サイコパスという言葉では表現しきれない狂愛。

目を薄めて「彼」を優しく見つめる表情は、一見菩薩のように優しくも見えて、まとわりついて離れない蛇のような目をしているようにも見える。二人で一緒にいられる空間、すなわち極楽浄土にたどり着いた解放感と達成感すらにじみ出たその表情。
演技力ヤバい(語彙力)。終盤まで一切そんなそぶりを見せず、「彼」に振りまわされたんです、って感じやったのに…サブイボ立ちました。表情で空気も変わってるんですよね。演技力ヤバい。

「彼」の言いなりになっているように見えて実は「彼」の弱い部分を知っている。だからこそ「彼」のことがいとおしくて、同時にそんな「彼」を知っているのは自分だけだとも思っている。「彼」の理解者は自分だけ、「彼」を本当の意味で愛しているのは自分だけだと。

「彼」は「私」にそんな風に思われていることは知らないかもしれないけど、それでもいい。「彼」以外、世界には要らないと言わんばかりの究極にして狂気すれすれの愛。「私」にとっての「スリル」もまた自分が生きている実感にほかならず、「彼」の存在そのものがスリルだったのかもしれない。

ただ、「彼」の欄にも書いた通りこのストーリーはあくまで「私」の回想なので、「私」視点。「彼」の人物像も「私」の中の「彼」でしかないし、描かれるものすべてが基本「私」の記憶と感情。全部手のひらの上とは書いたものの、「私がそう思っている」だけかもしれません。

ストーリーは「私」の回想で進んでいきますが、50代となった「私」と、回想の中で学生の頃の「私」の2つを、姿勢と演技だけで演じ分ける田代さん、すごい。リアル浦島太郎。好き。

生で見たかった

オンライン配信の良さは、おそらく生だと最前列でも見えないであろう細かい表情や演技を見れるのが1つありますが、やっぱり生で見たかった。

そもそもオンライン配信をしてくれるということ自体、中止になったら見ることすらできていないわけなので感謝すべきことであるのですが…でもやっぱり生でこのスリルを味わいたかった。

「彼」と「私」が生の実感を得るためにスリルを求めたように、僕にとって「スリル」ではないけれども、生の実感を得るためにミュージカルを見に行っているなあと感じました。オンラインだったからこそ余計に「生での観劇」のすばらしさを感じたのかも。

豪華な舞台装置、豪華なキャストで行われ、途中休憩をはさみながら3時間弱で公演されるミュージカルは、その世界観やストーリーに浸り、包まれるような感じがしていいのですが、100分間ノンストップ、演者2人とピアノだけという作品は、ジェットコースターのように舞台に引き込まれ、自分の想像力をフル回転させながら走り抜けるような感じがして面白かったです。

シンプルなつくりだからこそ、観客もまさにスリルを味わえるようなミュージカルでした。次回公演時はぜひ生でスリルを味わえるようになっていますように

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